日本人妻学Vol.2『琵琶湖の人妻」/中村 修治
琵琶湖の対岸は、
雨が降ると消える。
石田三成の居城であった佐和山城跡は、小山の中にある。麓では道がよく分からず迷う者が出る。ほど近い彦根城には観光客が溢れているというのに。滋賀に住む人間も何処にあるのかを正確には知らない。
降り出した雨がやまない。
国道8号線の脇の舗装もされていない道の先。
あるのは、くたびれたモーテルと、佐和山城の城跡である。
用事あるのは、城跡ではなく、モーテルである。
あじさいが濡れている。
ズブズブの轍にレンタカーのハンドルがとられる。
弓子は、雨に濡れた靴みたいに、助手席に張り付いている。
何年ぶりだろう!?会ったのは!?
別れて20年以上が経っている。
わたしの手の中ではじけるのが好き。
夢中になっているあなたが
わたしの上に堕ちてくるのが好き。
そんなことを言う弓子が好きだった。
古いモーテルは、2階建て。
車庫に軽自動車を止めて、その脇の狭い階段をあがる。
一段ごとに、ふたりの重みが軋む。
まだ、外は明るい。
話すことを思いつかない。
話したって冷めるようなことしか言えない。
外の濡れた音だけが頭の中に響く。
ぎこちなさすぎてにやけてしまう。
シャワーを浴びて薄くて情けない掛け布団の中に潜り込む。
弓子も、苦笑いしながら、ワタシに従う。
ちょっと冷たい布団の中で手を握る。
少しだけ強く抱きしめる。
冷たくなった手が
あのやわらかさを求めている。
少しだけ芯を熱くして欲しい。
少しでいいから硬くして欲しい。
全身をかけめぐる歓びよりも
心地よい刹那が欲しいだけ。
早く夜にならないかな・・・。
関ヶ原で戦った徳川家は、当然のように、石田三成を恨んだ。彦根城築城の際、三成の父が守っていた佐和城はことごとく破壊され、城跡の小高い山頂はその形跡もないほど平らに削られた。
あじさいの花びらは震えたまま・・・。
夜になる前に、軋む階段を降りた。
弓子は、いまも、この地で生きている。
旦那と中学生の息子さんと暮らしている。
佐和山城跡への道なんて、きっと、はじめて通ったはずだ。
弓子を降ろしたあと、浜街道を飛ばしてレンタカーを返しに行った。
われは湖の子さすらいの・・・
琵琶湖は、もう漆黒だ。