フリーメイソンとフランス革命を巡る会話:フランクリン・ゲーテ・ナポレオン/純丘曜彰 教授博士
米国独立戦争:フランクリンvsブラウンシュヴァイク侯
「ほら、新大陸のベンジャミン・フランクリンも、凧で天空から電力を取り出しただろ」
「フィラデルフィア市の新聞編集人ベンジャミン・フランクリンなんて、典型的なメイソンだったからな。彼こそが、おそらくフント男爵の計画していたドイツ人大移民団の受け入れ窓口だっただろうね。六五年にスタンプ税問題が起きると、翌年からすぐにドイツやフランス、大ブリテンを訪れ、解決に奔走している。同時に、国境争いだらけの植民地諸州の間の郵便通信網を整え、新大陸新王国の準備を進めている」
「彼も、カトリック・ジャコバイト(ジェームズ派)だったんですか?」
「いや、マサチューセッツ州ボストン市の家の生まれだから、もともとは清教徒(ピューリタン)だろうが、わざわざフィラデルフィア市に移り住んでいるところを見ると、宗教的にはもっとリベラルだったんだろうな」
「そんな人が、カトリック・ジャコバイト(ジェームズ派)の新王国を準備していたんですか?」
「ジャコバイト(ジェームズ派)王のチャールズ三世も、一七七五年には五五歳で、子供がいなかった。かろうじて弟がいたが、ローマ大聖堂首席司祭枢機卿だった」
「つまり、もはや断絶確実ということですね」
「それなら、フランクリンは、誰を王に呼んでくるつもりだったんでしょう?」
「いや、モンテスキューが提唱した、王のいない共和政体だろうね」
「ああ、『法の精神』は一七四八年でしたっけ」
「それまでにも、ヴェネチア島やフランクフルト市などに特権的都市貴族たちによる共和国はあったんだが、モンテスキュー男爵は、古代ローマを研究しているうちに、紀元前四世紀からカエサルが出てくるまでの連邦共和制ことが最強だと考えるようになった。彼は五五年に亡くなったが、その理想を引き継いだのが、フランクリンだよ」
「そのうえ、たんなる理想ではなく、その実現のチャンスを目の前にしていたんだな」
「とはいえ、一七七五年四月に独立戦争が始まるころは、フランクリンは、もう六九歳で、新大陸メイソンでも最長老の一人だった。おまけに、独立戦争を始めたのが、宗教的寛容性のかけらもない狂信的潔癖主義のマサチューセッツ州の清教徒(ピューリタン)たちだったものだから、ニューヨーク州やニュージャージー州、フィラデルフィア州などの新王国の中核となるはずだった東岸中部諸州は、むしろ大ブリテン側についたんだ」
「ジャコバイト(ジェームズ派)が断絶して共和政になったら、領主として認められるかどうかわからないし、大ブリテンに敵対して敗北したら、別のやつが自分の領地の領主として任命されて来るかもしれないからなぁ」
「おまけに、彼が受け入れようとしていたドイツの「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」も、プロシア王の義弟のブラウンシュヴァイク侯に乗っ取られて、独立運動を弾圧する大ブリテン側についてしまったんですよね」
「ついてしまったどころの話じゃないよ。ブラウンシュヴァイク侯の子分、カッセル方(ラント)伯カールが、チューリンゲン(中部丘地)やヘッセンで喰い詰めていたドイツ人の没落貴族や貧窮農民を三万人もかき集めて、大ブリテンの傭兵奴隷として新大陸に送り込んだんだ。これは大ブリテンの正規軍より多い」
「大移民団が大傭兵団に化けてしまった?」
「結果として、そういうことになるな」
「でも、大ブリテンからの独立を夢見る「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」が大ブリテン側の傭兵団になってしまったんじゃ、事実上の創設者のフント男爵の面目が立たないだろ」
「総(そう)帥(すい)ブラウンシュヴァイク侯は、七五年六月に、お膝元のブラウンシュヴァイク市にメイソン大会を招集、フント男爵に中世の聖堂騎士団(テンプラー)と「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」の連続性の証明を迫って憤死させた」
「余計な邪魔者は始末するというわけか」
「だけど、そんなことをしたら、ブラウンシュヴァイク侯だって、「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」の総(そう)帥(すい)としての正当性が危うくなりませんか?」
「だいじょうぶ。代わりにシュタークというやつを拾ってきたんだ。そいつの「聖堂司祭団(クレリキ・オルディニス・テンプラリイ)(クレリカート)」とやらは、中世においても聖堂騎士団(テンプラー)よりも上位に存在したとかで、それがブランシュヴァイク公の地位と「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」の正当性を保証した」
「そいつ、どうせイエズス会残党だろ」
「おそらくね」
「フランクリンは、あくまで独立派で、七五年七月四日に独立宣言を出すが、ワシントン将軍の新大陸独立派軍はわずか一万数千。対する大ブリテン正規軍、傭兵軍、新大陸帰順派軍は、その五倍。これじゃ勝てるわけがない」
「新大陸議会の中心フィラデルフィア市も七七年の秋には陥落してしまいますよね。その後も、よく持ちこたえましたね」
「大ブリテンは、勝つ気が無かったんだろうね。本国がほしかったのは、フランスやスペインの握っているカリブ海の西インド諸島の権益で、植民地の方はどうでもよかったんだよ。もともとあんなところはジャコバイト(ジェームズ派)の領土で、先住民たちの際限ない襲撃もあって、なんの利益も見込めなかった。大ブリテンの産業革命に乗り遅れた田舎貴族と、ドイツで喰い詰めた没落貴族や貧窮農民が新大陸を暴れ回っていれば、そのうち、新大陸の連中の方が、跡(あと)継(つぎ)もいないジャコバイト(ジェームズ派)なんか見限って、大ブリテンに帰順すると思っていた」
ドイツの米国支援:ボーテ・カント・ゲーテ
「どうやって形勢を逆転したんだ?」
「その鍵となるのが、ゲーテさ。このころ爆発的な話題になっていたのが、二五歳のゲーテが書いた『若きウェルテルの悩み』。主人公の青年が婚約者のいる娘に恋して絶望し拳銃自殺する、というモックドキュメント風の書簡体小説で、七四年の九月に出版されると、ドイツはもちろんフランスその他でも売れに売れまくり、主人公の黄色いチョッキ、さらには拳銃自殺まで流行してしまった」
「すごい人気ですね」
「ちょうどワイマール公国に十八歳のカールアウグスト公がいて、彼もまたこの小説に心酔していた。それで、その家庭教師がカールアウグスト公とその弟をパリへグランドツアーに連れて行く途中でフランクフルト市に立ち寄り、ゲーテとカールアウグスト公を引き合わせた」
