純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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終戦直前の1945年8月9日0時過ぎ、ソ連軍がいっせいに満州になだれ込んだ。だが、同地を守備するはずの関東軍は、もぬけの殻。それで、現地邦人130万人が犠牲になった。

ドイツ降伏の5月、ソ連が全軍を東方に振り向けることは、すでに関東軍も把握していた。しかし、独ソ開戦前の日ソ不可侵条約を頼みに、戦力を南方の難局に割いていたため、自力で広大な満州を保持することは不可能。かといって、このことを130万もの現地邦人に知らせれば、パニックを起こし、道路や鉄道を麻痺させてしまい、戦力を後退集約して拠点保持することもままならなくなる。そこで、関東軍は、隠密裏に、自分たちだけ先に逃げ出していたのだ。

そもそも「終戦」という言い方からして、たいがいなものだ。うちの父方の祖父は、なまじ戦時中にたいそうな身の上だったせいで、けっこうな額の恩給をもらい続け、そのせいで、そのうちすぐに帝国が復活して自分を呼び戻してくれると信じ、後半生を無為に費やした。一方、母方の祖父は、数百年来の大店商売に早々に見切りをつけ、言葉のいらない手品で進駐軍将校たちと親交を結び、英語を学ばせた息子たち(私のおじたち)を世界的な航空会社やホテルチェーンに送り込んだ。

知ってのとおり、本田宗一郎なども、戦後の一年こそ「人間休業」したが、打ち棄てられていた軍用無線機の発電エンジンをふつうの自転車に載せ、焼け野原を荷物運びで走り回る簡易バイク「バタバタ」に仕立て、戦後復興の経済活動に大いに貢献した。また、広島の製菓業者、松尾孝は、不足する配給制の米に代えて、米国から大量輸入されていた小麦で、あられ「かっぱえびせん」を作り、カルビーとして子供たちの飢餓と栄養に向き合った。

時代の変わり目において、政治はその激変を表面的に抑えて、ごまかそうとする。ちょっと東に行ってくるだけと言った帝が、京に150年も戻っていない。福島で原発がメルトダウンを起こしていながら、あれは予定通りの「爆破弁」だ、とか、ただちに影響は無い、とか、方便をかます。もうみんな忘れたのだろうか。

いや、父方の祖父のように、個人もまた、価値の転換、時代の激変を理解したくない、理解しようとはしないものだ。まして、それが苦労して手に入れたものとなると、いよいよだろう。たとえば、江戸時代、寒冷な山の上まで村を作って、何代もかけて棚田を拓いた。しかし、その後、農地改良だの品種改良だので平地で大量の米が獲れるようになり、米余りになると、生産効率の悪い山村そのものが無意味になり、いまとなっては、管理のカネと手間ばかりかかる「負動産」として、原野としてさえも売るに売れない。

商店街もそうだ。鉄道がやってくると、我先に駅前に店を出した。それが、自動車社会にになってロードサイドの大型店やショッピングモールに顧客が移り、鉄道の本数も激減して、通学高校生が朝夕に通り抜けるだけ。こんなシャッター通り、やはりもはやだれも買い手がつかない。団塊世代の老人だらけでバスしか通っていない郊外型住宅地、所有者不明、管理費踏み倒しだらけで廃墟化しつつあるマンションなども似たようなもの。

いま起こっていることも同じだ。文明論として見れば、ナポレオン時代から二百年、地方から大勢の均一の人員を集め、工場や会社で働かせ、かれらにまた製品や娯楽を売りつける、という大衆社会のソシアルモデルが終わりつつある。ネットは、新聞やテレビ以上の超巨大な複製装置であり、製品や娯楽の生産に、もはや大勢の均一の人員など必要としない。1対全体、で出来てしまう。だから、少数の超富豪と大量の大貧民という経済格差を生じる。

そして、このことは、文明とともに出現した都市という数千年来のパラダイムさえも終わせるのかもしれない。都市は、言わば寝に帰るだけの蜂の巣のような「子供部屋」と、飲食店や娯楽施設という「共用部分」でできている。つまり、もともと生活体として、シェアハウスのような融合構造になっている。しかし、都市の単身者ないし核家族が、生産と消費を兼ねて経済を廻し、それが地方を巻き込む、という経済エンジンが、ネットという超巨大複製装置で不要になったとき、それをになってきた単身者や核家族の生活を支える飲食店や娯楽施設も当然、不要になる。

そういえば、関東軍ともゆかりの深い大企業が本社ビルを売るとのこと。「休業補償金」が多いとか、少ないとか、そういう話こそ、まさに目眩まし。みなが気づいていないいまならまだ、たしかに損切り売抜けできる。いや、気づかれないように、むしろあれこれ良い知らせのチャフをばらまいて、狼狽売りの大暴落が起きないように世論操作しながら、上級国民だけは、隠密裏にうまく財産を処分し、腐って崩れる前の都市を棄てて逃げ出す。

……なんていうのは、ダレヤノンだかお宝ハンターだかの陰謀論にちがいない。ワクチンはすぐに普及するし、集団免疫はできるし、オリンピックも開催して、人類は勝利、勝利。日本中が go to で、飲食店や観光地もウハウハになる。おまけに、カジノだの、万博だの、クールジャパンだのもあるから、インバウンドで外国人がわんさかやってきて、日本は、世界のカネが落ちまくり、もうえらい空前絶後の繁栄を迎えるにちがいない。それまでの我慢、と、信じれば、とりあえずまあ、こんな状況でも不安はきれいに無くなる。

とはいえ、現実の激変そのものは、けっして止められはしない。ただ我慢してずっと待っていも、たぶん世界はもうあなたをけっしてまた迎えに来たりはしない。たとえ再開するにしても、きっともっと若手があなたに取って代わるだろう。だから、むしろこの機会にいっそその「休業補償金」であれこれ清算し、文字通り「人間休業」でもして、別の人生を考えるのも、後半生をムダにしないために大切な方策かもしれない。まあ、よう知らんけどね。