スバルの新車発表会が成田空港にあるJALの格納庫で行われました。格納庫のなかには現役のボーイング787型機の姿も。しかし単なる企業コラボではなく、実はバックにおかれた旅客機にもスバルのモノづくりが関係していました。

影の主役だったかも!? JALのボーイング787型機

 スバルは2020年10月15日(木)、新型「レヴォーグ」の発表会を、成田空港にあるJAL(日本航空)の格納庫で行いました。

 JALの格納庫で新車の発表会を実施したことについて、スバルは「数年前より、JAL様とはメディア向けイベントを共同で実施したり、レース車両の輸送を依頼する関係です」としていますが、それだけが理由ではないようです。実は発表会場には新型「レヴォーグ」以外にもスバル製品がありました。


JALのボーイング787型機とスバル新型「レヴォーグ」(2020年10月、柘植優介撮影)。

 一緒に展示されていたボーイング787型ジェット旅客機。これは名称のとおりアメリカの航空機メーカーであるボーイングで製造されたものですが、その機体の70%近くは他メーカーが開発生産したパーツになります。こうしたサプライヤーのひとつとして、スバルはボーイング787型機に関与しているのです。

 ボーイング787にはスバル含め日本の数十社が関与しており、その分担割合は約35%。すなわちボーイング787型機の3分の1は日本製といえます。なかでもスバルは中央翼や主脚格納庫などの重要部分の生産を受け持っていることから、今回の新型「レヴォーグ」の発表会で用いられたといえるでしょう。

富士重工が誕生したのも飛行機生産のため

 スバルの源流が、航空機メーカーの「中島飛行機」であることは比較的よく知られていますが、太平洋戦争後の財閥解体によってバラバラになった中島飛行機系企業5社(東京富士産業、富士工業、富士自動車工業、大宮冨士工業、宇都宮車両)が再結集したきっかけも航空機を生産するためでした。

 この5社は航空機の開発・生産を事業目的とする「富士重工業」を共同出資で設立、のちに富士重工業が5社を吸収合併する形を取り、現在のスバルに繋がる富士重工業が正式にスタートしています。

 富士重工業は発足から間もなく保安隊(現在の自衛隊)向けの練習機として、アメリカ製のT-34「メンター」のノックダウン生産およびライセンス生産を始めています。なお、スバルの自動車づくりの原点といわれる「スバル360」の誕生は1958(昭和33)年なので、それよりも飛行機生産の方が4年ほど早かったのです。


JALのボーイング787型機とスバル新型「レヴォーグ」(2020年10月、柘植優介撮影)。

 現在でもスバルは、ボーイング787以外にもボーイング777Xの中央翼や主脚格納部などにかかわっています。ほかにも民間向けの最新型ヘリコプター「ベル412EPX」をアメリカのベル・テキストロンと共同で開発し、それを基に陸上自衛隊向けのXUH-2多用途ヘリコプターの開発を進めています。

 そう考えると、新型「レヴォーグ」の後ろにJALのボーイング787型機が鎮座していたのも合点がいきます。もしかしたら「鶴丸マーク」の下に赤と白のボディカラーのレヴォーグがあったのも偶然ではないのかもしれません。