「それで?」
「二人は兄弟のように意気投合し、七六年十一月、カールアウグスト公はゲーテをワイマール公国に招聘した」
「それと、米国独立戦争と、どんな関係があるんですか?」
「この本自体は、ライプツィッヒ市のヴェイガントが出したんだが、その出版を仲介したのが、ハノーファー選帝(クア)公国の中の自由都市ハンブルクの新聞編集人ボーテなんだ。彼はブラウンシュヴァイク侯国の貧しい家の生まれだったが、大学を出て、英語や仏語もでき、港町のハンブルク市にあって内外の情報に通じ、新聞を出していた。七五年の独立戦争開戦当時で四〇歳。じつは、彼は、ドイツで最初というハノーファー市の伝統あるメイソンロッジ「アブサロム」の幹事で、新大陸移住を計画する「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」の送り出しドイツ側の連絡係だった。つまり、受け入れ側のフランクリンとは年来の付き合いだったんだ」
「でも、ゲーテって、フランクフルト市の人ですよねぇ」
「メイソンは、街も国も大陸も越えて繋がるらすごいんだよ。そのうえ、ボーテは、面倒見がよかった。売れない劇作家のレッシンクをハノーファー国立図書館長に押し込んだのも彼だし、選帝(クア)侯マインツ大司教領飛び地エアフルト市の哲学教授で作家のヴィーラントをワイマール公国の若きカールアウグスト公の家庭教師に推薦したのも、彼。四七歳になってもいまだ無給私講師として不遇をかこっていたプロシアのケーニヒスベルク大学のカントを見出してきてワイマール公国のイェナ大学に招こうとしたのも彼なんだ」
「あれ? カントってイェナ大学に行っていましたっけ?」
「生活を変えたくないカントは固辞して、代わりに自分の弟子で、パリ市のディドロやダランベールなどの百科全書派を訪れていた二七歳の新教説教師で文芸評論家のヘルダーを、ボーデの出張先のシュトラスブールに送った。そこで、ボーテが、二二歳のシュトラスブール大学の学生ゲーテと引き合わせた。それで、ゲーテは、すっかりヘルダーの敬(けい)虔(けん)主義的な信仰と百科全書的な知識と、それらを凌駕する疾風怒濤の情熱に染まった」
「それで、その三年後にゲーテは『若きウェルテルの悩み』を書くことになったというわけですね」
「ボーデは、クニッゲ男爵という青年も世話をしている。ハノーファー選帝(クア)公国のハノーファー市近くの没落貴族で、かろうじてハノーファー選帝(クア)公国のゲッティンゲン大学を出て、カッセル方(ラント)伯フリードリッヒ二世のところで拾ってもらっていたんだが、こいつは、「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」の新統帥ブラウンシュヴァイク侯の子分だ」
「チューリンゲン(中部丘地)やヘッセンの若者たちを騙して、傭兵奴隷として大ブリテンに売り飛ばしていたやつですね」
「クニッゲは、独立戦争開戦当時二三歳で、同年代の同胞の青年たちの命をカネに換えて大儲けするカッセル方(ラント)伯やブラウンシュヴァイク侯が気に入らなかった。それで、この問題をボーテに相談し、ゲーテ同様、ワイマール公カールアウグストのところに転がり込んだ」
「それで、ボーテやレッシンク、カント、ヴィーラント、カールアウグスト公、ゲーテ、クニッゲたちが、プロシア・大ブリテンの裏をかいて新大陸の独立を支援した?」
「そう、フランクリンをフランスに仲介したんだ」
百科全書ロッジ・ヌフスール:ヴォルテール
「フランスって、ルイ十五世ですか?」
「いや、彼は七四年に天然痘で亡くなってしまっていた。大ブリテンは、七年戦争以来、天然痘患者が使って汚染した毛布などを新大陸の原住民に贈って、連中を殲(せん)滅(めつ)しようとしていたんだ。その流行が、新大陸中西部フランス領からヴェルサイユ宮殿にまで流れ込んだんだ」
「生物兵器かよ。ひどいことをするなぁ」
「でも、大ブリテンとしては、独立戦争直前に神聖ローマ皇帝になるかもしれないフランス王が亡くなるなんて、思った以上に成功した作戦ということになるんでしょうねぇ……」
「それで、後を継いだのが、例のボンクラか」
「ああ、ルイ十六世。七〇年に十六歳でマリーアントワネットと結婚させられ、七四年に二〇歳で即位。七六年当時でまだ二二歳だからね」
「そんなのにフランクリンを紹介しても、意味が無いでしょ」
「じゃあ、メイソンか」
「そう。五〇年代のドルバック男爵の百科全書サロンを引き継いだ「ヌフスール(九美女神)」。ここでフランクリンは、ヴォルテールらと親好を深めた」
「ドルバック男爵のサロンは、ロワイヤル通り八番地で、あまりに町中すぎましたよね。「ヌフスール(九美女神)」は、パリ市のどこにあったんですか? よくばれなかったですね」
「それは、じつは哲学者で徴税請負人だったエルヴェティウスのサロンだ。オートウィユ通り五九番地。本人はすでに七一年に亡くなってしまっていたが、その友人知人が未亡人のところに集まってきてできた」
「なんだ、こないだ行ったジュリアの家の近くかよ。あんなパリ市のはずれのところじゃ、そりゃ見つからないはずだ」
「でも、今じゃ、目の前がフランス国立科学研究センターだよ」
「百科全書啓蒙主義にふさわしい」
「「ヌフスール(九美女神)」って、九人姉妹っていう意味ですよね」
「ただの姉妹じゃないよ。九人姉妹と言ったら、ヘシオドスに出てくるギリシア神話のムネモシュネ(記憶女神)の娘たち、九柱のミューズ(美女神)のこと」
「あ、それなら知ってます。記憶から生まれた弁論、歴史、叙情、喜劇、悲劇、舞踊、歌唱、讃辞、予言、でしたっけ」
「そう言えば、プルーストの生家もそばだな」
「記憶の娘たちの近くで『失われた時を求めて』というのも、ずいぶん皮肉ですね」
「もっとも、ブラウンシュヴァイク侯やカッセル方(ラント)伯も、ばかじゃない。パリ市の啓蒙主義サロンの「ヌフスール(九美女神)」と違って、リヨン市の「エリュ・コーエン(選良司祭団)」や「レザミレユニ(再結の友)」は、もともとオカルト色が強い。もとより「エリュ・コーエン(選良司祭団)」の創始者のドパスカリは七四年に亡くなっていたところで、錬金術師のウィレルモに組織を乗っ取らせ、七八年には、上位に「聖地善行騎士団(シュヴァリエ・ベネフィシアン・デュラ・シテサンテ)(CBCS)」を創ってしまった」
「フント男爵の騎士団、ローザの騎士団、ロイヒテの騎士団に次ぐ四つめの新聖堂騎士団(テンプラー)ですか」
「いや、実質的には、ドイツの「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」ブラウンシュヴァイク侯派のフランス支部だ」
