日本人妻学VOL.1『和歌山の人妻』/中村 修治
鉄塔に跨がれている。
南紀州には、そんな街があった。
ワタシは、まことに恥ずかしい人間である。大学には、小説家になるために入った。親のスネを齧って5年間、うつつを抜かし続けた。どうしようもない空けである。
深夜のバイトにこそこそ出かけ、しらじらと夜が明けるころに、下宿に帰ってくる。昼に起きて、本を読む。オナニーにいそしむ。仮眠して、夜に抜け出す。北野白梅町に流れる紙屋川沿いの暗い道を、あがったりおりたりするだけの毎日を過ごした。
一念発起してやることは、貯めたバイト代でひとり旅に出ることだけ。誰ともしゃべることなどなく、ただ、鈍行列車の揺れに身を任せた。泊まるところがないときは、バス停や無人駅で寝た。なにか書けると思って寝た。
朝起きたら、かなりの確率で夢精をしていた。
ワタシは、吐くほど恥ずかしい男である。
いまも何を目指して生きているのか分からなくなる時間が、ワタシを埋めている。何も起こらない。何も目立ったことのない日常。そんな時を過ごしている、ワタシに似た人妻の話を聴きたくなった。なんならワタシを殺してもいただきたい。
大学のときの恥ずかしいひとり旅から、実に、35年ぶり。
新大阪駅から特急くろしおにゆられて約2時間。
夏休み直前。
誰もいない湯浅駅に降りた。
無防備な艶気があること。それを当人が気づいていないこと。ワタシの琴線に触れるのは、そんな人妻である。抱きたいわけではない。その武器も知らずに、無為な時間を過ごしている、その無防備な時間に、何を考えているのかを聴きたいだけである。
和歌山に棲む千夏子は、そんなお眼鏡にかなった人妻である。小洒落たフレンチを食べさせてくれる聞いた田舎には削ぐわないお店でランチをした。初対面だというのに、紀州のドンファンの話題には、その小ぎれいな顔をくしゃくしゃにしてのってきた。
「国道を跨ぐ大きな鉄塔の足元を左に曲がったところにね、紀州のドンファンの家があるのよ」と教えてくれた。「ピンク色の壁で監視カメラがいっぱい付いているからすぐわかるわよ」と丁寧に念を押した。
千夏子は、有田で生まれて育った。旦那は隣町の湯浅の男。小学生の子どもがふたり。きっと中高生の頃はモテたであろうショートカットの人妻。その無防備な時間のほとんどは、愚痴で埋まった。
川掃除に出ないと罰金をとられてしまう町内会のこと。休日に小さなお祭りが多すぎてゆっくり休めないこと。小金持ちの爺さんが多くて、近所のラブホテルが賑わっていること。お相手は、大阪から出稼ぎにやってくる保険や証券会社のおばちゃんたちであること。
「プチドンファンだらけちゃうかな、この街は・・・」
「それを見て見ぬふりしとるんよ、この街のみんなは・・・」
そんなに窮屈なら出ちゃえばいいじゃん!?こんな街!?
「お義父さんとお義母さんがおるさかいな・・・」
お目当の家は、確かにあった。主人が亡くなってもなお、遺されたままの自意識は、過剰のままだった。資産家の主人は、クスリを盛りすぎてあっけなくこの世を去った。どんなに儲けても、どんなに抱いても、自分からは、逃げられなかった。ドンファンは、聳え立つ鉄塔の真下で死んだ。
往く街、往く街、鉄塔が立ち並び、架線が川のように流れている。
空を見上げるとまるでワタシは、川底にへばりつているようだ。
ワタシは、きっともう、千夏子と会うことはない。
翌日に、和歌山毒物カレー事件の街を訪ねた。和歌山でいちばん有名な人妻である林真須美の家は、夏草が伸び放題の公園になっていた。市内の人たちは、ここを川向こうの街と呼ぶ。この学区の小学生は、未だに給食のカレーを食べないままに卒業をする。
もう何事もなかったように静かである。
飛び出し坊やだけが「あぶない」と叫ぶ!!!
少しだけ夏が濃い。