「ラグビーの街」として再び輝きを。W杯開催地・釜石の可能性と未来
2019年9月に開幕し、盛り上がりを見せているラグビーW杯。その開催1年前から東京・丸の内で行われているのが「丸の内15丁目PROJECT」だ。これは大会のオフィシャルスポンサーを務める三菱地所が展開しており、「開幕に向けてさらに機運を高めるため、ラグビーのインテリジェンスな魅力に着目し、今までにない新たなラグビーの魅力を体験できるイベントを丸の内エリアを中心に展開する」というもの。
※公式リリースを参照
https://www.mec.co.jp/j/news/archives/mec180903_marunouchi15_start.pdf
その丸の内15丁目プロジェクトの中で、株式会社Future Sessionsが中心となって開催している「ノーサイド・ダイアログ」。様々なテーマとラグビーを掛け合わせ、相互の理解を深める対話イベントだ。自国開催のW杯で生まれた熱気や、その価値を後世に伝えていこうという思いが込められており、W杯終了後も引き続き行われる予定となっている。
2019年10月24日に東京・丸の内で行われたノーサイド・ダイアログには、ラグビーW杯推進本部事務局で主幹を務め、釜石鵜住居復興スタジアムのマネージャーでもある増田久士氏が出演。「釜石×ラグビー」をテーマに掲げ、参加者とともに釜石の可能性と未来を語り合った。
被災した街を活気づけた、釜石シーウェイブスの存在
イベントには、釜石市の関係者や釜石シーウェイブスのファン、2019年ラグビーW杯で競技の魅力に触れた“にわかファン”など、様々な層が訪れた。登壇した増田氏は、東京大学ラグビー部の出身で、卒業後に関東ラグビーフットボール協会事務局に就職。その後、2006年から釜石シーウェイブスの事務局長を務めている。
釜石市の総面積は、神奈川県横浜市とほぼ同じ約440km2。しかし、人口は約3万4,000人と横浜市の1/100である。2011年の東日本大地震で、釜石は多大なる被害に見舞われたが、増田氏は「釜石はラグビーを忘れかけそうな街だったし、日本全国も忘れかけていたタイミングだった」と当時を振り返った。
そんな状況で街を活気づけたのは、釜石シーウェイブスの選手の存在だった。彼らは重機が稼働しない中でも力仕事を厭わず、街に笑顔を振りまいていく。結果的に選手たちの明るさが、街の人々にラグビーを再認識させるきっかけとなった。
釜石シーウェイブスは、新日鉄釜石ラグビー部時代に7連覇を達成するなど、日本ラグビー史において一時代を築いてきたチームである。その盛り上がりはなかなか継承されていなかったが、東日本大震災を機にチームの露出が急増。それを受けて、周囲の人々からは『釜石でW杯をやったら良いのではないか』との声があったという。
“復興のシンボル”。釜石鵜住居復興スタジアム建設の裏側
釜石鵜住居復興スタジアムは、旧鵜住居小学校、釜石東中学校の跡地に建設された。両校は震災の被害を受けたものの、在校していた約600人全員は無事に避難。その背景を受け、跡地に“復興のシンボル”としてスタジアムを建設することになったのだ。
スタジアム建設の話題を広めるため、釜石シーウェイブスはW杯の誘致イベントを行った。隣町にある大船渡高校出身の元サッカー日本代表・小笠原満男氏や、ミスターラグビーの愛称で知られる故・平尾誠二氏などが友情出演し、メディアへの露出も増えていく。
その後は市民の有志によって、市内にラグビーカフェが建設。世界中からジャージなどの物品が贈られ、日本ラグビーフットボール協会元名誉会長の森喜朗氏も足を運ぶ。そうして誘致活動が広く話題を呼んだことで、釜石市に「ラグビーW杯誘致推進室」が設置された。