「えーと、ブラウンシュヴァイク侯は、親プロシア・親大ブリテンだから、反フランス王権は支持する、ということですね」
架空のイルミナティ:ボルン・ミミ・ロスチャイルド
「じつは、まったく別のところで次の動きが起こっていた。カトリック国バイエルンのインゴルシュタット大学は、これまでイエズス会が支配していたんだが、七三年の教皇のイエズス会解散命令を受けて、啓蒙主義者の学長が会士追放を行った。ところが、学長の甥の若き法学教授ヴァイスハウプトが攻撃にさらされた。そこで、彼は、自分の学生五人と啓蒙秘密結社「イルミナティ」というインチキ団体を創設し、薔薇十字友愛団(ローゼンクロイツァー)のように、教会以上の歴史と組織を匂わせ、自分たちの身を守ろうとした。とはいえ、この団体は、実際はせいぜいバイエルンの首都ミュンヘン市周辺しか仲間がいなかった」
「イルミナティって、よく聞くけど、最初はそんなものか」
「ところが、この動きに、イエズス会をこころよく思っていなかった人々も乗っかってきた。たとえば、ウィーン市のイエズス会士だったが、その解散前に辞めてプラハ大学で鉱物学を研究していたイグナティウス・ボルン。彼も、イエズス会のしつこい嫌がらせに辟易して、イルミナティに加わった」
「自分たちが解散させられても、以前に辞めたやつに嫌がらせをするのか?」
「解散させられたから、余計にじゃないでしょうかね」
「ところで、七年戦争中の一七五九年、スローン準男爵(バロネット)の雑多な珍奇コレクションを元に大英ミュージアム(博物館)ができた」
「でも、そういう珍奇コレクションのたぐいなら、イエズス会にどっぷり漬かっていた一六〇〇年ころのルドルフ二世とか、ハプスブルク家の方がはるかに格が上だろ」
「そう、それで、帝太后マリアテレジアは、七六年、ボルンを呼び出し、すでに六五年に亡くなった夫フランツ一世の遺品のメイソン的博物コレクションを加え、ウィーン帝立ミュージアム(博物館)を作らせる」
「でも、自称啓蒙君主の息子の皇帝ヨーゼフ二世は、そういう古くさいのは嫌いそうだな」
「でも、せむしで一生を独身で通した姉のマリアアンナや、ザクセン選帝(クア)公六男アルベルトカジミールと熱烈な恋愛結婚をしたマリアクリスティーナ「ミミ」、そして、その夫のアルベルトカジミールも、ボルンを支援し、ミュージアム(博物館)を充実させ、イルミナティを広めた」
「「ミミ」って、ヴェネチアのナポレオン館にカノーヴァの作ったピラミッド型のお墓のレプリカがあった人ですよね」
「父親のフランツ一世に代わって、彼女が次の世代のヨーロッパメイソンのハブになったんだろう。フランツ一世は政治的には恵まれなかったが、奥さんや娘たち、彼を慕ったメイソン仲間がおおぜいいたんだろうな」
「それと、ちょうどそのころ、ワイマール公のところのクニッゲ男爵が、以前に仕えていたカッセル方(ラント)伯のハーナウ宮廷に逗留していた」
「ハーナウ市って、フランクフルト市のすぐ東だよな」
「カッセル方(ラント)伯国は、一六八五年のフォンテーヌブロー勅(ちょく)令(れい)で追放されたフランス人新教徒移民を常備軍にして以来、傭兵で外貨を稼ぐのが国業。方(ラント)伯フリードリッヒ二世も、若者三万人を新大陸の傭兵奴隷として大ブリテンに売りつけて、大儲けしていた。そうやって稼いだ法外な大金を、息子のヴィルヘルムを通じて、フランクフルト市のユダヤ人金融業者ロスチャイルド家に運用させていた」
「そんなところになんでまたクニッゲ男爵が?」
「表向きは執筆出版活動のため、ということになっているが、実質的にはボーテ派のスパイだろうな。七八年には、すでにパリ市「ヌフスール(九美女神)」でのフランクリンの外交活動で、フランスが新大陸新政府と同盟を組んで参戦を準備していたからね」
「あれ? ロスチャイルド家って、そんな大金、どうやって運用していたんですか?」
「あ、よく気づいたね。このカネの大半は、フランスのオルレアン「平等(エガリテ)」公が借り入れ、「フランス大オリエント社(GOdF)」に注ぎ込まれていた」
「えーと、つまり、カッセル方(ラント)伯の傭兵奴隷の代金として大ブリテンが払ったおカネが、エジプト十字軍の準備資金になっていた、ということですね」
「そういうこと」
1782年の国際メイソン大会:ボーテvsブラウンシュヴァイク侯
「でも、エジプト十字軍がうまくいかなかったら、どうなっちゃうんです?」
「ロスチャイルド家も、それを心配し始めた。それで、オルレアン「平等(エガリテ)」公に言って、庭園を開放させ、その廻りにぐるっと建物を作って、そこでテナント業をやらせた」
「悪名高きパレ・ロワイヤル(王立宮殿)か」
「悪名高い?」
「本人が放蕩三昧だったせいもあって、ろくでもない連中ばかりがたむろってきたんだよ。公営風俗街みたいなもんだ。そのくせ、あくまで公の庭園だから、警察も手を出せない」
「クニッゲ男爵が、ロスチャイルド家をオルレアン公や「フランス大オリエント社(GOdF)」に仲介していた?」
「それはどうかわからない。ただ、クニッゲ男爵は、自由都市フランクフルトで、イルミナティのコスタンツォ侯に会った」
「コスタンツォ侯って?」
「宮中(プファルツ)選帝(クア)伯ヴィッテルスバッハ家の傍系の傍系のビルケンフェルト伯ヴィルヘルムの宮廷官」
「ぱっとしないなぁ。それに、伯に仕えている侯って変だろ。身分が逆じゃないのか」
「落ちぶれて、ぱっとしないから、インチキ組織で一発逆転を狙(ねら)ったんだろ」
「それで、クニッゲ男爵は?」
「これが、イルミナティを本気にしちゃったんだ。それで、彼一人で五〇〇名も集めた。というより、新聖堂騎士団(テンプラー)ボーデ派がごっそりイルミナティに入った、ということかな」
「でも、バイエルンのイルミナティなんて、ほとんど実体が無いんだろ」
「おもしろいのは、ヴァイスパウプト教授が、そのことを正直にクニッゲ男爵に告白して謝罪したことだよ。それで、むしろ組織の完成をクニッゲ男爵に委ねている」
「クニッゲ男爵だって、まだ三〇前だろ」
「もちろん黒幕はボーデさ。八一年には、「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」の拠点を統帥ブラウンシュヴァイク侯のブラウンシュヴァイク市からヴァイマール市に移してしまっているし」
「そんなことしたら、ブラウンシュヴァイク侯が怒るだろ」
「ああ、怒ったね。それで、翌八二年七月にハーナウ市郊外ヴィルヘルムスバートのロスチャイルド家の豪邸で国際メイソン大会が開かれた」
「そんなに大規模だったのか?」
「いや、各国三六大ロッジの代表による会議だ。大ブリテンも入っていないし、プロシアも親書を送っただけ。問題は「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」内の主導権争いだからね」
