誹謗讒言中傷炎上の厄介面倒/純丘曜彰 教授博士
まあ人間の歴史と同じくらい古い。政治なんて、露骨な暴力や戦争より、陰湿に他人の引きずり落としに明け暮れているほうが本筋。ところが、近年、ネットの匿名性に隠れて、ドシロウトたちが湧いて出て、他国の非難から、小学生のイジメまで、わいのわいの。とはいえ、やっていることは同じ。マッチポンプで、自分たちで騒ぎ立てておいて、騒ぎになっているじゃないか、と言って、また騒ぐ。
こういう構造を知っていると、なにかがあっても、それはよくある話くらいのもの。匿名だから、ものすごい社会問題のように見えるが、実体は、少数の特定者たちが24時間365日、偏執的に粘着して、数を膨らまして見せているだけ。匿名性を剥ぎ取ってみると、具体的に限られた数の、頭のおかしい人間があぶり出される。ふつう、社会性のある、まともな人間のやることではない。だから、たいていは、背伸びしているだけのガキか、社会的内実を持ち合わせていないニートや老廃人。
ところが、匿名性を剥ぎ取ると、意外にも、ごく身近な、それどころか味方のようなふりをしてお為ごかしなことを言ってくれているやつが、じつは裏で火付けをしていたりすることもある。内心は、わけのわからない嫉妬に狂っていて、それで、なにかの機会に便乗し、むちゃくちゃをやらかす。その二面性は、まことに浅ましく、ただただあきれるばかり。
もっとも、東大に入ったときから、知る人からも、知らない人からも、嫉妬を浴びることなど、日常茶飯だった。それくらいコンプレックス、つまり、劣等感と自尊心に引き裂かれ、自分を保てず、外に攻撃対象を求めている人は世に多い。ほんとうは、その人の中に問題があるのだから、いくら人を攻撃してみたところで解消するわけがなく、いよいよ苦しみの炎が増すばかりなのだが、そのつど、あいつを引き倒せば、おれは東大より上だ、などという、わけのわからないマウンティング図式で、あらんかぎりの時間と機会に、それも裏から攻撃をしかけてくる。そんな暇があるなら、まともな努力をして実績を上げればいいのに、とも思うが、そうしないから、そんな程度のやつらなのだろう。
政治家や芸能人の世界でも、似たようなものだろう。いや、社内の権力争い、市場のシェア争いでも、同じことはある。フェアに、なんて言ったって、フェアでなくても、勝ちは勝ち、と開き直るやつはいる。それをまた、週刊誌の政治記者、芸能記者、業界記者のようなのが、商売のために煽り立てる。それでどうなろうと、どのみち自分たちが儲かればいい、その大きな儲けからすれば、訴訟なんて費用のうち、というところ。
いちばん厄介で面倒なのが、裏に手を回す連中。たとえば、芸能人を攻撃するのに、本人ではなく、スポンサーに苦情を入れまくる、とか。ここで毅然と、そういうことは本人に直接にどうぞ、うちは関係ありません、と突っぱねればいいのに、政治家や芸能人のように慣れていなものだから、パニクって、いやもう、ものすごい数で、たいへんなことになっている、などと、うろたえて、ああしろ、こうしろ、いや、やっぱりやめろ、と、状況を引っ掻き回し、それで、そこを突っ込まれて、よけいに狂人たちを誘い込み、かえって騒ぎを大きくして、連中の思うツボに落ちる。
いずれにせよ、ようするに連中は一種のテロリストであって、それも、上述のように、匿名性を剥ぎ取れば、その実数は、じつは、たいしたことはない。そうでなくとも、常識的に考えて、まともな人間が、そんなバカなことに関わり合ったりしないことくらい、すぐにわかりそうなもの。つまり、誹謗中傷などいうのは、本人はもちろん上や周囲が、正体不明のテロに屈せず、理性的で毅然としていれば、燃え広がったりしない。しかし、現実は、阿Qのように、妙な少数の連中の工作に煽られて、右往左往し、やつらの燃料としてうまく利用される、軽い人間があまりに多すぎる。
まあ、子供のイジメですら、イジメられたほうに問題があった、なんていう大人が出てくるくらいだから、この問題は、かなり根深い。強姦でも、差別でも、侵略でも、そうやってもっともらしく被害者にセカンドレイプを重ねてきたのが、浅ましき人類の歴史。世間の人間なんて、その程度のもの。ただ、陰で人の悪口を言うやつ、裏表のあるやつ、バカに引きずり込まれて、パニクるようなやつは、いずれまた、やはりなにかで厄介面倒を引き起こすだろうから、気づきしだい、早めに関わりから手を引いた方がよい。
先日、たまたまコンビニで、鳥沢廣栄『図解:お坊さんが教えるイライラがスーッと消える方法』という冊子を見かけた。立ち読みしておもしろかったので買った。年来、売れていて、何度も改版になっているらしい。変な人が多すぎる時代、そんな狂人たちに振り回されない、毅然とした理性をだれもが持つようにしよう。それが、連中を抑え込む最善の手段だ。いくら連中の口をふさいでも、連中の心中の嫉妬の火が燃え残る以上、やつらはかならずほかのところから手を出すのだから。