出会いから4カ月でスピード婚を果たした”晩婚さん”の軌跡とは…(イラスト:堀江篤史)

中国地方にある港町の駅ビルに来ている。この地に所用もあったため、2年前に出演申し込みフォームから連絡をくれた柴田有紀さん(仮名、41歳)へのインタビューをようやく実現することができた。

九州出身の有紀さんは大学進学のために中国地方の都市に出て、大学院を修了してから中国地方内で就職。26歳のときに社内結婚をしたが2年後に離婚。35歳のときに現在の夫である一雄さん(仮名、43歳)と知り合って4カ月後に再婚。1年後には不妊治療を始め、現在は働きながら1歳半の息子を育てている。

晩婚さんとしてはめずらしくない経歴だが、7年間のブランクを経た後の35歳でのスピード再婚は興味深い。その話を聞く前に、最初の結婚と離婚から振り返ってもらうことにした。

勘違い気味の「自負」で進んだ最初の結婚

「前の夫は新卒で入社した会社の先輩です。8歳年上でした。研修先の職場で知り、優しい大人に見えたんですね。そのときに付き合っていた恋人ともめていたこともあり、私から声をかけて仲良くなりました」

前夫を孝明さんと呼ぶことにする。交際を始めてみると、「ん?」と疑問に感じることが時々あった。高身長でイカツイ風貌の孝明さんは有紀さんに対して威圧的な言動をするようになったからだ。

「方言なのだと思いますが、『何しとんの、オマエは!』と怒鳴られると怖かったです。山奥にある彼の実家に仕事帰りに車で行ったとき、高速道路の分岐を2回も間違えて到着が深夜になってしまったことがありました。すごく怖かったので慰めてほしかったのに、謝るまで叱られてしまったんです。悲しかったですね。でも、私はそういう人とも分け隔てなく接することができる人間だという自負もありました」


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若いときはこのような勘違い気味の「自負」を持ちやすい。他人から忌避されるような人と付き合える自分を誇らしく思ったりする。しかし、そこに本当の愛情や居心地よさがない限り、無理な交際はやがて破局するものだ。

孝明さんのほうも勘違いの多い人物だった。自分が車やバイクが好きなので、有紀さんへのプレゼントも何十万円もする車の改造グッズばかり。そんなの要らないよ……。

「プロポーズをされたときは悩みました。彼の実家に行ったときにお義母さんから『結婚してくれるんだよね』と言われてなんとなく約束してしまったので、しなくちゃ申し訳ないように思っていました。悩んでいることを彼に伝えたら、胸ぐらをつかまれて『あんなにいろいろ買ってやったのに!』と叱られたんです。どうしたらいいのかわからずに結婚してしまいました」

離婚を切り出したら殺されるのではないかと心配してしまうような結婚である。幸いなことに身体への暴力はなく、2年後には離婚することができた。最初から「半年頑張ったら別れてもいいだろう」と思い続けた、後ろ向きな結婚生活だったと有紀さんは悔やむ。

「そんな自分が嫌いになったんです。しばらく結婚はいいやと思って実家に戻り、2年間はフワフワした生活を送らせてもらっていました。でも、向いていない仕事に就いてしまい、ストレスを抱えながら早朝に運転していたら人身事故を起こしてしまったんです。相手の方がかすり傷で済んだことは不幸中の幸いでしかありません」

環境が変わり、33歳のとき婚活スイッチが入る

そんな苦しい時期を抜け出し、再び結婚をしたいと思ったのは33歳のとき。転職を機に、現在も暮らしている中国地方の港町に引っ越して「子どもがほしい。いい加減婚活しなくちゃ」とスイッチが入った。

ネット婚活、婚活パーティー、結婚相談所など、考えられる婚活はすべてやってみた。しかし、30歳を過ぎていて離婚歴がある自分は結婚相談所ではお見合いすら組めないと気づいた。

「地方では若い女の子も焦って結婚相談所に登録しているのだと思います。私は14人の男性に申し込みましたが13人から断れてしまいました」

有紀さんが男性に求めた条件は、「年収400万円以上、45歳以下、バツイチはOKだけど子ありはNG」である。それほど高い条件とは思えないが、「パッと見で美人ではない」(本人談)ために、若い競争相手に第1段階で負けてしまうのだろう。