「で、どうなった?」
「「フランス大オリエント社(GOdF)」に近いボーテ派によって、中世聖堂騎士団(テンプラー)起源説は否定された。でも、ブラウンシュヴァイク侯は、代わりに聖地善行騎士団(シュヴァリエ・ベネフィシアン・デュラ・シテサンテ)説を了承させた」
「それ、ブラウンシュヴァイク侯がフランスのリヨン市のウィレルモに作らせた組織でしょ?」
「メイソンも、種々雑多の寄せ集めなんだ。ボーテ派のような啓蒙主義者もいれば、それを批判するオカルト主義者もいる。ブラウンシュヴァイク侯は、その隙(すき)を利用したんだ」
「でも、大陸メイソンは、ウィレルモに従う、ということ?」
「いや、リヨン市の「エリュ・コーエン(選良司祭団)」でも、「聖地善行騎士団(シュヴァリエ・ベネフィシアン・デュラ・シテサンテ)」を騙(かた)って支配するウィレルモに対する反発が生じ、八三年、「レザミレユニ(再結の友)」の王室財宝官ランジェ侯シャルルピエールポールが、パリ市で、聖地善行騎士団とは別の上位組織「フィラレート」を創設する」
「フィラレートって?」
「古代ギリシアの人名だな。真実を愛する者、という意味だ」
「ようするに、「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」の啓蒙主義ボーテ派のフランス支部だよ」
「ただ、八四年にはバイエルン王国がイルミナティはもちろんメイソンを丸ごと禁止してしまった。八五年には教皇ピウス六世もイルミナティを異端として禁止」
首飾り事件:エジプト十字軍の計略
「その間に、フランスでは、例の首飾り事件が起きるだろ」
「ああ、そうだ。それもおそらくイルミナティ絡みだろうな。「フィラレート」の事務局が王室財宝官ランジェ侯なんだから」
「首飾り事件って、ロアン枢機卿がラモット伯爵夫妻とカリオストロ伯爵夫妻にそそのかされて、王妃マリーアントワネットへの贈り物として首飾りを買ったけれど、宝石商に代金も支払われなかったし、王妃にも首飾りは届けらなかった、っていう話ですよね」
「表向きは、ラモット伯爵夫人の単独犯行ということで、マリーアントワネットは、詐欺師たちにかってに名前を使われた、と言っているが、どこまで本当だか」
「マリーアントワネットだからなぁ」
「というと?」
「母親のマリアテレジアが心配して、オーストリアからなんども手紙で諫(いさ)めなければならないほど、彼女の贅沢(ぜいたく)ぶりはヨーロッパ中で有名だった。だけど、米国独立戦争の支援もあって、そんなカネがフランス王室に残っていたわけがないんだ。だから、むしろ王妃は、衣装だの、舞(ぶ)踏(とう)会だの、諸所からの請求に困って、かってにブルボン家の王室財宝の一部を支払いに当ててしまっていたんじゃないだろうか。それで、王室財宝官のランジェ侯は、その買い戻しに奔走していた」
「マリーアントワネット王妃は、なんとかする気は無かったんですかね」
「彼女なりの考えはあったよ。貴族は私一人で十分。ほかの都市貴族に重税をかければいい、って」
「いい案じゃないですか」
「その程度で、どうにかなる状況じゃなかっただろ。中世の十字軍時代と同じだよ。いや、それよりもっと悪い。農業生産に比して人口過剰の上に、産業革命で生産過剰だ。街にはすでに失業者があふれかえっていた。こんな状況で課税まで強化したら、市中経済は死んでしまうぞ」
「そうだよ、だからエジプト十字軍なんだ。ロアン枢機卿は、色狂いで王妃に言い寄ったみたいに言われているけれど、ブルターニュのロアン子爵家の縁戚。王室財宝官ランジェ侯爵やマルタ騎士団連絡役のカリオストロ伯爵らは、彼を財務総監につけようとしていた」
「そんな優秀な人だったんですか?」
「当時のマルタ騎士団の大統領はエマニュエル・ドゥ・ロアン」
「ロアン枢機卿の親族?」
「そういうこと。おまけに、彼らはブルターニュの子爵家だから、これまでの遺恨も水に流して、大ブリテンもエジプト十字軍計画に取り込める。すでにフランスは一七〇一年のスペイン継承戦争でスペインを、一七三三年のポーランド継承戦争でシチリア島・南イタリアを、さらに、一七六九年にコルシカ島を手に入れている。そして、七三年に「フランス大オリエント社(GOdF)」ができて、八四年、オスマン艦隊とベルベル人海賊の拠点アルジェ市を叩き潰している。エジプトまでは、もう一歩だ」
「でも、首飾り事件で、ロアン枢機卿の財務総監就任という人事案は、王妃マリーアントワネットに潰されてしまったんですね」
「そんな遠征のために王室予算の削減をもくろんでいる連中の言うことなんか聞くようなタマじゃないからね」
「カリオストロ伯爵の話は、ゲーテの『イタリア紀行』にも出てきますよね」
「というより、八六年九月にゲーテが行き先も告げず、突然にワイマール市からシチリアまで旅に出たのも、カリオストロ伯爵の問題調査のためなんじゃないだろうか」
「いや、カリオストロは、もう用済みだ。ヨーロッパは、もっと大物を必要としていたんだよ」
「それがゲーテ?」
「いや、ナポレオンだろ」
「その前に、自分で名乗り出たやつがいた。オルレアン「平等(エガリテ)」公だ」
「「フランス大オリエント社(GOdF)」の大統領ですね」
「それで、ボーデは一七八七年にパリ市に赴いたが、いい印象は持たなかったようだ」
「窮民救済のエジプト十字軍の話を、たんに自分が王位に就くためのクーデタにすり替えたんだろ」
「そんなところだろうな」
フランス革命前夜
「でも、革命前のパレ・ロアイアル(王立宮殿)も、こんなだったんですかね」
「どうかな。パレ・ロワイヤル(王立宮殿)の周辺にたむろっていたのは、大量の売春婦たちや犯罪者たちだぜ。パレ・ロワイヤル(王立宮殿)の中に逃げ込めば、王宮扱いだから、警察も手を出せない。おまけに、オルレアン「平等(エガリテ)」公は独自に「プロ市民」を養成していた」
「プロ市民?」
「売春婦や犯罪者の中で口が立つ連中を引き寄せて、扇動家や連絡係に使っていたんだよ。連中は、もとより反体制的だし、カネさえもらえば、なんでもやるやつらさ」
「そんなの、屋敷の中に入れていたんですか?」
「ほら、ここにも、あちこちに噴水があるだろ。あれが重要なんだ。オルレアン「平等(エガリテ)」公が使った通信手段だ」
「通信?」
「噴水は、屋敷の中から操作できるんだよ。あれでプロ市民たちに指示を出す。やつらは、噴水がどんな状態だったかだけを、地方の同志の都市貴族に伝える」
「会ってもいない、文章も無い、証拠も残らない、途中で連絡係が捕まっても、だれにも意味がわからない、というわけだな」