しかし、誘致に向けての最大のネックは、交通の便だった。スタジアムは釜石駅からバスで15分の距離に位置しているが、釜石駅から新幹線の停車駅までは、いずれも約2時間以上かかる。
当時は東北道と釜石を結ぶ高速道路の開通や、鉄道の復旧に向けて計画が進んでいたものの、すべてが計画通りに進むかは不透明。それでも増田氏は「W杯を誘致できれば、2019年までには仕上がるに違いない」と誘致活動を進めた。その結果、“復興支援”という1つの目的が運営本部にも共感され、誘致に成功したのだ。
釜石鵜住居復興スタジアムは収容人数が約6,000人(ラグビーW杯開催時は、仮設席含め約1万6,000人)で、建設費は約40億円に及ぶ。この建設費は、スタジアムを含めたスポーツ公園が果たす、防災機能や地域創生といった利点を基に、国や県、関係団体が補助金を交付。残りの費用は釜石市が募った「釜石市ラグビーこども未来基金」から捻出した。
建設までは4年間の準備期間があったため、設備面にも力を入れた。2017年5月に釜石市で発生した尾崎半島山林火災の被害木を活用して、木製のシートを設置。最も重要なコートは、耐久性やメンテナンス性に優れた床土改良型のハイブリッド天然芝を、日本で初めて導入している。このコートでは、釜石シーウェイブスに所属していた元日本代表の伊藤剛臣と松原裕司がスクラムの実験を行い、感触を確かめたという。
2018年8月にはオープニングイベントとして、釜石シーウェイブスvsヤマハ発動機ジュビロの記念試合と、新日鉄釜石と神戸製鋼のOBによるレジェンドマッチを開催。ゲストに歌手の平原綾香さんとEXILEを招へいし、満員の観衆は大いに盛り上がった。
“トライアル期間”を経て本番へ。思わぬ形で釜石の名が世界に知れ渡る
ラグビーW杯までの1年間は“トライアル期間”として、使用料は無償で運営し、730件の事業を請け負い。2018年9月に行った「kamaishi kids try」では、台湾とオーストラリアの子供たちを招待し、タグラグビーで国際交流を図った。
また、小学館監修のもとで、釜石の美しい景観や、地元の人々の想いなどを掲載した“スタジアムブック”を制作。中には英語の文章も記載されており、増田氏は「海外の人にお土産になるようなものが作りたかった」と制作の背景を明かしている。
そのほかにも様々なイベントを開催し、W杯本番まで精力的に活動を続けた。結果的にラグビー熱は子供たちにも伝わり、釜石シーウェイブスのジュニアの選手数は過去最多に。増田氏は「子供たちの記憶にも残したかったので、W杯までは駆け抜けるしかないと思っていた。この波を将来的に少しでも伝染させてくれれば」と想いを語っている。
そして、W杯本番ではフィジー対ウルグアイが開催。この試合は日本ラグビーフットボール協会の森重隆会長と清宮克幸副会長も観戦した。協会の“トップ2”が足を運ぶほど、釜石で試合を行うことには大きな意義があったのだ。
残念ながらナミビア対カナダは開催中止となったが、当日にカナダ代表は、市街地で土砂を片付ける清掃ボランティアに参加した。この行動は日本だけでなく、カナダでもニュースとして取り上げられ、結果的に釜石の名が世界に知れ渡ることとなった。
周囲からは「再び2カ国を釜石に招へいして、試合を開催してほしい」との声もあるという。実現に至るかは定かではないが、その案も含め、ファンの熱量が冷めないうちに次の一手を打ちたいところだ。
釜石鵜住居復興スタジアムは、釜石が震災を乗り越えてきた証であり、今後の釜石にとって希望の灯りでもある。街の人々はもちろん、日本のラグビーファンにも広く愛され続ける場所となることを願いたい。
街の景観、国際交流…。釜石のブランディングに必要なことは?
