釜石にラグビーW杯を。仕掛け人・増田久士が明かす大会までの“トライ”
2019年のラグビーW杯に向けて、岩手県釜石市に建設された「釜石鵜住居復興スタジアム」。大会本番ではフィジー対ウルグアイの試合を開催し、人口約3万4,000人の釜石に約1万4,000人の観衆が足を運びました。ナミビア対カナダの試合は台風の影響で中止となってしまったが、W杯の開催によって街は大いに活気づきました。
釜石には、トップチャレンジリーグ(2部相当)に所属する「釜石シーウェイブス」があります。新日鉄釜石ラグビー部時代にはリーグ7連覇を達成しており、釜石は“ラグビーの街”として盛り上がりを見せました。
そんなラグビーの街で行われた、自国開催のW杯。2011年の東日本大震災で多大な被害が生まれ、市民の生活もままならない中で、なぜ釜石は大会の誘致に踏み切ったのでしょうか。そして本番までの知られざる過程と、今後の展望とは。
ラグビーW杯推進本部事務局で主幹を務め、釜石鵜住居復興スタジアムのマネージャーでもある増田久士氏が、2019年10月24日に株式会社Future Sessionsが中心となって開催している「ノーサイド・ダイアログ」に出演。そのイベント後に話を伺いました。
東日本大震災からの復興。そのフックはラグビーしかなかった
私は東京大学ラグビー部の出身で、卒業後には関東ラグビーフットボール協会事務局に就職しました。2006年から釜石に移り住み、釜石シーウェイブスの事務局長を務めています。
関東ラグビーフットボール協会にいた時は、ラグビー熱を高めるために様々な取り組みをしていました。ラグビーのトップリーグを作ろう、タグラグビーの全国大会をやろうと動いていましたが、残念ながらラグビー熱は高まらず。
上層部では、ラグビーW杯を日本に誘致することも目指していましたが、私は別の形でラグビー熱を作れないかと考えていました。そして、ラグビーの街である釜石から、日本ラグビー界を盛り上げることに決めたんです。
2011年の東日本大震災では、釜石に大きな被害が及びました。当時、釜石シーウェイブスの事務局次長を務めていた親友は、妻と子供と両親を亡くしてしまい、遺体も見つからず。市民も生活がままならない状況でした。
震災後は街の復興が必要になります。釜石は以前、企業城下町として栄えていて漁業や製鉄業も活発でしたが、その勢いは徐々に薄れていきました。結果的に街に残ったのがラグビーだった。「復興のためにはこれしかない!」と思ったんです。そうして考えついたのが、8年後に日本で開催されるW杯を釜石に誘致することでした。
ただ、当時の釜石はラグビー熱が冷めてきていましたし、日本全体でもラグビーは下火になっている状況でした。市民の生活もままならない中で「W杯を招致しよう!」と訴えても、当然ながら批判は出てきます。
それでも街は前に進むしかなかったですし、W杯に向けた明かりが灯れば、事務局次長の親友も少しでも前向きになってくれるのではないかと。そんな想いを持ちながら地道に活動をしていくと、徐々に共感してくれる人も増えていきました。
開催決定からW杯前哨戦までに、反対派はほぼゼロへ
誘致活動を続ける中で、2013年にはW杯組織委員会の業務局事業部長である伊達亮さんとお会いする機会がありました。そこで大会に向けた準備の様子を伺ったのですが、日本は今回が初開催なので既存のスキームもなく、国も協会も模索している段階だと。その話を聞いて、釜石がそこに介入する余地はあると感じました。
ただ、釜石は人口約3万4,000人の小さな街なので、世界的なイベントであるW杯とのスケールの差があまりにも大きすぎた。私自身も釜石シーウェイブスの事務局長という立場だけでは力が及ばないんです。そうなると、やはり公務として携わるために、市役所に入るしか選択肢はありませんでした。
そうしてW杯推進本部事務局に配属となりましたが、誘致活動についてはもちろんノウハウを持っていない人のほうが多いですよね。その中で、しっかりと私の思いと話を聞いてくれる人を巻き込んでいきました。
本来の対話はそういうものではなくて、話を聞かない人にも時間をかけて、理解してもらわないといけないのかもしれないです。それでも私は、あえて反対派と名乗っている人のところには行かなかったんです。賛成派の人々を巻き込んだ。そして、どうやったら反対派の人に理解してもらえるかを話し合っていました。
2015年にW杯の開催都市が発表されて、釜石市は無事選ばれることができました。それまで反対していた人も、開催が決まったら「やらなければ」という想いになりました。イングランドで行われたW杯で日本が南アフリカに勝つと、その人数はより一層増えていきましたね。
そして、2018年のスタジアムの(※)オープニングイベントと、W杯前哨戦の日本対フィジー。両試合ともスタンドが満員になったのを見て、W杯開催に反対する人はいなくなりました。
※釜石シーウェイブス対ヤマハ発動機ジュビロの記念試合と、新日鉄釜石と神戸製鋼のOBによるレジェンドマッチ。ゲストに平原綾香とEXILEを招へいした
スタジアム建設で最も苦労した点と、本番までのトライ&エラー
スタジアムを建設するにあたって一番苦労したのは、建設に関わるすべての人の想いを一つにすることです。釜石でのW杯は岩手県と釜石市の共同開催であり、双方の意見を一致させていく必要がありました。W杯となると、そこに国も関わってくるので、この三者で共通認識を持たなければいけません。
全く構造が違った行政機関が1つのチームになることは、容易ではないんです。私個人の意見を県や国に持ち寄って、チームの中でも認められるように足を運び続けていました。