「ああいう噴水を都市貴族の屋敷前に作らせて、地方の末端の連中まで操作した。噴水暗号は、各階層ごとに組み合わされていたから、下位の連中は上位の連中の暗号がわからない」
「メイソンの暗号儀式の応用ですね」
「で、八九年の七月か」
「もうすこし順を追っていこうよ」
「なら、まず前年の八八年八月末に財務総監ブリエンヌが都市貴族への課税に失敗して辞任したところからですよね」
「そうだな」
「それで、ネッケルの再任となったけれど、そのときに三部会の招集と承認をルイ十六世に条件付けた」
「このあたりまで、王室財宝官ランジェ侯爵の思惑どおりだな」
「それで、問題の八九年五月にヴェルサイユ宮殿内で三部会(エタ・ジェネロ)が開かれた。だけど、地方議会同様に第三身分を倍にしろ、いや伝統的に中央は三身分同数だ、って、運営の仕方で紛糾してしまった。それが昂(こう)じて、六月二〇日の球技場(テニスコート)の誓い、第三身分は絶対に憲法を制定するぞ、ということになった」
「大ブリテン型の立憲君主制が予定のおとしどころだったからね」
「ところが、業を煮やした王妃マリーアントワネットが、ほら、やっぱりネッケルなんかじゃダメじゃないの、って、七月十一日、ルイ十六世にネッケルを解任させてしまった」
「これは予想外だっただろうなぁ」
「それで、今度は、ほらやっぱりルイ十六世なんかじゃダメだろ、って、オルレアン「平等(エガリテ)」公がみずからクーデタに動き出した」
「このあたりから、どんどんランジェ侯爵の軌道を外れて、コントロールできなくなっていったんだろう」
「「フランス大オリエント社(GOdF)」のランジェ侯爵がめざしていたのは、あくまでルイ十六世下での立憲君主制で、オルレアン「平等(エガリテ)」公には、せいぜい首相になってもらうくらいのつもりだったんだろうな」
革命と国会議事堂建設
「ところが、ここで、やっかいな女が出てくるんだ。ほら、「フランス大オリエント社(GOdF)」、あれ、中心となっていたのは、王室財宝官のランジェ侯爵と政府科学顧問のギヨタン医師、そして、博物学者のビュフォン伯爵。ところが、ビュフォン伯爵は、革命前年の八八年四月に亡くなってしまっていたんだ」
「それで?」
「問題は、ビュフォン伯爵家を継いだ息子。これが、ビュフォン伯爵の広範な博物学研究の中でも最低の生き物と揶揄されるくらいのバカで、その嫁というのが、野望に満ち満ちた町娘、アニェス。うるさい義理の父の大ビュフォンが亡くなったのをいいことに、さっさとバカ息子の小ビュフォンを放り出し、名目上の「フランス大オリエント社(GOdF)」大統領、オルレアン「平等(エガリテ)」公の愛人になって、王位簒奪をけしかけた」
「面倒な時に面倒なやつが出てきたもんだな」
「でも、ワイマール公国のボーデと決裂して、大オリエント社のエジプト十字軍の話はダメになっちゃったんですよね。立憲君主制を建てたって、王様を変えたって、財政破綻は救えないですよねぇ……」
「憲法を作って、議会を開いても、都市貴族への課税承認なんか、どのみち取り付けられないだろうな」
「ちがうんだよ。議会を作ることが重要なんだ、文字通りね。ほら、徴税請負人の壁、あれは、すでに八七年に完成している」
「そのせいで物価が高騰したって、パリの町民が怒っていたんですよね」
「壁のせいというより、その工事が終わってしまったせいで、十万人の建設失業者が出ていた。だけど、大きな徴税請負人の壁ができれば、その内側の古い昔の壁の残骸はいらないだろ」
「昔の壁って? すでにルイ十四世の時代にほとんど撤去したんじゃないか?」
「その一部、大物が残ってたんだよ」
「サンタントワーヌ・バスティーユ(要塞)か」
「そう、西のルーブル・バスティーユ(要塞)は宮殿に改装されたが、それと対で百年戦争期に建てられた東のサンタントワーヌ・バスティーユ(要塞)は、監獄として使われていた」
「国事犯専用で、サド侯爵が中から、ここで人が殺されている! とか、わめき立てていたんで、圧政の象徴とされた、って、聞いていますけれど」
「それは表向きの話。とにかく、あれをぶっ壊して、あそこに巨大な国会議事堂を建てる計画だった。そうすれば、その周辺も、官庁はもちろん、地方議員の事務所だのなんだのができて、ヴェルサイユ宮殿に奪われてしまっていた活気がパリ市に戻ってくる、という、もくろみだ」
「まさにメイソンらしい土建的経済刺激策だな。だけど、それには、最初の呼び水の資金がいるだろ。ただでさえ国庫が破綻しているのに、どうやったんだ?」
「名門生まれのオータン司教タレーランだよ。七三年にイエズス会を解散させたときに、その莫大な資産が吐き出されてきた。それなら、ということで、革命を機会に国内のカトリック教会を全部ぶっ潰し、その土地収益を抵当にアシニャ(割当)紙幣を発行した。タレーランは教皇から破門されたが、自分の方からも司教を辞して国民議会の議長になってしまった」
「貴族にとって、教会なんて、家柄に箔を付けるだけのものだもんなぁ」
「革命と言っても、立憲王政を目指して国王や都市貴族は存続して、ローマ中心主義の一部の僧侶階級が排除されただけというのが本当のところなんですね」
「ところが、これでうまく終わっては困るのが、愛人の小ビュフォン伯爵夫人アニェスにけしかけられているオルレアン「平等(エガリテ)」公だ。彼は、王室顧問会議弁護士のダントンだの、貧乏ジャーナリストのデムーランだの、サディスト高級娼婦のテロワーニュだの、パレロワイヤルの手下のプロ市民たちを使って王室批判を続ける。逆に、よけいなスウェーデン貴族のフェルセン伯爵とやらは、絶対王政に戻そうと、プロシアやオーストリアを反革命でけしかける。そのせいで、九一年六月二〇日、国王一家は国外逃亡を図って、王権停止で立憲王政計画は瓦解。ボルドー市の連中、いわゆるジロンド派が政権を奪取して、干渉周辺国に対する主戦論を展開。もはや国会議事堂建設どころではなくなってしまった」
「ちなみに、三五歳のモーツァルトは、九一年九月末に、ウィーン市のオペラ座の南西のヴィーデン劇場で、メイソンを暗示する『魔(ま)笛(てき)』を上演して、十二月には病死しているな」
「オーストリアの方は、あんまり戦争なんていう雰囲気じゃないですねぇ」
「自称啓蒙君主の皇帝ヨーゼフ二世はともかく、姉のマリアアンナや妹のマリアクリスティーナ「ミミ」、その夫でネーデルランド総督になっていたアルベルトカジミールは、イルミナティで「フランス大オリエント社(GOdF)」の側だからね」
「なのに、ジロンド(ボルドー)派は、なんで主戦論だったんでしょうね?」
