レスキュー暮らしを守るです。地下採石場跡地を利用した観光施設など、宇都宮市の大谷地区は、特産品の大谷石を絡めた観光振興で、栃木県内外に知られる人気のスポットになっています。その一方で、安全対策が長年の課題になっていました。採石場跡では度々陥没が起こり、その影響で30年以上、手つかずのまま残っていたくぼ地がようやく埋め戻されることになりました。

宇都宮市大谷町、瓦作地区にあるくぼ地。この場所にはかつて田んぼがありました。

今から30年以上前の1991年4月、地下の採石場跡地で大規模な陥没があったのです。

大谷石の採石業者などで作る組合の大木雄一朗事務局長です。今年3月に訪れた時には枯れた草が覆いかぶさり全容を把握しづらい状態でしたが、今月再び訪れてみると草は刈り取られ、縦220メートル、横130メートル、深さ3メートルほどの広大な陥没場所の姿が明らかになっていました。足元には至る所から切り出された石がそのままの状態で残されています。

大谷石材協同組合 大木雄一朗事務局長:「石を切っていた現場がある時期に一気に停止してしまった」

採石場跡地を利用した観光施設大谷資料館。地下の神殿を思わせる幻想的な光景は近年、県内外に知られる人気スポットになりました。周辺では、特産品の大谷石を絡めたイベントや体験型の観光が数多く企画され、石のまち大谷は、建材の産地だけではなくアート、食、そして歴史を楽しめる県内有数の観光地に成長しました。

4年前、こうした魅力が評価され日本遺産に認定されました。大谷地区はその一方で、安全対策に頭を悩ませながら歩んできた歴史があります。1989年2月、坂本地区で発生した大規模な陥没は大きな衝撃を与えました。

その周辺には民家も近く、その後も陥没が拡大し縦130メートル、横100メートル、深さ25メートルの巨大な穴があいたのです。当時を知る人はこの出来事を鮮明に覚えていました。

大谷地区の採石場跡地では合わせて4回、大規模な陥没があり、その後もこうした場所でずれ込みが発生した記録も残っています。大谷石の採石は最盛期の1970年ごろにはおよそ120社の企業があり、100億円近い売り上げがある一大産業でした。これを運ぶ専用の鉄道があったほど栄えていました。

その後、ほとんどの採石業者は廃業し、現在は5社が残るのみ。まぶしかったころの影は大きく採石場跡地は200カ所ほどあると言われています。

最初の大規模陥没があった場所の立ち入り制限が解除されたのは14年後の2003年。現在も通行を許されているのは関係者のみで、この場所はほとんどが更地で周辺には太陽光発電施設があります。大規模陥没で唯一手つかずとなっていたのが、ここからほど近い瓦作地区でした。

大谷石の加工を手掛ける会社を経営する坂本静和さんです。坂本さんの自宅は瓦作地区の陥没場所のすぐ横にあります。

採石を行っていた事業者への責任問題はあったものの、こうした住民の要望に応えるべく組合は市の許可を得て、埋め戻しを実施することにしました。その契機となったのが2015年9月の関東・東北豪雨でした。この大雨の影響で崩れた廃坑を県の公共事業で出た土を使って緊急的に埋め戻したのです。

組合は同じ仕組みで瓦作地区のくぼ地を6年計画で埋め戻す予定で、5月末から来月にかけて土の搬入を開始する予定です。

この地域ではおよそ100カ所に地震計を設置し陥没やずれ込みの発生にそなえて24時間体制で観測を続けています。

宇都宮市は新たな観光拠点施設を来年11月にオープンする予定で、行政と組合、そして観光業者はにぎわいの創出と同時に、安全対策を確かなものにすることが最大の課題となっています。組合はこの埋め戻しをモデルケースに残る廃坑の埋め戻しにもつなげたいとしています。