アウェイゲームでもっとも警戒するべきなのは、スタジアムの雰囲気にある。

 敵地に乗り込んだ自分たちが、ブーイングを浴びせられるのは問題ない。ホーム&アウェイの戦いを日常とする選手たちであれば、それはもう分かっていることだ。ホームとアウェイの違いがJリーグより明確なヨーロッパでプレーする選手なら、アウェイでは力関係は関係なしに押し込まれることも想定できる。

 ならば、「アウェイの難しさ」と言われるものの正体は何なのか。

「錯覚」である。

 ホームチームがボールを奪った瞬間に、観衆が盛り上がる。声援のボリュームが一気に上がっていく。自分の感覚ではまだ危機は近づいていないのに、観衆はいまにも決定的なシュートを浴びせるかのように盛り上がっている。

 アウェイで戦う選手たち胸に、疑念が広がっていく。自分の視野に入っていない局面で、相手選手がフリーになっているのか。ひょっとしたら、本物の危機が迫っているのか──。

 日本がキルギスのホームで戦うのは、11月14日が初めてだった。観衆は17500人強だったから、スタジアムのサイズに圧倒されることはなかっただろう。テレビで観戦していても、大きさよる威圧感は伝わってこなかった。

 それでも、初めて触れる観衆の息遣いは、選手たちの心を揺さぶったかもしれない。ホームのキルギスが勢いを持って入ってくると想定していたはずなのに、序盤はペースを持っていかれそうになった。決定機を生かせず、相手にも鋭くゴールに迫られた。

 それでも、慌てたところはなかった。スタジアムの空気感に影響されて状況判断を誤り、不用意にファウルをするような場面はなかった。現実を錯覚することによって、自らリズムを乱してしまうことはなかったのである。
 
 それでもキルギスにリスタートを多く与えてしまったのは、相手のアグレッシブさを讃えるべきだろう。最終ラインから対角線上にタテパスを通し、日本の視線を揺さぶってからペナルティエリアに侵入してくる戦略は、酒井宏樹と長友佑都が攻め上がったスペースをカウンターで突くパターンとともに、しっかりと練り上げられたものだった。

 日本の得点はいずれもリスタートだった。南野拓実が自ら獲得したPKを蹴り込み、原口元気が直接FKを決めた。

 流れのなかから得点をあげられず、かつ、9月のミャンマー戦(直前のパラグアイ戦も)と同じく3点目を奪えなかったが、キルギスはグループ内でもっとも力のあるチームだ。未知の環境だったことを踏まえれば、2対0でも悪くない。

 Gk権田修一に救われたところはあった。2次予選4試合連続出場の守護神の活躍がなければ、結果は違ったものになっていたかもしれない。

 立場を入れ替えて考えてみる。日本が格上のチームと対戦し、チャンスは作ったものの決め切れずに敗れたら──我々はどう考えるか。

 相手GKを讃えるよりもまず、チャンスを生かせなかったというスタンスをとる。「得点機は作ったのだから次は決められる、次は勝つ」という思考回路にはなれない。それどころか、決定力不足を嘆くこともある。

 キルギスのサッカー関係者が、日本人と同じように考えるとは言わない。ただ、FIFAランキング94位の国が28位の国に敗れて、「チャンスは作れたから、次は勝てる」と思えるだろうか。

 それは難しいだろう。チャンスは作れたものの無得点に終わったことで、「次回は日本も自分たちを警戒してくるに違いない。それによって、今回よりも難しい試合になるだろう」と想定するのがノーマルな思考だ。

 堂安律と久保建英がU−22日本代表に招集され、中島翔哉もスタメンから外れた2列目で、伊東純也と原口元気が自分なりの「色」を出したのは今後へのプラス材料だ。2次予選の折り返しとなる4試合を終えて、2列目は所属クラブで好調な選手を使い分けながら戦える目途が立った。

 あとは、大迫不在時のプランBをどうするのか。キルギス戦では永井謙佑のスピードが生かされた場面が、率直に言って多くなかった。

 大迫と違った個性を最前線に置くのは悪くないが、永井を中心とした崩しのパターンをどこまで作れるか。森保監督は永井、鈴木武蔵、オナイウ阿道らの国内組の招集を優先しているが、来年3月以降は海外で結果を残している選手も視野に入れたい。所属クラブで結果を残していくことを前提に、FWについては選択の幅を広げたいところだ。