「想定されていた敵国は、オーストリアじゃなくて、大ブリテンだったんだろうな。フランス西岸のボルドー市は、十五世紀の百年戦争が終わるまで大ブリテンに支配されていたから、また侵略される、と思ったんじゃないのかな。実際、パリ市のチュルリー宮に幽閉されていた王族は、以前からドイツ兵、つまり、米国独立戦争と同じチューリンゲン(中部丘地)の傭兵奴隷を使っていたし、王族がタンプル(聖堂騎士団)塔に監禁された翌年の九二年七月には、傭兵奴隷の親玉の「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」総(そう)帥(すい)ブラウンシュヴァイク侯が、王家の地位の保全を要求。これは事実上の宣戦布告だ。背景に、大ブリテン王国・ハノーファー選帝(クア)公国やプロシア選帝(クア)王国がいたのは、あきらかだろ」
独立マインツ共和国
「でも、立憲王政でいいんでしょ。王権停止を解除すればいいじゃないですか」
「いまさらルイ十六世を立てても無理だろ」
「九二年九月の国民公会(コンヴェンション・ナシオナーレ)でジロンド(ボルドー)派が圧勝して国王無しの共和政に移行。革命軍を組織。そのうえ、オルレアン「平等(エガリテ)」公も、あくまで主戦論を画策したんだ」
「え、どうして?」
「オルレアン「平等(エガリテ)」公は、ジロンド(ボルドー)派のような共和主義者も嫌いだったからね」
「嫌いなのに、同調した?」
「いや、共和主義者が負ける戦争を仕掛ければ、政権は自分のところに転がり込む」
「ひどい狂言回しですね」
「「フランス大オリエント社(GOdF)」が周到に計画したフランス大革命は、彼とその愛人の小ビュフォン伯爵夫人アニェスの野心のせいで、どんどん迷走していくんだ」
「すでに八七年にオルレアン「平等(エガリテ)」公の「フランス大オリエント社(GOdF)」と決裂したドイツのボーデ派はどうしていたんですか?」
「それで、このマインツ市だよ。当時、このあたりは、領地がぐちゃぐちゃに入り組んでいたんだ。ライン渓谷は、コブレンツの選帝(クア)侯トリエル大司教領、ザンクトゴアールはヘッセン家のカッセル方(ラント)伯だったりダルムシュタット方(ラント)伯だったり。マインツ周辺を取り囲んで、マンハイムの宮中(プファルツ)選帝(クア)伯領。マインツ選帝(クア)大司教領は、フランクフルトより東のアッシャッフェンブルクに住んでいて、ライン西岸の自領は、ほったらかし。そして、東岸のウィスバーデンを含むフランクフルトの裏山のタウヌス山脈は、ナッサウ公領。その南がヘッセン家のダルムシュタット方(ラント)伯領。つまり、マインツ市そのものは、拮抗する複雑な勢力争いの渦中にあって、事実上の自由都市だった」
「ちょうどヴェネチアやモンテカルロみたいなものですか」
「ところが、ブラウンシュヴァイク侯が宣戦布告した後の九二年十月、マインツ大学のメイソン連中がフランス革命軍を招き入れて、独立マインツ共和国を樹立してしまった」
「そう言えば、マインツ市は、市民騎士団創設者の自称ヨンセン男爵が詐欺師時代の五五年に、守鍵官シュパウァ伯をインチキ錬金術で引っかけたところですよね」
「そのころからすでに武装市民革命を組織していたのかもな」
「さらに、北のケルン大学やボン大学、二三歳の若きヘーゲルがいた南のチュービンゲン大学でも同様の動きが広がる。それで、ブラウンシュヴァイク侯がプロシア連合軍八万を率いて、マインツ共和国へ出陣。ワイマール公国のアウグスト公とともに宰(さい)相(しょう)ゲーテもプロシア側で従軍。翌九三年三月から、二万の革命軍フランス兵が残るマインツ市を攻囲。七月にはマインツ共和国を壊滅させてしまった」
「ドイツのボーデ派はブラウンシュヴァイク侯派に寝返った?」
「もともとただの市民や下級貴族で、表立って「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」総(そう)帥(すい)ブラウンシュヴァイク侯に逆らえるほどの連中じゃないからね」
「そうですよね……」
「でも、ゲーテは、なかなか一筋縄でいくようなやつじゃないよ。彼はもとはフランクフルト市の大商家の出で、同じくフランクフルト市に居を構えるミラノ人銀行家ブレンダーノ家とも親しかった。このブレンダーノ家が、このウィスバーデン市の西のラインガウに別荘を持っていて、ゲーテは昔からよくそこに滞在している。このラインガウの帝国代官がビルケンシュトック家で、ヨハン・ビルケンシュトックは、ウィーン市のハプスブルク家宮廷顧問の重鎮。金羊毛騎士団(オルドレ・デ・ラ・トワソンドール)の一員として同じくハプスブルク家に仕えるハンガリーのエステルハージ侯爵アントン一世は、ゲーテらとともにブラウンシュヴァイク侯の対仏戦争に加わっていたし、その親族のエステルハージ伯ヴァレンティンは、以前からフランス王妃マリーアントワネットのお気に入りの一人で、革命のさなかにあってもフランス王室と外部の連絡係を務めていた。また、ボン市で不遇をかこっていたベートーヴェンは、ハンガリーのエステルハージ侯家に仕えていたハイドンに招かれ、九二年十一月にウィーン市に移り、そこでビルケンシュトックの支援を受けることになる。さらに後の九七年には、ビルケンシュトックの娘アントニアとブレンダーノ家の跡(あと)継(つぎ)フランツが結婚」
「なんなんです、この人たち?」
「ヨンセン男爵、ボーデに次ぐ、ドイツ啓蒙主義者の人脈だよ」
「つまり、イルミナティの本流?」
「そういうこと。ただし、連中は、国粋主義のジロンド(ボルドー)派や恐怖政治のジャコバン(ヤコブ修道院)派には反感を持っていたし、ナポレオンが出てくると中で分裂してしまう」
ロベスピエールの暴走
「でも、それって、もうすこし先のことでしょ」
「いや、マインツ共和国の壊滅がナポレオンを作ったんだ。この敗北で、主戦論のジロンド(ボルドー)政権がガタガタになって、ルイ十六世の処分にも慎重ならざるをえなかったのだが、そこでかのオルレアン「平等(エガリテ)」公はサディスト高級娼婦テロワーニュが指揮する女性騎馬隊なんかを使って世論を沸騰させ、九三年一月の国王処刑へ持って行く」
「で、いよいよ自分の出番だ、と」
「三月にデュムーリエ将軍に反革命クーデタを起こさせたんだけど、失敗して、逆に自分が逮捕されてしまった。テロワーニュも、五月に別の女性たちの暴行を受けて発狂。むしろ六月にはジロンド(ボルドー)派より面倒なロベスピエールのジャコバン(ヤコブ修道院)派が恐怖政治を始める」
「そして、十月には王妃マリーアントワネットも処刑、十一月には黒幕のオルレアン「平等(エガリテ)」公も処刑」
「これで、王族はいなくなった、というわけですね」
「愛人の小ビュフォン伯爵夫人アニェスは?」
「いまさら夫の小ビュフォン伯爵の元にも戻れず、貧窮して死んだらしいよ」
「自業自得だな」
「でも、今度は、三六歳のロベスピエールが暴走する」
「例の有名な恐怖政治ですね」