増田氏の登壇後には、増田氏と参加者による(※)フィッシュボウル方式のダイアログが行われた。
(※)内側の円が対話をする人々、外側の円は対話を聴く人々。内側には一つ空席が用意されている。外側の人は対話に参加したくなったらその席に座り、代わりに内側の一人が外側へ入って対話を進める。
まず話題に挙がったのは、街の景観について。W杯開催時には、釜石はスタジアムを中心に街がラグビー一色に染まった。その色を今後も継続させていくために、積極的に投資していくべきではないか、という意見が述べられた。
これに対して、カナダにゆかりのある参加者は、カナダのアイスホッケーチーム「カルガリー・フレームス」を例に出した。カルガリー・フレームスは、アイスホッケー界の最高峰リーグであるNHL(ナショナルホッケーリーグ)に所属している。試合開催時には、街がチームカラーである赤一色に染まり、お祭り騒ぎになるという。
「試合を見る目的がなくても、街の雰囲気を楽しむためにカルガリーまで行きたくなる。釜石も同じように、街が釜石シーウェイブス一色に染まっていれば、遠くても足を運びたくなるのではないか」(参加者)
また、景観だけでなく、他国との交流によるブランディングの提案も。W杯によってフィジー、ウルグアイ、ナミビア、カナダと4カ国とのコネクションが生まれたため、今後も交換留学やスポーツを通して国際交流を図っていくのはどうか、という内容である。
「例えば、毎年4カ国のいずれかの代表チームを招待して、釜石シーウェイブスや日本代表との交流試合を開催する。こういった取り組みを継続すれば、将来的に釜石が国際的な窓口にもなれるのではないか」(参加者)
釜石鵜住居復興スタジアムでは、オープニングイベント、W杯前哨戦の日本対フィジー、そしてW杯のフィジー対ウルグアイと、3つの大規模イベントを成功させた。しかし、これはW杯の波に乗った結果でもある。
ラグビーの街としての景観づくりや、国際交流によるブランディングは理想にあるが、増田氏からは「釜石の人々だけで一から成し遂げるのは、なかなか難しい。プライドを持った“協力者”がいれば実現に近づける」との本音もあった。
「ラグビーの街」の熱気を再び世界へ
W杯を通して、釜石の“シビックプライド”を感じた参加者は「釜石の人々には心の豊かさがあるように感じる」と羨ましげに語った。
釜石の人々について、増田氏は「やり始めたら最後までやるし、方向性も変わらない。失敗してもネガティブに捉えないし、人間的な深さを持っている」と印象を述べる。その上で「今あるこのパワーを次に繋げていかなければいけない」と今後を見据えた。
また、ダイアログに参加したラグビーの記者は「世界が日本のラグビーを知りたがっている」と語気を強める。10月21日(月)には、W杯での戦いを終えた日本代表が総括会見を行ったが、英訳はなし。会見に出席した外国人記者は、不満を漏らしていたとのことだ。
「こういったチャンスを逃したのは、私たちにとっても悔しいこと。世界が日本のラグビーを受け入れてくれているうちに、情報を出していきたいところではある」(前述の記者)
震災からの復興や、W杯の開催を通して、釜石はようやくラグビーの街としての熱気を取り戻し始めた。この勢いを日本、さらには世界に伝えるためにも、足を止めてはいけない。
「今までと同じやり方だけではなく、新しいやり方も模索していく。今後はスタジアムをもっと大きくするのか、それとも次にW杯が来る時に向けて備えるのか。目標に向かってやり続けていれば、またその次の目標が生まれる。そういった気持ちで挑戦を続けていきたい」(増田氏)
何度倒れても立ち上がり、恐れず前に進み続ける。そんな釜石の姿勢は、W杯で躍進を見せたラグビー日本代表の勇姿に重なるものがあった。
グループ全員に参加権があるフィッシュボウル形式のダイアログの中では、聞き手と話し手という棲み分けが良い意味でなくなり、参加者全員がフラットな状態で意見を活発に交換した。
ラグビー知識の有無を問わず、様々な層が増田氏とともに釜石の未来を考えることで、数多くのユニークな提案が生まれていたのが、外から見ていても印象に残っている。
増田氏も「こういった機会がないと、なかなか先には進めない」と語っており、この“対話”は釜石が次に進むための足がかりとなったのではないだろうか。