「ネット婚活のほうは会うことだけはうまくいきました。私はメールの返信が早いので向いているのかもしれません。50人ぐらいと会いましたね。会ってみてNGでもお互いに気まずくならないように、『最初はファミレスでお茶だけしませんか?』と私から提案しました。

その中の1人と1年間ぐらい付き合っていたのですが、彼がいつまでもネット婚活を続けているので、『そろそろ真面目に付き合ってみませんか』と言ったところ、『それは無理。まだ決められない』と言われてしまったんです。34歳にしてゼロに戻りました」

今度はネット婚活の短所を体験したことになる。結婚について本気度の低い人が少なくないので、出会いは多かったとしても先に進みにくいのだ。

疲れを感じた有紀さんは出会いの方針を転換した。独身者も多そうな趣味の場にできるだけ参加して「自然な出会い」を目指したのだ。バレーボールやバドミントンの社会人サークルをかけもちし、前夫である孝明さんに教えてもらったバイクも再開。なんと、現在の夫の一雄さんは利用したバイク店の社員である。

「バイクは基本的に男の世界なので、女の人がいきなりバイクを買いに行ったことでお店の中で話題になりました。しかも独身らしい、と(笑)。私のほうも『いい人がいたら紹介してくださいね』と言ったところ、一雄さんが独身だと教えてもらいました。イケメンじゃんと思って電話番号を聞き、私のほうから『どうですか。私とゴハンに行きませんか?』と誘ったのです」

確かに自然な出会いではあるが、成り行きに任せていたら時間だけが経過して一雄さんとの仲は深まらなかっただろう。少しでもピンと来た場合は、恥をかくことを覚悟のうえで積極性を発揮しなければならない。結婚相談所などと違って、両者の背中を押してくれる人などどこにもいないのだから。

最初のデートで、「普通にしゃべれる男の人だ。貴重!」と一雄さんを認定した有紀さん。そこから勢いはさらに増した。即座に「次も会いませんか?」と提案し、実現した2回目のデートで「私と付き合いませんか?」と告白。

一雄さんが「わかりました」と答えると、彼が1人暮らしであることを把握していたので「今日、泊まらせてくれませんか」と頼んだ。彼の家では「一緒に寝ませんか」と誘ったらしい。すばらしくわかりやすい。この展開ならば、どんなに奥手な男性でも彼女からの好意と信頼を確信するだろう。

交際を始めてからはまさにトントン拍子だった。バイク店の正社員である一雄さんは平日しか休めないこともあり、有紀さんは彼の部屋で半同棲の生活をすることにした。食事も作ってあげて、2人暮らしの喜びを高めていった。さらに、部屋の更新日が迫っていることを目ざとく見つけた有紀さんは「一緒に住みませんか」と提案。ほとんどプロポーズである。その3カ月後には婚姻届を提出した。

いずれは息子のいる環境に誰かを迎え入れたい

「結婚生活は楽しいです。まずお金の面での価値観が合いますね。お互いに無駄遣いはしないけれど投資には興味があるので、いろいろ話し合えています。『今日はこんな面白いお客さんが来た』と、仕事の話もしてくれます。私もたくさん話しますよ。前の夫からは『他人の恋愛に口を出す女は嫌いだ!』なんてキレられていましたが、今はそんなことはありません」

1年間新婚生活を楽しんだ後、かねて念願であった子作りを始めた。不妊治療を受けるつもりであることは結婚前から一雄さんに伝えてあり、顕微授精(体外受精では受精しない場合に行われる高度な治療)までやって息子を授かった。全部で300万円ほどかかった。

できれば子どもは2人欲しいと思っていた有紀さん。現在はその可能性はないとほぼ諦めているが、いずれは里子を迎えたいと思っている。本連載でも過去に取り上げた里親制度 の利用である。

「息子のいる環境に誰かを迎え入れたいと思っています。きょうだいの代わりになってくれるかもしれません。それがかなわなくても、息子には核家族ではなくいろんな人と接して育ってほしいと思っています」

30代半ば頃までは人生を模索し、何度も失敗を経験した有紀さん。立ち直り、自力で幸せをつかみ取った後も明るく前を向き続けている。

当連載では記事に登場してくださる「晩婚さん」(35歳以上で結婚された、結婚して5年目以内の方)を募集しています。こちらのフォームよりご応募ください。