75人の大規模クラスターを体験した、ねりま健育会病院の酒向正春院長(左)と筆者

昨年、75人の大規模クラスターが発生した「ねりま健育会病院」の酒向正春院長は、どのようにクラスターを収束させたのか。また、感染症に対するノウハウのない組織で、いざクラスターが起こってしまった場合にはどのような対応を取るべきなのか。

大いに苦しんだからこそ「貴重な学びがあった」と語る酒向院長の話には、今後、感染拡大を防いでいくための重要な示唆が詰まっている。「75人クラスター発生の病院が味わった超過酷事態」(6月2日配信)に続いて、クラスターの「その後」も含めて、旧知の間柄である乙武洋匡が真相に迫った。

大規模クラスター発生! 収束させる方法は?

乙武 洋匡(以下、乙武):ねりま健育会病院・院長の酒向正春さんとの対談後編では院内で昨秋発生したクラスターの話を中心にお聞きしたいと思います。

十分な情報がない中で、酒向院長は専門家に意見を聞きながら収束に尽力されました。しかし、そうしたネットワークを持っていない病院も多いでしょうし、いざクラスターが発生した場合、各病院がどこまで対応できるのかという疑問もあります。

酒向 正春(以下、酒向):そうですね。クラスターを経験してから、地方自治体に各地の対策状況を相談される機会が少なくないのですが、多くの地方の施設(病院)では、まだまだ感染管理対策が不十分であり、地方における感染対策指導の体制も不十分です。行政と施設(病院)との連携体制の構築を急ぐ必要があります。

乙武:やはりそうですか。人口の少ない、これまで比較的感染が広がらずにいた地域ほど、そうした落とし穴があるのかもしれませんね。

酒向:経験がないので何をすればいいのかわからないんですよ。政府が示すガイドラインは適切だと思いますが、いざコロナウイルス感染が発生したとき、どこまで迅速かつ効率的に動けるかは別問題です。われわれの場合も満床であったこともあり、適切なゾーニングができるまでには、クラスター発生から1週間ほど要しました。


感染を抑え込むにはゾーニングが大きなポイントになります

乙武:そこでぜひお聞きしたいのが、最大75人まで感染が拡大したねりま健育会病院では、どのようにしてクラスターを収束させたのか、ということなんです。

酒向:感染症ですので、感染さえ止めれば必ず収束するはずです。しかし、感染が想像以上に拡大したときは、やはり専門家による指導が大きかったです。たとえばわれわれの場合、認知症や不穏の患者さんをケアしているわけですから、転倒しそうなときには、とっさに手を差し伸べて支えるシーンがよくあります。でも感染対策的には、別の患者さんの介入をする前には、必ず手指消毒を行ってから手を伸ばさなければいけなかったんですよ。

乙武:しかし、それでは患者さんが頭をぶつけたり、転倒したりするのを防げませんよね。


酒向正春(さこう・まさはる)/1961年愛媛県宇和島市生まれ。愛媛大学医学部卒。1987年脳卒中治療を専門とする脳神経外科医を経て、脳リハビリテーション医へ転向。2012年副院長・回復期リハビリテーションセンター長として世田谷記念病院を新設。2013年NHK「プロフェッショナル〜仕事の流儀〜」第200回で「希望のリハビリ、ともに闘い抜く リハビリ医・酒向正春」として特集され、脳画像解析に基づく「攻めのリハビリ」が注目される。2017年4月大泉学園複合施設ねりま健育会病院を新設し院長就任

酒向:そうなんです。危険行動をする複数の患者さんたちを1人のスタッフでケアしようとしている時点で、感染予防は不十分ということなんです。おかげでたくさんの不穏や認知症の患者さんがいるクラスター下で体制を整えるのに、1週間ほどかかりました。

乙武:なるほど。習慣化しているところも多いでしょうし、すぐに対応するのはなかなか大変なことですよね。

酒向:また、一度感染した患者がどのくらいの期間、感染力を保つものなのかという問題もあります。感染力は10日間とされてますが、PCR検査をすると10日目以降も陽性反応が出るんです。実際、われわれの病院では発症から24日目の陽性率が67%というデータが出ています。つまり、PCR陽性患者さんにリハビリや看護ケアなどを行うことが濃厚接触になりますので怖いわけです。

陽性確認後20日間は感染リスクに注意

乙武:なんと、そんなに長いんですね。

酒向:こうした数字を知るだけでも、ゾーニングやリハビリにおける感染対策の重要性が高まりますので、これは重要ですよ。今はやっている変異株などは、もっと感染力が長い可能性があり、陽性確認後20日間は感染リスクがあると考えたほうがいいと思います。

乙武:ちなみに、感染ゴミの処理というのはどうされていたんですか?

