サイゼリヤは2020年7月、現金の受け渡しによる対人接触を減らすための値上げを行った。それにもかかわらず、客単価は上昇した。高千穂大学の永井竜之介准教授は「『ちょうど1000円』を狙って注文する顧客が増加したからだ。ゲーム性が理屈を上回る結果となった」という――。(第1回/全3回)

※本稿は、永井竜之介『マーケティングの鬼100則』(ASUKA BUSINESS)の一部を再編集したものです。

写真=西村尚己/アフロ
サイゼリヤ(渋谷東急ハンズ前店)の店舗外観=2019年1月25日 - 写真=西村尚己/アフロ

■顧客の「満たされていない何か」を満たす

相手が企業でも消費者でも、ターゲットになるのは顧客の「満たされていない何か」である。この「何かに満たされていない状態」は「ニーズ」と呼ばれる。「今のままでは不便」「もっと良いモノが欲しい」などの満たされていない状態を見つけ、そのニーズを叶えることができれば、ビジネスは成立する。

ニーズは2種類に分けることができる。1つめは、相手が自覚できているニーズだ(顕在ニーズ)。相手がすでに「もっと、こうだったら良いのに」と感じている「何か」を、発見し、満たしてあげれば良い。

例えば、「ボールペンで書いた文字が消せれば良いのに」は、長い間思われ続けてきたニーズだ。「しっかり書けて、しっかり消せる」を世界で初めて実現したのが、パイロットコーポレーションの「フリクションシリーズ」である。「消せるボールペン」として大きな話題を呼び、大ヒットとなった。

■iPhoneは「未来のニーズ」を満たすことに成功した

もう1つは、相手がまだ自覚できていないニーズである(潜在ニーズ)。こちらはいわば「未来のニーズ」であり、リサーチでは発見しにくい。新しいプロダクトを作り届けることで、「確かに言われてみれば、それがあるとすごく良い」と相手に気づかせる必要がある。ソニーのウォークマンは、「歩きながら音楽が聞ける」という未来のニーズを満たすことによって、世界中で大ヒットに成功した。

未来のニーズを満たした例に、iPhoneも取り上げられる。まだガラケーが普及していた日本に、初めてアップルの「iPhone 3G」が登場したとき、ガラケーに不自由を感じている消費者はほとんどいなかった。事実、iPhoneが発売されても、日本のメーカー各社はスマホ参入になかなか踏み切れなかった。リサーチの結果、「スマホを特に必要としていない」と答えた消費者が大勢いたためだ。

当時の消費者は、スマホの価値を理解できず、ガラケーに満足していた。だから、その消費者の声に応えるため、日本のメーカーはガラケーにこだわり、そしてiPhoneに敗れていった。iPhoneは、スマホだからこそ実現できる価値について「こんなに便利になる!」と分かりやすく伝えて消費者を説得し、未来のニーズを満たすことに成功したのである。

「今のニーズ」と「未来のニーズ」、それぞれの「満たされていない何か」を探していこう。

■ランナーの心を掴む、ナイキのアプリ

相手のニーズを満たすとき、「こうすれば、必ずこうなるはず」といった合理的な理屈が、常に絶対ではないことに注意しよう。非合理的な感情が、理屈を上回ることは決して少なくない。企業と消費者の取引はもちろん、企業同士の取引でも、実績やブランドによる信頼感、成長性を期待させるワクワク感などが優先されることがある。

特に、遊び感覚で楽しめるゲーム要素を、意識的にビジネスに取り入れることによって、「ゲーム性」で相手の心を掴む戦略が、効果を発揮する事例が増えている(ゲーミフィケーション)。例として、ナイキのアプリ「ナイキ・ラン・クラブ」を紹介しよう。これは、自分の走った距離やタイムを記録できるサービスだ。アプリのユーザー同士で一緒に走って競争したり、記録をランキング化したり、その結果をSNSでシェアしたりできる「ゲーム性」で高い支持を集めている。

写真=iStock.com/wundervisuals
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/wundervisuals

■値上げしたのに客単価が上昇したサイゼリヤ

ファミレスチェーンのサイゼリヤでは、コロナ禍を受け、現金の受け渡しによる対人接触を減らすために値上げを行った。それまで299円などの端数に設定していた価格を1円値上げし、300円など、50円単位のキリの良い価格に変更したのである。狙い通り、おつりの受け渡し機会は減り、会計作業にかかる時間も大幅に減少することができた。一方、サイゼリヤ側が驚いたのが、値上げしたにもかかわらず客単価が上昇したことだった。

一般に、あえて価格を299円のような端数に設定すると、安さを強調できて、キリの良い価格よりも売れやすいとされている(端数価格戦略)。そもそも、値上げをすれば、顧客は抵抗を感じて買わなくなりやすい。それだけに、キリの良い価格へ値上げしたのに客単価が上昇するという結果は、これまでの理論・通説では考えられなかった。

客単価上昇の大きな原因は、50円刻みの価格になったことで、キリよく「ちょうど1000円」を狙って注文する顧客が増加したためである。サイゼリヤのメニューの中からちょうど1000円になる組み合わせをランダムに表示するWebページ「サイゼリヤ1000円ガチャ」がSNSで話題になったことも、この流れを加速させた。

サイゼリヤの例は、戦略的に「ゲーム性」を狙ったわけではないが、「ちょうど1000円」を狙う面白さ・楽しさ・気持ちよさが、理屈を上回る結果となった。つまり、「楽しみたい!」という感情のニーズを過小評価してはならないということだ。