「翌九四年三月、マインツ市陥落の責任を問うて、三四歳のライン革命軍総将軍ボーアルネ子爵と、その後のライン軍を引き継いだ二六歳の気鋭のオッシュ将軍まで逮捕。また、オルレアン「平等(エガリテ)」公の手下だった三五歳のダントンや三四歳のデムーランを四月に収(しゅう)賄(わい)で処刑。これで、ほとんどのライヴァルを始末して、独裁者に成り上がった。さらに、六月、神がいないなら、それを発明すればいい、と言って、あるじのいなくなったチュルリー宮で、カトリック教会に代えて自分が大祭司になり、最高存在の祭典、なんてものを開いている」
「最高存在って?」
「理性のことらしいよ。それまでにも、革命の翌年の革命記念日から練兵場、いまのエッフェル塔の前に、祖国の祭壇なんていうのを作って、変な儀式を行っているけれど、最高存在の祭典は、それを画家の国民公会議長ダヴィットによる派手な演出でさらに仰々しくしたもので、でかい塚の上に変な「自由の木」を立てて、これに礼拝した」
「およそ理性的とは思えないですよねぇ」
「カリオストロ伯爵やオルレアン「平等(エガリテ)」公に代わって、自分が宗教結社の大統領になろうとしたんじゃないのかな」
「この後、七月にはマインツ陥落の責任を取らされて、ライン革命軍総将軍ボーアルネ子爵が処刑」
「あ、その奥さんが、ジョセフィーヌですね」
「三一歳の彼女は、カリブ海のマルティニーク島に砂糖プランテーション(単作大農園)農場を持つ騎爵の娘。セーヌ左岸(南側)、いまの六区のカルム修道院跡の監獄に収監されていた。ここで、隣室の二六歳のオッシュ将軍と恋仲に堕ちてしまう」
「二人とも、断頭台を待つばかりの身の上ですものね、ちょっとわかるわ」
「いや、だけど、九四年の七月末にテルミドール(熱月)のクーデタだろ」
「そう、ダントン派の残党の三九歳のバラスが国民公会軍を率いてロベスピエールの方を断頭台に上げた」
オッシュ将軍とナポレオン
「じゃ、ジョセフィーヌとオッシュ将軍は?」
「オッシュ将軍は、すぐヴァンデ反乱の対応に向かわなければならなかった。ボルドー市の北、ナント市やヴァンデ地方で、カトリック王党派残党が、徴兵令に反対する農民たちを巻き込んでゲリラ戦を展開したために、その鎮圧にはひどく手間がかかった」
「ジョセフィーヌの方は?」
「総統バラス子爵の愛人になった。汚職と腐敗の巣窟のような政治を繰り広げた」
「潔癖主義のロベスピエールより、さらにタチが悪そうじゃないか」
「でも、なんだかんだ言っても、ナポレオンがひっくり返すまで五年間も持ったんだぜ」
「すごいな」
「まず対外戦争を次々と終結。国内に復活してきた復古派を弾圧。九五年十月のヴァンデミエール(葡萄月)の反乱じゃ、バラス子爵が国内軍総将軍になって、二六歳のナポレオンを副官に抜擢。ナポレオンは、革命広場、いまのコンコルド広場で散弾大砲を復古派の暴徒に水平撃ちして、一日で鎮圧してしまった」
「それで、ジョセフィーヌは、ナポレオンに乗り換えた?」
「そんなところだな。九六年三月九日に結婚して、三月二七日にはナポレオンはイタリア派遣軍総将軍になっている。もっとも、このころ、いちばんの英雄は、ナポレオンより一歳年上で、九六年七月にヴァンデ反乱を終結させたオッシュ将軍だったんだ。アイルランド遠征は失敗したものの、九七年二月、ライン方面に乗り込み、プロシア連合軍を奥地まで追い込んだ。一方、ナポレオン将軍も、四月にはウィーン市まで迫る。八月、オッシュ将軍は、ライン左岸(西側)を完全に手中に収め、ケルン市・コブレンツ市・マインツ市を中心に、オランダ国境からストラスブール市まで、新たにシスレニア共和国を独立させようとした」
「シスレニアって?」
「ラテン語で、ラインのこちら側、という意味だな」
「ところが、九月、オッシュ将軍が、フランクフルト市の北の前線で病死。十月、ナポレオン将軍は独断でオーストリアと講和して、とにかくシスレニアを承認させ、十二月に凱旋」
「このころ、かつてのイルミナティの人たちは何をしていたんですか?」
「七一歳の老カントは、あいかわらず東北の辺境、プロシアのケーニッヒスブルク市にあって、九五年四月のプロシアとフランスの間のバーゼルの和約を一時の気休めに過ぎないと批判し、『恒久平和のために』を書いて、どの国も共和政だったら、国民の意見がバラバラになってしまって開戦の合意に至らないはずだ、なんて楽観的に考えている。一方、その弟子で三四歳のイェーナ大学教授フィヒテは、逆に、九六年には、国家は、国民の自由と権利に担保された絶対意思の表れだ、なんて、言い出した」
「九四年のロベルピエールの「最高存在」よりは洗練されてますね」
「でも、それ、独裁者の正統性の話でもあるぜ」
「南西ドイツのチュービンゲン大学で学生時代に革命に熱狂していたヘーゲルは、その後、革命の現実に失望し、スイス・ベルン市の貴族の家庭教師。九七年に二七歳でフランクフルト市のワイン商家の家庭教師」
「すっかり丸くなっちゃってますね。大物のゲーテは?」
「九六年に『ウィルヘルム・マイスターの修業時代』を書いただけ」
「それだけ? ベートーヴェンは?」
「時代に不満な、ただの傲慢なピアニスト。ソナタやコンチェルトを書いていたが、難聴の兆候は顕著になりつつあった」
「なんだか、みんな現実逃避的ですね……」
霧月のクーデタ
「ところが、彼らと関係して、また新たに面倒な女が出てくる。スタール男爵夫人。三部会(エタ・ジェネロー)当時の財務長官ネッケルの娘で、八六年、二〇歳でスウェーデン外交官スタール男爵と結婚したものの、すぐに別居。以後、文芸や政治の評論で活躍し、ゲーテらに大いに気に入られた。そして、ロマン主義の小説家、コンスタンと同棲して、四人の子供も生まれている。ところが、ナポレオンが頭角を現してくると、猛烈にアタックをして、風呂場まで押しかける始末。しかし、ナポレオンは、ジョセフィーヌにゾッコンで、スタール男爵夫人には目もくれない。こうなると、今度は愛人のコンスタンとともに、激烈なナポレオン批判を始め、ヨーロッパ中の広い人脈を駆使して、旧イルミナティの連中を反ナポレオンに扇動しようとする」
「ナポレオンも、ずいぶんやっかいな女に関わっちゃったなぁ」
「いや、関わらなかったから、逆恨みされたんだよ」
「ようするに、その人、ストーカーじゃないですか?」
「だけど、父親はとてつもない金持ちだし、本人はイルミナティの人脈に気に入られているし、敵に回すと、まさに面倒だったろうな」
「一方のナポレオン。この女のせいなのか、パリ市を離れて、九八年七月には、念願のエジプト遠征。ところが、この行きがけにマルタ島を襲撃して掠奪。修道騎士団員の大半はロシアに亡命せざるをえなかった」
「あれ? 救院騎士団(シュピタラー)は、むしろ教皇やイエズス会と対立してエキュメニズム(世界教会主義)を計画し、イルミナティや「フランス大オリエント社(GOdF)」を創設して、フランス大革命を引き起こした本体なんじゃないのか?」
