国母選手を気に食わねーなーと思ってるオヤジたちへ/増沢 隆太
(2010-02-15配信)
スノボ選手でオリンピック代表の國母選手。鼻ピアス&腰パンといういでたちと記者会見のナメた態度に猛反発とバッシングが起きました。
「私をスキーに連れてって」世代のオヤジたちが今や40代を迎え、管理者になる人もいます。スキー世代から見れば、何となくウザくて鼻につくスノボ。そもそも「スノボ」と言わずに「スノーボード」とちゃんと言いなさい!と、ことごとく勘に障るボーダーの若者。なんて、思いませんか?オヤジとして。
私は若いので全然そんなこと思わないですけど。
大人になると、昔は全然考えなかった「社会的責任」なんてことも頭を過ぎるものです。まして政権交代で、民主党政権が出来、例の事業仕分けでさんざ批判されたオリンピックの経費。確かにバンクーバーオリンピックでは、選手 94人に対し役員 101人とのこと、いったい誰が主役なのかわからない現状もあります。
そりゃ仕分かれるわ。(若者のキモチがわかるのでつい略語しちゃいました)
そんなところで国母事件です。
今回の問題を「別にいいじゃん」と言っている人たちは、堀江元社長のように、だいたい「服装は自由」「日本はうるさすぎ」という個性や個人の自由を理由を挙げています。反して批判は「じゃあ自費でやれ」「オリンピックのルール守れないなら出るな」「子供じみた自己主張で、すぐ引っ込める位なら最初からやるな」等が多いようです。
まー私は元々オリンピックについては、やり過ぎてファミコンのコントローラー壊すほどのハイパーオリンピック・ファンですが、バンクーバーは見てません。何かルールよくわかんなくて。
ただとりあえず祭が始まったので、逆に見るようになった次第です。
しかし事の成否や、今後どうなるかは措いておいて、近頃の若いモンを部下として持たなければならないヒト。「趣味の違い」「価値観の違い」を超える、常識の通じ無さ、感覚の断絶を感じませんか?
国母選手への批判に、「個性というなら、そのカッコで天皇陛下にも拝謁出来るのか」というのは首肯しましたね。結局橋本聖子団長のお裁きで、試合は出場、開会式は辞退という団円を迎えたようですが、相手が普通のサラリーマンだと強気で、見るからにチンピラ風だとペコペコする、という腰の座らなさ。これは誠にカッコ悪いことこの上なしだと言えるでしょう。
つまり彼ら彼女らが主張したい「個性」とはその程度のもの、とも言えるでしょう。ファッションの一環であって、個性とか主張、ポリシーとは違うと考えてよいと思います。そうであれば、自ずと、仕事に絡んだ場合、対処があります。
人事の相談で「問題社員がいるので解雇したい」という、リストラ相談はたくさんいただきます。一番嫌な仕事ゆえ、コンサルタントに任せようという意識もあるのかも知れませんが、それ以上に「問題社員にどうして良いかわからない」という企業さんが多いと感じます。
労働基準法を遵守するという、コンプライアンスの原則を外すことが出来ない以上、いくら気に食わなくとも突然の解雇など出来るわけがありません。
ではそういった問題児は放置でしょうか?
問題児・問題社員対策は時間がかかるのです。なぜなら企業はコンプライアンスに則らなければならないからです。その場でクビにする方法は無いと言ってよいでしょう。
つまり、そうした「問題」自体を招いた責任は上司や職場・会社にもあるということなのです。犯罪や社会的に容認できない重大な損失を与えるなど、明確な理由がある場合ではなく、服装やら遅刻、欠勤やら、上司への物言い、報告の有無その他もろもろの小さな「問題」が積み重なって、今に至っているのです。
管理者となった皆さんは、こうした小さな問題の内に対処してこなかった責任を負うのです。国母が公的な場に出るというのに、「個性」を主張したその場で直ちに注意し、対処をしなかったそのツケは、管理者である萩原文和監督にあるのです。
「問題は小さい芽の内に摘む」のは対処の原則ですが、取り分け人事においては重要なことです。対象となる若者も、「悪いと自覚がある」のではなく、そもそも「何も悪いと思って」いないでそこに至っていることが多いのです。
堀江さんら「容認派」が、「結果良ければ総てオッケー」と言っているのは、「管理者」じゃないからです。堀江さんは優秀な投資家であり、一大投資ファンド・ライブドアを作り上げた方だと思いますが、組織として、企業として当時のライブドアという会社を成功させたと言えるでしょうか。
サラリーマンは組織人です。起業家や投資家と違って、「組織」という媒体を使って成果を上げる必要があります。
ぜひ管理者の方は、小さな過ちを放置しないで下さい。