聞きたいけど聞けない「小説が映像化されたら原作者はいくら儲かるの?」その生々しい内実をご紹介します(写真:ihor kuz/PIXTA)

「万能鑑定士Q」「高校事変」「千里眼」といったミリオンセラー・シリーズで知られる、松岡圭祐氏が新書『小説家になって億を稼ごう』を上梓した。同書内で松岡氏は「億を稼いだ作家たち」が実践してきた、一般的に知られていない手段を解説、知られざる業界の真実についても次々に明らかにしている。本稿では『小説家になって億を稼ごう』を一部抜粋し再編集のうえ、「小説が映像化されたら原作者はいくら儲かるのか」その生々しい内実を紹介する。

作品の認知度を上げる絶好の機会だが…

小説のメディア化は、作品の認知度を上げるための絶好の機会です。映画化やドラマ化、アニメ化は小説を広く知ってもらうための、最大規模のプロモーションと言えます。よって小説家のビジネスにおいては大変重要な位置づけとなります。ただし原作が本格的な人気を博しうるかどうかは、映像版の商業的成否に大きく左右されます。

映像版による世間一般への認知度の広がりは途方もない反面、原作は映像版と一蓮托生の運命になりがちです。映像版が不出来なため、原作が割を食う結果にならないためにも、映像化の承認や契約は慎重に行う必要があります。

小説は元々プロモーションの手段が極めて限定されているため、たとえ映像化がさほど大規模でなくとも、何もないよりましと考えがちです。単館上映であっても映画化の帯が巻いてあれば、通常よりは本の売り上げが伸びると期待するでしょう。ところが実態はそうでもありません。

単館上映や衛星放送ドラマ、WEBドラマなどは低予算ながら、案外有名な俳優が主演を務めていたりします。小規模な製作体制であっても、映像化企画書に載せるキャスト案は、必ずしも絵に描いた餅ではないのです。

俳優の事務所も、大手の映画会社や地上波テレビ局とのみ付き合っているのではありません。内容によっては小さな仕事のオファーも受けます。製作側もそれを承知で、主演にはスターをキャスティングしようとします。

ところがいかに有名スターの主演であっても、莫大な宣伝費のかかった全国劇場公開の映画、もしくは地上波全国ネットのテレビドラマでない限り、映像化は原作本の売れ行きにめざましい影響を与えません。単館上映やCS放送での映像化にもかかわらず、原作本がベストセラーになっている場合は、最初から売れていたと考えるべきです。

世間に浸透しないレベルでの映像化なら、原作本が受ける恩恵は、一般に考えられるよりはるかに低く留まります。せいぜい1回の重版程度、それも映像化の帯を巻いて書店に出荷した分を、すべて売り切ることなく終わったりします。

映画公開やドラマ放送の期間が終了しても、まだ映像化の帯が巻かれた原作本が書店に置かれているのは、そういう状況を意味します。アニメ化の場合も同様で、知る人の少ないOVA(オリジナルビデオアニメーション)でのリリースだったりすると、効果は極めて限定的です。

ベストセラーが確約されるわけではない

つまり映像化により原作本が爆発的人気を獲得するのは、映画やドラマが巨額の宣伝費をかけたり、広告以外のニュースメディアが取り上げたりして、知名度が一気に広がった場合に限ります。原作本への注目度の向上は、映像版の「大量の宣伝」による恩恵を受けているにすぎません。

その場合であっても、出版ビジネスにもたらされるメリットは、世間が想像するよりはるかに小さい規模に留まります。全国数百館での映画公開か、地上波全国ネットのドラマ放送でようやく、単行本で10万部、文庫で20万部ぐらいに達します。

原作本がもっと売れているのなら、それは小説自体の力なのです。映画化あるいはドラマ化と書かれた「帯の効果」のみに限定すれば、本の売り上げへの影響は微々たるものということです。

この事実をよく理解しておきましょう。たとえ映像化が実現しても、ベストセラーが確約されるわけではありません。「そうは言っても映像化がないよりは大きく儲かるだろう」と期待しがちですが、実際に映像化されたものの、文庫で1万部程度の重版のみ、100万円以下の儲けに留まることはざらにあります。文学賞の受賞を機に、出版社は受賞作を重版しますが、必ずしも売れるわけではないのと似ています。

映画が大ヒットした場合、原作本の売り上げが伸びるのは確かです。しかしいかに規模の大きな映画公開やドラマ放送であっても、ヒットしなかった場合には、原作本の売れ行きにも悪影響が生じます。小説の評価がどんなに高かろうが、さかんに宣伝された映像版が商業的に失敗すれば、まさしく「吹いていた風がぱたりと止まる」ように、原作本も売れなくなります。

