ビジネスセンスを磨く 仕事ができることと、出世することは無関係か!?/猪口 真
会社から給与をもらうビジネスマンであれば、誰であろうと、「ひとつでもポジションを上げて出世したい」「結果を出して、給与を上げたい」と考えていることだろう(と思う)。そして、そのために、社内外の人脈をつくるために精力的に外部の勉強会に出席したり、ビジネススキルを身に着けようとしたり、寸暇を惜しんで少しでも多くの仕事をして実績を積もうとしたりする人は少なくない。
しかし、こうした日々の努力は、出世に向けて報われるのだろうか。
出世するためには、仕事ができて結果を出せばいいのだろうか。
仕事ができれば出世できるのか?
このテーマは、サラリーマンが集う居酒屋でよく議論になることだ。
「仕事ができれば出世できるのか?」
ここで、よく出るセリフは、「なんであんなに無能なのに上にいるのか?」だろう。
仕事の出来不出来と出世はまったく関係ないと言わんばかりのセリフだ。
とはいえ、何らかの評価があったからポジションが上がっているのだが、ここで問題となるのが、「仕事ができる」という評価は、あくまで相対的な評価であるということと評価するのはその会社の人だということ。
「仕事をした」「結果を出した」「目標をクリアした」といくら叫んでみても、その結果が本当にその人の貢献、その人のスキルのおかげだったかを評価するのは、あくまで社内のほかの人との比較であり、評価する人は残念なことに、その会社の人だ。なので主観も入れば、好き嫌いも入る。
最終的には、その会社の経営者の判断ということになるのだろう。
経営者(特に中小企業のオーナー社長)というのは、いい意味でも悪い意味でも、「この組織のなかで一番仕事ができるのは自分だ」と思っている人種なので、仮に、客観的に、その組織のなかで経営者を超える能力を持った社員がいたとしても、それを認めることができる経営者はめったにいない。
だから、よく言われることなのだが、社長以上の人材は、その会社にはいないということになる。
あなたが、独立した経営者なら分かるだろうが、「自分のほうができる」と思うから独立し、会社を立ち上げたはずなのだから。
かつて、ある高名な経済学者が、「本当に仕事ができる人は出世しない。出世には別のスキルと業務が必要で、仕事ができて忙しい人はその業務をこなすことができない。仕事ができず、暇な人に限って出世のためのタスクをこなすことができる」と語ったのを聞いたことがある。
当時、まさにその通りだと感じたものだ。
本当に仕事ができて忙しい人は、社内の人脈づくりや仕事外の付き合いに使う時間などないし、使うつもりもない。
仕事ができる人は、すぐに転職する?
仕事とは、ある意味普遍的なので、ある仕事ができる一流の人は、別な仕事をしても一流である可能が高い。
その仕事が仮に職人的な仕事だとしても、何もその会社を通して仕事をする義務はないのだから、別の組織として、そのソリューションを提供してもまったく問題はない。
(特許や著作権の所在がどこかというのは、よく裁判になったりする)
だから仕事が本当にできる人は、つまらない組織にいる必要はまったくなく、そんな組織のなかで出世したところでたかが知れていることを十分にわかっている。
結局、仕事ができる人は、さっさと転職する。
ただし、勘違い野郎は失敗する
自分が成果を出し、「俺はこんな組織にいるような人材ではない」と勘違いするビジネスマンも、これまた多い。この手のビジネスマンは、普段から不平不満を口にしている。今の自分で甘んじているのは、上司と組織のせいというわけだ。
組織の力というのはあなどれないものだ。組織だからこそ、仕事が生まれ、利益が生み出される。
最近は、コンプライアンスの観点から、新規の取引にもかなりの時間と労力をかけ、「信用度合」を調査する。そうしたハードルを乗り越えてきたところだけが、現在生き残っている。
今の給与がもらえているのは、会社のおかげであることを完全に忘れ、転職や独立したはいいものの、その後、痛い目に合うことになる。
自分自身のビジネス戦略をどう描くか
結局、自分がどういう道を選ぶのか、自分で決めるしかない。
自分の仕事のスタイルは、自分で決めよう。
成果や実績、ビジネススキルとは関係なく、現在の組織に生き続け、出世という階段を上るという戦略も立派な戦略であり、誰からも文句を言われることはない。ただし、その場合、求められる能力は、誰に引き上げてもらうかによるし、状況によっても異なる。その嗅覚を磨くのは、たやすいことではないし、周囲の決めたレールに乗っても。そのレールが未来に続いているのかどうかは、わからないし、保証もないことは、理解しておかなければならない。