■球団経営の常識をひっくり返した「楽天生命パーク宮城」の成功

顧客は、必要なモノ(ニーズ)から、欲しいモノ(ウォンツ)を絞り、さらに好きなモノ(ディザイア)を選ぶ。だから、ビジネスでは「顧客が望む何か」をできる限り具体的に考えようとすることが多い。しかし、その発想だけでは視野が狭まり、失敗しやすくなる。

反対に、ビジネスを抽象化したニーズで考える「ニーズ思考」が重要になる。「そのビジネスは『誰』の『どんなお金』や『どんな時間』を必要とするものなのか」まで抽象化すると、具体的な考えからは気づけなかった価値やライバルが見えてくる。

プロ野球チーム「東北楽天ゴールデンイーグルス」の本拠地、楽天生命パーク宮城の球場作りを例に見てみよう。楽天イーグルスは、チーム新設1年目に100敗近い成績で最下位になったが、その年のパ・リーグ6球団の中で唯一の黒字を達成した。これは、「チームが強ければ自然とお客は集まる」と考えられていた当時の球場経営の常識をひっくり返す成果だった。成功の背景にあったのは、ニーズ思考に基づく戦略だ。

写真=iStock.com/33ft
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■「野球も楽しめる飲食店」として設計されている

従来通り、「野球場を作る」という考えだけだったら、野球施設をライバルとして、野球ファンのためだけの球場作りになっただろう。しかし、野球場を「エンターテインメント施設」と考えると、サッカー場やライブ会場、映画館といった様々な施設がライバルに浮かび、「娯楽を求める人」のための場所作りができるようになる。

もう一段階、抽象化して「そもそも野球場は、誰のどんな時間を必要とするか」を考えてみよう。すると、土日祝日に加え「平日の夜にグループで飲食を楽しみたい」というニーズが発見できる。ターゲットは一気に広がり、「平日の夜を楽しく過ごしたい」大勢の人となる。ライバルは、居酒屋・レストラン・カラオケ店にまで広がる。

だから、楽天イーグルスの球場は「野球を観る場所」ではなく、「野球も楽しめる飲食店」として設計されている。グループで話しやすい対面式の席が大量に用意され、飲食店に負けない美味しい食事、きれいな通路やトイレが整備された。その結果、野球ファンじゃなくても気軽に利用できる施設として、受け入れられることに成功したのである。

「誰のどんなニーズを満たすか」を抽象化して考える癖をつけて、戦略の幅を広げよう。

■「い・ろ・は・す」は常識の破壊で勝ち上がった

業界・企業・部署には様々な「常識」がある。そうした「常識の壁」に囲まれると、自由なアイデアや戦略を出せなくなる。そうならないためには、「仕方ない」「思い込み」「我慢」「無理」「ルーティーン」という5つの常識の壁を、意識的に壊すことが重要だ。

永井竜之介『マーケティングの鬼100則』(ASUKA BUSINESS)

「仕方ない」と社内で諦めていることや、顧客が諦めていることを、諦めないようにする。社内や業界で当然視されている「思い込み」を否定する。課題として認識しながらも、「我慢」する対象として見過ごしてきたことを解決する。暗黙のうちに「無理」だと選択肢から外していたことに挑戦する。疑いを持たずに従っていた「ルーティーン」を批判する。これら5つの常識の壁を一度壊してみることで、新たな戦略・プロダクト・価値などを見つけることができる。

日本コカ・コーラの「い・ろ・は・す」は、ミネラルウォーター市場に遅れて参入したにもかかわらず、「環境に優しい」という価値を武器に、勝ち上がることに成功した。その成功の背景には、多くの「常識」の破壊があった。

■大人の男性である阿部寛さんの起用は象徴的だった

まずは商品名だ。物事の基本を意味する「いろは」と、健康と環境に良いライフスタイルを表す「ロハス」を組み合わせた、ひらがなの名前が採用された。しかし、ミネラルウォーターといえば、採水した地名をアピールするか、横文字でクールな印象を与えるのが業界の常識だった。社内から批判・不安視する声があがったが、開発チームは他社と異なる「環境性」という価値をアピールするため、案を押し通した。

次に、商品のテーマカラーである緑色も、業界の常識に反していた。緑はお茶の定番カラーであり、ミネラルウォーターの定番は白・青・水色だったからだ。反対意見も寄せられたが、「環境性」という価値を一目で伝えるため、緑色にこだわり抜いた。

そして広告でも、常識から外れることを恐れなかった。ミネラルウォーターの広告といえば、女性や若い男性を起用し、穏やかさ・ナチュラルさを発信するのが常識だった。しかし「い・ろ・は・す」は、大人の男性の阿部寛さんを起用し、サンボマスターによるロック音楽を採用して、「世界を変えよう」と力強く発信した。

数多くの常識を壊した「い・ろ・は・す」は、その大ヒットによって新たな常識を創ったことになる。

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永井 竜之介(ながい・りゅうのすけ)
高千穂大学商学部准教授
1986年生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業、同大学大学院商学研究科修士課程修了の後、博士後期課程へ進学。同大学商学学術院総合研究所助手、高千穂大学商学部助教を経て2018年より現職。専門はマーケティング戦略、消費者行動、イノベーション。日本と中国を生活拠点として、両国のビジネス、ライフスタイル、教育等に精通し、日中の比較分析を専門的に進めている。主な著書に、『リープ・マーケティング―中国ベンチャーに学ぶ新時代の「広め方」』(イースト・プレス)がある。
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(高千穂大学商学部准教授 永井 竜之介)