川口 雅裕 / NPO法人・老いの工学研究所 理事長

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少なくとも企業においては、いろいろな属性の人が集まったからといって、「ダイバーシティが実現した」ということにはならない。年齢、性別、国籍などが多様になったら、自然にイノベーションが生まれ、業績が向上するわけではないからだ。当たり前だが、組織内に色々な属性の人がいることと、色々な能力や視点を持つ人がいることとは同じではない。

ダイバーシティとは、(少なくとも企業にとっては)組織にいる人たちの能力や視野・視点などがバラバラである状態を意味するのであって、属性を多様にするのは、そうなれる可能性が高い方法あるいはそうなれる近道なのではないかと考えられるからだ。したがって、属性を多様にしようとするだけでなく、属性には関係なく、能力や視野・視点などがバラバラである状態をいかに作るかに努めるべきである。

この点から、多くの企業がダイバーシティの実現に苦労する理由を三つ指摘したい。

一点目は、勉強不足である。大した勉強もしないのに、色々な能力や視点を持つ人がいる組織になるわけがない。また、会社が用意した研修を受講するだけだったたり、会社が推薦する資格を皆で取ったりしても多様にならないのは当然である。(そのような学びでは、むしろ画一化が進む可能性もある。)

総務省の「平成28年社会生活基本調査」で、社会人が自己学習に使っている時間が、1日平均6分間だったというニュースは話題になったが、以前から、日本のビジネスパーソンが諸外国に比べて際立って学ばないのはよく知られている。日本企業は多様性がないと言われるが、それは勉強不足が大いにたたった結果かもしれない。

二点目は、対話不足だ。多様性の種である“違い”は、十分な対話を通してしか理解できない。“違い”を属性からは判断できない。属性を通して“違い”を見出すのは不可能である。なのに、対話もせずに相手を理解した(こちらのことも理解してくれた)と思い込んでいる人があまりに多い。特に男性管理職には、女性は、若者は、障害者は、高齢者は、外国人はこういうものだという上から目線の先入観に捉われ、それぞれに「配慮を施す」ことが多様性につながるという勘違いが目に付く。

彼らは、「色々な能力や視点を持つ」という言い方をすると歓迎するが、“違い”というと敬遠してしまいがちだ。けれども、多様性とは“違い”の集まりなのであり、“違い”を発見するには対話以外に方法はないのである。なお、違いの理解は、一致点の理解を含んでいる。違うといっても、何から何まで違うわけではないし、もし、互いに一致している点が分かっていないのなら、それは互いの違いもあまり分かっていないことになる。

三点目は、機会不足である。能力や視点が多様であっても、その多様性を自覚できたとしても、発揮する機会がなければ、企業組織にとっても本人にとっても意味がない。実際に、特に大企業において昔の「男性正社員」中心の仕組みが色濃く残っているので、それ以外の人たちの機会は著しく制限されている。「男性正社員」的にならなければ、違いを発揮する機会が与えられない。また、前述した上から目線の先入観も、機会不足の大きな要因となっている。

機会は、力を発揮するだけでなく、成長のチャンスでもある。本人の成長はもちろん、組織にある多様な能力や視点を鍛えるためにも、機会は重要だ。機会の提供こそが、多様性をさらに強化する手法とも言えるだろう。しかし、残念ながら現状は、「男性正社員」中心の仕組みと、それ以外の人に対する上から目線の先入観によって生じている機会不足は、軽視できないレベルである。