酒向:感染者が触れたものはすべて、それ自体に感染リスクがあるため、屋外で72時間除菌するのがルールなんです。毎日たくさんのリネンやゴミが出ますから、この処理がまた大変で。

乙武:それでも、地道な処理を徹底しながら、1人ずつ感染者を減らしていくしかないのでしょうね……。

酒向:その通りです。もし感染管理体制にわずかな穴があれば、そこから感染が広がるのがこのウイルスですから、クラスター発生中はまさに戦時中のような状況でした。

乙武:完全に収束するまでに、どのくらいの日数を要したのでしょうか。

酒向:収束宣言には、トータルで1カ月半かかりました。まず、時間差で感染が広がった2つの病棟を抑え込むのに3週間。その後もスタッフを含めてぽつぽつと感染者が出て、これを収束させるのにもう1週間。収束宣言を出すには新規感染なしの状態が2週間必要なので、計1カ月半かかりました。

乙武:お聞きすればするほど、まさに戦時を思わせる過酷な状況ですね。そこで気になるのは、クラスター発生時の患者さんたちのメンタルです。いろんな方がいらっしゃると思いますが、皆さんどのような様子でしたか。

酒向:そもそも患者さんは、リハビリをするために来ているわけですから、それが中止されている状況に納得いかないのが当然でしょう。ましてそのご家族となれば尚更であり、お叱りの言葉を毎日たくさんいただきました。われわれとしては本当に申し訳なくて、毎日の電話対応で平身低頭お詫びするほかありませんでした。

乙武:実際に辛辣な言葉を浴びることも……?

酒向:もちろんです。命にかかわる事態ですから、厳しいご意見は当然だと思います。行政指導に基づき適切に対応しており、一刻も早くコロナを封じ込める対策を毎日必死で行っていますと伝えることしかできませんでした。完全に収束する日に向かって、ひたすらお詫びと説明を繰り返した日々でした。

スタッフのケアも大切な問題に

乙武:患者さんはもちろんですが、スタッフの皆さんも精神的にキツかったでしょうね。

酒向:そうなんです。電話を取る受付のスタッフなどは最前線で批判を浴び、心を病んでしまうケースも少なくありませんでした。さらに、患者さんを元気にすることが目的の病院なのに、クラスター期は思うように看護ケアができない現実に、多くのスタッフは心苦しさを感じていました。


クラスターに見舞われた各医療機関が孤軍奮闘を強いられているとすれば、国や自治体の支援を得られないのかと疑問に思いました

乙武:そうしたスタッフのケアというのもまた、大切な問題ですよね。

酒向:はい、とても。クラスター中は精神的余裕がない分、「みんなで乗り越えよう」という意思統一がされて、前を向き進むことができましたが、本当に困ったのはむしろ収束後です。コロナが収まってから、いろんなお叱りの声や、やってあげたいことができない現実などがボディブローのように効いてきます。また、スタッフ自身もやらされ症候群や燃え尽き症候群のようになって、精神状態が保てなくなるスタッフもいました。いわゆるコロナ鬱ですね。

乙武:それだけ壮絶な体験だったということですよね。今はもう、落ち着きを取り戻していますか?