(※)尾崎半島山林火災の被害木を活用したり、床土改良型のハイブリッド天然芝を日本初導入したり、妥協したくない部分を実現できたのは、やはり全員で力を合わせられたからだと思います。誰か一人の想いだけでは成り立たないですし、建設に関わったすべての人たちがベストを尽くした結果が、あのスタジアムなんです。
※2017年5月に釜石市で発生した大規模山林火災
オープニングイベントに向けては何回も打ち合わせをして、観客の輸送計画を万全に作り上げました。その結果、驚くほどに混雑がなく、観客の皆さんの満足度は高かったです。ただ、イベントの翌日に街の人々から『混雑がなかったのは良かったけど、物が何も売れなかった』と言われました。
あまりにもスムーズに会場まで輸送してしまったため、観客は寄り道をして買い物をするということがなかったんですよね。そこが反省すべき点ということで、W杯では釜石駅を経由して、買い物を楽しんで帰っていただけるような導線にしました。
こういった形で、オープニングイベントとW杯前哨戦でトライ&エラーを繰り返して、本番のフィジー対ウルグアイの試合を迎えることができました。この3試合での収穫は計り知れないほどありましたし、協力する人もどんどん増えていきました。本音を言えば、万全な状態でナミビア対カナダの試合もやりたかったですけどね。
試合は中止になってしまったものの、その後にわざわざ釜石へ足を運んでくれた人もいます。それだけ釜石への関心が高くなっているということですし、私たちや街の人々にとっても、苦労してW杯を開催して良かったと感じます。
物資の売れ残りやホテルのキャンセルも出てしまいましたが、天災ばかりは仕方のないことですし、誰も文句は言いません。「またみんなで協力してやっていこう」というふうに、次に繋げるきっかけにするしかないですし、今後の展開をしっかりと考えて準備を進めていきたいです。
W杯後も地元チームのホームゲームで熱狂を
W杯に合わせて「ラグビーの街」をフィーチャーした商品を出しましたが、どんどん先細りしていきますし、売れないものは淘汰されていきます。それでも商品をきっかけに釜石がラグビーの街だと知ってもらえれば嬉しいですし、合わせて釜石の物産品も少しでも手に取ってもらえたら、街の人々にも精が出ます。
釜石は観光で成り立つ街ではないので、年間を通してツアーを開くことはできないですが、ラグビーのイベントがある時にはミニツアーも開いています。そういった取り組みも継続していけば、釜石のファンになってくれる人も増えていくのではないでしょうか。
W杯閉幕からトップリーグ開幕までの時間は、約3カ月。ただ、釜石シーウェイブスが所属するトップチャレンジリーグ(2部相当)はすぐに開催されます。その中でも釜石シーウェイブスの試合は、W杯後に初めて大会の会場で行われる試合なんです。
これまでオープニングイベント、W杯前哨戦、そしてW杯本番と、3試合でスタンドは満員になりました。次はようやく地元チームのホームゲームなので、ここでしっかりと観客を動員したいですね。
そのための企画は立てていますし、もし満員にならなかったとしても、次に繋がればそれで良いんです。オープニングイベントの時は、イベントまでに約8カ月の準備期間を費やしてきたので、それに比べると準備は拙いところがあります。
それでも、何もやらずに人が来ないよりは、「何かやったけどここまでしか来なかった」という結果のほうが学べることは大きいですから。その積み重ねでスポーツマネジメントの能力が身についていきますし、そこで学んだノウハウやナレッジは継続していかないと意味がありません。
今回このイベントに出演させていただいたのも、次に向かうための貴重な機会だったと思います。参加者には交友関係のある方も多かったですが、今までとは違った話題で意見交換することもできました。頭の中では次を見据えていても、こういった機会がないと、なかなか先には進めないですからね。
ノーサイド・ダイアログに出演した増田さん
大事なものは失った時にしか気づかない
正直、これからW杯の時ほどのインプレッションを生み出すことはかなり難しいです。今後はラグビーやスポーツはもちろんですが、あのスタジアムをシアターやコンサート会場としても活用していければと思っています。
そして、釜石には次々とプレイヤーが出てこないと。ここで言うプレイヤーとは、選手はもちろん、イベントをマネジメントする人のことも含みます。これまでは私が主体となって進めてきた部分が多かったですが、その活動の中で、私より10歳、20歳も下のプレイヤーが出てきています。そういった人たちが今後、街やスタジアム、釜石シーウェイブスを上手く活用していってくれればなと。
最近の若い人々は、何か良いことが会った時に、周りにシェアするという良さを持っています。独り占めにしていたら、世の中が上手くいかなくなることを分かっているんです。ただ、私たちの世代は独り占めにする人がまだいたので。それがもうナンセンスだと分かっている世代がどんどん育ってきますし、より良い知恵が出てくるのではないでしょうか。
私はそこまでの繋ぎ役としてやってきただけで、良いものは継承していってもらいたい。そうして、時々W杯のように大きな花が咲けば、ラグビーの街はきっと長く続いていきます。物事を進める時に、理屈よりも気持ちで動いていくことができるのが、釜石の良さだと感じています。
大事なものは失った時にしか気づきません。今回のW杯を通して、釜石にとっての大事なものを再認識した人は多いのではないでしょうか。特に素直に受け止めやすい子供たちにはスッと入ってきたはずですし、大人も心の中に喜びを覚えているはず。その熱狂をさらに高めるためにも、W杯で舞い込んできた様々なチャンスを掴んでいきたいです。