“フツーの結論”しか出てこないチームにある、二つの神話。/川口 雅裕
イノベーションが求められている。どんな会社も、新たな顧客、技術、仕組み、組み合わせはないかと、日々、知恵を絞っている。「常識や因習にとらわれず」「とんでもないと思ってしまう」ようなもので構わないので、どんどんアイデアを出してほしいというのが、多くの会社の経営が発する号令だ。しかし、いつまでたっても、相変わらず普通のアイデアしか出てこない。これは、多くの組織が持つ2つの悪癖、あるいは神話のようなものの存在が原因である。
一つ目は、「いろいろな人が参加したほうが、いいアイデアが生まれる」という思い込みだ。もちろん、バラバラの視点から出た多様な意見が、それぞれそのまま尊重されるのであればいいのだが、ほとんどの場合、参加者の“合意”を作ろうとしてしまう。全員がそれなりに納得する結論を得ようとする。共通点や平均的なラインに焦点が当たるので、カドが立ったアイデアや特異な意見は捨てられていく。いろいろな人の気持ちを慮るという私たちの習性で、集まるとだいだいそんなプロセスを踏む。独りで考えるほうがよほどマシで、集まれば集まるほど凡庸な結論が生まれ、集まった意味が感じられないということになる。
そもそも、社内の人がいくらたくさん集まっても“いろいろな人”になっているかどうかは疑わしい。外から見たら、同じ釜の飯を食っている時点で似たような人たちだろう。そう考えれば、集まるメリットと言えば、「あとで、モメない(聞いてないと言われない)こと」と「特定の誰かが責任をとらなくていい(皆で決めたから)」という、二つのリスクヘッジくらいではないだろうか。
二つ目は、「結論は、論理的に導かねばならない」という神話だ。求められているのは、非連続で挑戦的なアイデアを生み出すことである。データや事例から論理的に導けるのは、過去に起こった結果の原因や共通点などだが、それらには必ず情報に漏れがあったり、固有の事情や背景があったりするから、しょせんは仮説にすぎないし、因果関係もよく分からない。だから、論理的に導いた“成功の法則”にならって、同じようなことをやってみても上手くいかないのである。
非連続で挑戦的なアイデアを生み出すのに必要なものは、観(歴史や社会全体を俯瞰する視点)や思想や情熱であり、それらを補完する要素として論理が存在する。大きな流れや変化を読む、様々な組み合わせを発想する、やる理由ややらねばならないという使命感を持つといったことが重要であり、論理的思考はその成否を想像する程度のこと。簡単に言えば「やってみなければ、分からない」のだが、ロジカルシンキング信奉者は口が裂けてもそんなことは言えないだろうし、乱暴な考え方にしか聞こえないだろう。
イノベーションの種となりそうなアイデアが出てこない理由は、「合意」と「論理」を優先する人たちの存在である。マネジメントに携わる人たちは、自らを含めて「合意神話」や「論理神話」をいかに排除するかを考えなければならない。