雪を見て灰を思え:危機の想像力/純丘曜彰 教授博士
このコロナ騒ぎで、社会の根幹を守るエッセンシャルワーカーが注目された。社会的インフラ、つまり、電気ガス水道、医療介護福祉、食料運送回収、交通学校保育、などなど。これらの人々がいなくなれば、我々は暮らせない、という以上に、生きていけない。死だ。
にもかかわらず、これらの分野は、まさに人が生きていくための根本として、収入の少ない人でも享受できるように、政治的に安く抑え込まれてきた。(医師も、勤務医は、あの法外な残業量からすれば、けして高給とは言えないだろう。)それでも、これまで社会的な意義を感じて、これらの仕事に取り組む人がいたが、そんな社会的やりがい搾取も、そろそろ限界。人が集まらない。それどころか、人不足のジリ貧で負荷ばかりが増えて、むしろ逃げ出している。
一方、政治では、「民主主義」の美名の下、コメディアンだ、作家だ、タレントだなどという連中ばかりが首長になる。そして、その出自のまま、人気取りで、だれもが必要とするエッセンシャルワークを標的にしてさらに強引に切り下げ、その一方、バカなお祭りイベント、旅行や飲食の振興ばかりを図り、「にぎわい」とかいう熱狂を煽る。
イタリアに行けばだれもが見るとおり、地中海全域をも支配した古代ローマの都市遺跡も、いまや枯れた廃墟。その衰退の理由はいろいろあるが、もっとも直接の要因は、水だ。100万もの人口を支えるために、帝国は水道を引きまくった。ところが、爆発する人口は、水を当たり前と軽んじ、パンとサーカスばかりを求め、皇帝たちも人気取りのためにそれに応えた。その結果、せっかくの水道も、メンテナンスがおざなりになり、やがて壊れて、ローマは人が住めるところではなくなった。
東京は、数センチの雪が降る、という予報だけで、大騒ぎ。だが、あれが灰なら、どうだ? 硫化ガスが灰のカルシウムと反応して、硫酸カルシウム、つまり石膏になって固まる。流れない、どころか、自動車や飛行機、発電所はもちろん、取水口から排水溝まで、あらゆるものを詰めてしまう。おまけに、電線についたら、電気を流し、高圧線も変電所も破壊して、停電で通信もできなくなる。川に溶けたら、強酸性で、浄水所の能力を超える。そうでなくても、噴火に伴う地震で、水道はあちこちで漏水だらけで、火事も消せない。飲料水も、トイレも、使えなくなる。
それは、どこか知らない遠くの小さな島の話か? 阪神淡路、東日本、そして熊本を、もう忘れたのか。もちろん地方でも大ごとだが、大都市が被災するとき、もともとギリギリのエッセンシャルなインフラの弱さが、一気に露呈する。スーパーやコンビニからは、水と電池が一瞬にして消える。何日かすれば、と言っても、小さな島ならともかく、地方を寄せ集めたよりでかい超巨大都市を救える余裕が、日本のどこにあるのか。
人間の五感は、目前のものにしか実感が無い。だから、五感の欲望のままに、パンとサーカスを、もっと、もっと、と、中毒のように求め続ける。だが、人間には想像力、そして理性があるはずだ。明治の近代化以来、150年。苦労して作り上げてきた交通も電気も上下水道も、もうどこも老朽化して、ほんの一突きで瓦解する。なのに、この場に及んでなお、まだパンとサーカスか? 雪を見て、灰を思え。