「映像化がないよりまし」などころか、原作者として受けるダメージは相当大きくなります。特に出版社がベストセラーをあてこんで多く増刷していると、大量の在庫を抱えることになってしまいます。それらのほとんどが中古市場に流れ、商業出版としての原作本は、ほぼ死んだも同然の状況と化します。

映像化は小説にとって最大のプロモーションですが、原作本の価値は小説の出来不出来にかかわらず、映像版の商業的成功または失敗に左右されます。小説家にとっては甚だ不本意なことであり、理不尽な状況に思えますが、だからといって映像化自体を無下に断ってしまうのは、せっかくのチャンスを逃すことになります。

このように映像化は、プラスにもマイナスにも働きうるギャンブル的側面があることを理解しておきましょう。貴方自身が現金を賭けるわけでなくとも、ある意味で現金以上に重要な、自分の作品を賭けるのです。それが勝ち馬に化けるかどうかは、映像版の作り手しだいです。勝敗が将来にわたる収入額にも関わってきます。

映像化オプション契約とは

出版社が映像化企画書を吟味し、ビジネスとして進める価値があると判断すると、原作使用に関するオプション契約が交わされます。

これは「今後一定期間、○社(映画会社やテレビ局)に映像化の独占権を与える」とする契約で、まだ映像化が確定したわけではありません。

映画化での原作使用料は100万円から200万円ぐらい、最大でも約400万円で、もちろん源泉徴収もされます。契約を結んだ時点で半額をもらえます。映像化が成立したら残る半額も支払われます。最初にもらった半額は、たとえ映像化が果たされなかった場合でも返す必要はありません。

原作使用料のうち、小説家に代わって製作側とやりとりしている出版社が、手数料として3割ほどを受け取ります。これは小説家と出版社間の協議で決めることです。

原作者が映像化それ自体から受けとれるお金は、原則的にこのオプション契約時に支払いが約束された、前払い金と後払い金がすべてです。「映画が大ヒットしたのに、原作者は数百万円しかもらえなかった」ということを避けるためにも、映画の興行から歩合をもらいたければ、この時点で編集者にそのように伝え、契約書に盛りこんでくれるよう要請します。

しかし通常は、まだ絵に描いた餅としか思えない段階の映像化企画に対し、歩合の要求をする原作者は稀です。実際のところ原作者が「興行収入から歩合をもらいたい」と言いだした時点で、製作者側が二の足を踏むことは充分に考えられます。

原作者が「どうしても譲れない」と強気な態度を示せば、契約自体がご破算になるかもしれません。企画が流れてしまうことを恐れ、原作者は金額がどうあれ、契約を結ぼうとする場合がほとんどです。こうした駆け引きもあってのオプション契約です。締結後に文句を言うものではありません。

映画の興行収入から歩合を受け取れなくとも、DVDやブルーレイ化の際には、印税が原作者・監督・脚本家にそれぞれ支払われます。いわゆる二次使用料です。日本文藝家協会・日本映画監督協会・日本シナリオ作家協会の規約により、著作者は「ソフト本体価格の1.75%×出荷枚数」と「レンタル事業者がメーカーに支払う金額の3.35%」を受け取れます。

もちろん仲介する出版社の取り分が差し引かれますが、劇場公開時に映画がヒットしていたり、ドラマ放送時に高視聴率を稼いでいたりすれば、自然にソフトの発行枚数も多くなり、収入の総額が上昇します。

動画配信も同じく、人気作なら再生回数も伸び、やはり高収入につながります。テレビでの放映時も同様です。興収50億円以上のヒットなら、充分すぎるほど儲かっているはずです。映画の興行が成功したので、「映画化」の帯つきの原作本もよく売れます。

「この俳優に演じてもらいたい」はまず通らない

金銭面では妥協できても、小説の内容自体はどうでしょうか。原作者としては当然、小説の登場人物や世界観を守りたいと思うはずです。貴方が「想造」から物語を紡ぎだした以上、それぞれの登場人物にあてがった俳優なり、アニメキャラなりの顔が印象に残っているでしょう。


「主人公には特定のイメージがある」と主張したくなりますが、たいていの映像化企画は主演俳優(アニメの場合はキャラデザや作画の担当者)について、製作者側が候補を挙げてくるか、すでに内定済みだったりします。監督候補や脚本候補も告げられます。

貴方はそれらの人々にまかせて大丈夫だと思えば、オプション契約を締結します。そうでなければ締結しません。原作者が選べるのはこの二択のみです。「どうしてもこの俳優に演じてもらいたいんです」と力説するのは可能ですが、まず通りません。

製作者側も趣味の同人映画を作ろうとしているのではありません。原作者の理想どおりに夢を叶えてくれる神様でもありません。業界のしがらみや複雑な事情が織りなす中、異業種のプロフェッショナルたちの関係をやりくりしながら、巨額の製作費を調達し、成功の保証のない興行に挑もうとしているのです。その偉業を尊重せねばなりません。