「彼らの支援でできた革命政府は、八九年十二月、カトリック教会の資産を抵当にしたアシニャ(割当)紙幣を発行した際に、救院騎士団(シュピタラー)の資産もいっしょにガメちゃったんだよ。それに文句を言っていたら、こんな風に本拠地まで攻め込まれた」
「で、肝心のエジプトの財宝って見つかったんですか?」
「さあ……。七月にエジプトに着いて、現地のマムルーク政権を倒したものの、八月一日にはアレキサンドリア市沖のアブキール湾にネルソン提督の大ブリテン艦隊がやってきて、海戦で大敗。ナポレオンは、エジプトで孤立。その間に北イタリアもオーストリアに取り返され、経済の混乱もさらに悪化。そんな情勢で、ナポレオンは、単身でエジプトを抜け出し、九九年十一月、パリ市に戻って、クーデタを起こし、腐敗政治の元凶で抜擢人事の恩人のバラスを追放し、自分が第一執政(コンスル)になってしまった。で、一八〇〇年一月、彼が最初にやったのが、フランス銀行の創設。金銀複本位制で、アシニャ(割当)紙幣は廃止、旧政府の負債もまるまる踏み倒した」
「持っていたカネが、文字通り紙クズになるなんて、腐敗した政治家や御用商人にとっては散弾大砲の水平打ち以上の破壊力だっただろうな」
「だけど、この時点では、紙幣を廃止できるほどの量の、現物の金銀があった、っていうことですよね」
「やっぱりエジプトの財宝か?」
「まあまあ、それは後で。このころ、北イタリアは、またオーストリア・ロシアの連合軍に荒らされていた。そこで、五月、例のナポレオンのアルプス越えの奇襲だ」
「ダヴィッドが翌〇一年に描いた白馬に乗った英雄だな」
「でも、しょぼくれたナポレオンが雪道をロバに乗って行く絵もありますよ」
「あれは、ドラローシュが半世紀も後に、英国人に売るために描いたもので、最初から悪意に満ちたカリカチュア(戯画)だよ。実際は、雪の消える五月に、先発工兵隊を送り込んで道を整備し、一気呵成に馬と大砲で駆け抜けた。だから、奇襲なんだ。で、六月十四日夕刻、ナポレオンの援軍によって、ミラノ市とトリノ市、ジェノヴァ市の中央のマレンゴで逆転圧勝。七月には、政教和約(コンコルダート)で、没収財産を弁償しない条件でカトリック教会を承認した。また、十二月には、モロー将軍がミュンヘン市の先まで攻め込んで、翌一八〇二年二月、オーストリアとのリュネヴィルの和約で、北イタリアやライン左岸(西側)のフランス領有が確立。三月、大ブリテンとのアミアンの和約で、大ブリテンはマルタ島やエジプトから撤収、フランスはナポリやローマ教皇領から撤収。この二つの和約で対外関係を安定させ、八月、終身執政になる」
「選挙無しの終身身分なんだから、この時点で彼は事実上の王になったということだよな」
「大ブリテンの女王アンを造幣局長官の錬金術師ニュートンが支えたように、八方の戦闘に駆け回るナポレオンを支えたのが、外務大臣のタレーランと内務大臣で財宝官のシャプタル」
「タレーランは、司教のくせに、教会資産を没収してアシニャ(割当)紙幣を発行した人ですよね」
「そもそもナポレオンのクーデタを画策したのも彼だからね」
「すごい策士だな」
「その才能を買って、こんどは外務大臣か」
ミュージアム建設の宝くじ
「シャプタルは?」
「もともと南仏の薬剤師の息子で、モンペリエ大学の化学教授」
「もろに錬金術師だな」
「このころは、すでに産業革命の時代だ。彼は叔父の莫大な遺産で硝酸やアルミなどの化学工場を創設している。そして、大革命の前年には、三〇歳で国王の聖ミカエル騎士団に抜擢されている」
「だったら、王党派じゃないのか?」
「かもな。国王処刑の九三年に『モンターニュ(急進上座)派とジロンド(ボルドー)派の対話』なんて書いて、逮捕された。それで、その後は政治から手を引いて、パリ美術工芸学校の創設したり、ワインの加糖発酵を発明したり」
「なんでもやるんですね」
「彼の中では、化学も、芸術も、農業も、ひとつのものだったんだろうな」
「まさに錬金術というところじゃないか」
「その彼が、ランジェ侯爵の後を継ぐ財宝官として経済再建でやったのが、ミュージアム(博物館)」
「ミューズの館、シャプタルは、まちがいなく「ヌフスール(九美女神)」のメンバーでもあったんだろうな。考えてみれば、ミュージアム(博物館)って、たいてい新古典主義の建物だ」
「ようするに、新時代のメイソンロッジそのものだよ」
「あれ? 私、学芸員だから、メイソンロッジの事務係ということですか?」
「時代が時代ならね」
「でも、ミュージアム(博物館)なんかで経済再建ができるんですかねぇ。どこでもガラガラで、人なんかあんまり来ませんよ」
「メイソンロッジなんだから、それくらい目立たない方が好都合なんだ。重要なのは、巨大な箱物を作ることさ。一七五九年に大英ミュージアム(博物館)を建てるとき、宝くじで莫大な建設資金の調達をしたんだよ」
「シャプタルも、同じ手を使った?」
「教会を潰したら、大量の土地が出てきただろ。同様に、王族を潰したら、莫大な美術品が出てきたんだ。これらをルーヴル宮だけでは収容しきれず、リヨン市、マルセイユ市、ボルドー市、ジュネーヴ市、ナント市、リル市、ブリュッセル市、ストラスブール市、ナンシー市、ディジョン市、トゥールーズ市、カーン市、ルーアン市、レンヌ市、さらには、新領土のライン左岸のマインツ市にミュージアム(博物館)を造らせた」
「宝くじで地元の現金を吸い上げ、巨大建設工事を落とし、経済活性を図った、ということか」
「国会議事堂なんか作って政治議論を沸騰させてしまうより、美術工芸品を祭る神殿を作って静かにさせた方がましですものね」
「大英ミュージアム(博物館)は、奇天烈なガラクタの寄せ集めで、オカルト薔薇十字団(ローゼンクロイツァー)趣味の最後の徒(あだ)花(ばな)だが、シャプタルの作らせたものは、まさに美の殿堂。近代ミュージアム(博物館)の原点なんだ」
「博物館と美術館の違いですかね。神さまや王さまに芸術が取って代わって、そのための教会だか王宮だかを作ることで、街や国家のシンボルにしようとしたんでしょうか」
「でも、わけのわからない理性なんか祭るより理性的だな」
「だけど、エジプト、ぜんぜん関係ないじゃないじゃないですか。やっぱり財宝はなかったんですかねぇ」
「いや、軍隊のほかに総勢二百名もの研究調査団が随行している。ただ、負けイクサだったから、ナポレオンは、なんの成果も持って帰って来られなかった。彼が持ち帰ったのは、これらの美術館の元になる、アレキサンドリア市の図書館の理念だけ」
「でも、宝くじだけで経済復興して、あれだけの大戦争ができるほどの軍資金が調達できたんでしょうかねぇ?」
「うーん……」
『悪魔は涙を流さない』から