酒向:収束宣言を出したのが今年の1月15日。それからおよそ4カ月を経て(※取材時)、少しずつ元の病院に戻りつつはありますが、まだ完全に解決したとは言えません。頭では、私たち本来の理念を取り戻そうと考えていても、心身がついていかないんです。

乙武:そこで酒向院長としては、どのようなケアを考えているのでしょうか。

酒向:不安定になったスタッフの話はしっかり聞き、必要に応じてメンタル治療を行う体制をとっています。そして、自分たちが何をするために当院に集まったのかという原点に立ち返ること。私たちのエッセンシャルワークは患者さんとそのご家族の、心と気持ちに寄り添い、回復する喜びを共有する仕事であるという原点を再認識できるようにしています。

酒向:また、ありがたいことに地域の小学生から「看護師さん頑張って」というメッセージをいただいたり、ある乳業会社さんからは感謝の気持ちのアイスクリームをいただいたり、さまざまなご支援もいただきました。そうしたほっこりとする時間を今は大切にしながら、少しずつ自分たちの原点に戻りましょうと皆に話しています。

乙武:ちなみに、酒向院長ご自身のメンタル面は……?

酒向:私は逆境に強いタイプなのですが、さすがにクラスター期は2週間ほど、夜眠れない日が続きましたね。スタッフには気づかれないように振る舞っていましたが。

コロナウイルスが経営を直撃!

乙武:こうした有事というのは当然、病院の経営面にも影響しますよね。たとえばリハビリが行えなくなったことで、返金の義務が生じるようなことはあるのでしょうか。

酒向:返金はありませんが、この期間はリハビリ治療料が取れないんです。100人いるリハビリスタッフの売り上げがゼロになるわけですから大変です。しかし、クラスターを起こした病院の責任なので、これも仕方のないことです。

乙武:また、得られるはずの収入が得られない半面、本来であれば必要のない労力や出費というのもありますよね。こうしたダメージに対する補填や補償というのは……?

酒向:基本的にはありませんでした。全100床が満床の状態でクラスターが発生し、退院する患者さんはいても、新たな入院は許されませんから、どんどんベッドが空いていき、その分の売り上げは純粋にマイナスになりました。このクラスター下の経営的ダメージは深刻でしたので、東京都や国には何度も相談しました。その結果、この4月以降に回復期病院にも新しいコロナ関連の加算や補償がつきましたので、進言した甲斐があったと思います。

乙武:トータルの損害額は……。

酒向:とてつもない金額になりますよ(苦笑)。でも、当院ではクラスター発生以降、コロナ感染後の患者さんを全面的に受け入れる方針を決め、少しずつ新しい患者さんが入ってきました。コロナ感染後は行き先がなくて困っていた患者さんも大勢いらっしゃいました。

乙武:なるほど、それは患者さんの側も助かったでしょうね。

酒向:はい。当院の回復期病棟機能をいい形で運用できました。

乙武:さらにもうひとつお聞きしにくい質問をさせていただくと、病院の信用面についてのダメージに関してです。クラスターが発生してしまったことで、悪い評価を受けるようなことはありましたか?

酒向:やはり、しばらくは入ってくる患者数は減りまして、以前のようなフル稼働に戻るまでに2カ月ほどかかりました。

乙武:すると、経営状態はすでに元通りに?

酒向:はい、そうですね。われわれの仕事は世の中に必要なものですし、黒字経営ですので、何も心配していません。それよりもスタッフの精神面の回復に時間がかかっていることが問題です。

感染症対策が重要な国力だという認識が弱かった

乙武:そうですよね。酒向院長のお話を伺っていると、こうしてクラスターが発生してしまった場合、病院は孤軍奮闘しなければならないのだなと、あらためて感じます。もっと国なり都なりのサポートがあって然るべきなのに。

酒向:何より、感染症対策にもっと注力していれば、よかったでしょうね。もし国が感染症分野に数千億円の予算を投じて研究を進めていれば、このコロナ禍による数十兆円とも言われる経済損失は防げたかもしれません。日本は島国であり、感染症の恐怖から隔離されてきたため、感染症対策が外交につながる重要な国力であるという認識が弱かったのだと思います。しかし、もう日本に未知なるウイルスが容易に入り込む時代になってしまいました。


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一方で、人間力を保つためには、コミュニケーションや運動など、楽しむ活動が必須です。そのためにも、東京オリンピック・パラリンピックなどのイベントや経済活動は止めてはいけません。私たちエッセンシャルワーカーも仕事を止めることはできません。感染対策で、どのように密集と密接を管理すれば、安全にイベントや活動を実施できるかを科学すべきです。

乙武:その通りだと思います。せめて酒向院長のこの体験が、今後の教訓になることを願います。今回は貴重なお話をありがとうございました。