仕事の「自分ごと化/他人ごと化」についての一考察/村山 昇
◆仕事の「オーナーシップ=自分ごと意識」があるか
近ごろ、企業の人材育成担当の方々とお話しする中で、「うちの社員がなかなか仕事を“自分ごと”としてとらえられなくて、“他人ごと”で済ませるような傾向がある」といった内容に頻繁に出くわすようになりました。
確かに、私も大企業勤めで管理職をしていたときに、「この程度までやっておけば、あとは誰かがやってくれるだろう」「どうせ会社のお金だから、適当にこれくらいの量を買えばいい(余ったら余ったでどうにでもなるだろう)」といった姿勢の社員をしばしば見てきました。
仕事が「他人ごと」であるとは、その仕事にオーナーシップを持っていないことです。責任感、使命感、当事者意識の欠如。痛みやリスクを誰かに転嫁すればいいという感覚(そして実際、組織の中では誰かがその穴を埋めています。埋めきれないときは事故や不祥事として顕在化します)。仕事が自分のものでなく、どこか借り物になっているわけです。
さて、私が行っている働くことの哲学ワークショップ『仕事観づくり考房』では、この仕事の「自分ごと化/他人ごと化」を考えるプログラムがいくつかありますが、きょうはその一部を紹介します。
◆売る者と買う者の関係性〜協働型と主従型
私たちは何かしらを売って職業としています。そのとき一方に売り手がいて、他方に買い手がいます。この2者間にある関係性、すなわち売買関係を考えます。
売買関係を大きく2つに分けてみます。1つは「協働的」売買関係。もう1つは「主従的」売買関係(図1)です。
1つめの「協働型」は、購買客(買い手)と提供者(売り手)が共有目的のもとにパートナー同士であるという関係性です。2者とも共有目的の成就が主眼にあり、売買のための金銭のやりとりは二の次のことになります。こうした関係にあるとき、2者は相互的信頼に基づいて振る舞おうとします。
この「協働型」の典型が、教育サービスです(図2)。一方に、購買客である生徒(もしくは生徒の保護者)がいます。他方に、提供者である教師・講師・トレーナーといった人がいます。2者は共有の目的、つまり「生徒が〜できるようになること」に向かって行きます。
生徒側は一生懸命学ぼうとします。教師側は一生懸命世話をして支援します。そして生徒はめでたく何かを習得します。その結果、生徒側はお礼として授業料なり月謝を払います。教師側はそれをありがたく受け取ります。2者にとって主目的は生徒の成長です。お金は副次的な受け渡しになります。
◆「主従型」のもとで客はモンスター化する
売買関係には「主従型」というのもあります(図1右)。金を払う購買客(買い手)が優位であり、金をもらう提供者(売り手)が劣位ととらえるタテの関係性です。それぞれは各自の目的を遂げることに目が向いています。2者は金の受け渡しというところで接点があるのみです。
この「主従型」の売買関係のもとではどういうことが起こるか。典型的には、図3のように飲食店に現れたクレーム客を想像するとわかりやすいでしょう。
飲食客は自らの欲望である「1円でも安く、うまいものを食べ、腹を満たしたい」が目的です。そのために金を払うつもりである。だから店は主人である顧客につくせ、のような意識です。
一方、店員のほうは、従者の立場でそれをできるだけ我慢して要望を受け入れようとします。そうすることでお金がもらえ、そのお金で生計が立てられ、仕事以外での楽しみに使えるからです。店員は仕事内容よりも、得たお金で何ができるかを目的にしています。こうした環境や意識は、仕事を次第に「他人ごと化」していく作用があります。
飲食サービスにおいて、「協働型」の関係性が生まれるケースもあります(図4)。母のためによい食事会を持ちたいという客と、おもてなしのプロとしてそれを実現させたいレストランの料理人・店員との関係性がそれです。2者は共有する目的のもとにパートナー同士です。このとき、料理人・店員にとって仕事は「自分ごと」として意識されます。
さて、ここまでが解説です。あなたはきょうも何かを売って仕事にしています。顧客は一般消費者かもしれませんし、業者のプロかもしれません、あるいは社内の従業員かもしれません。客が誰にせよ、あなたの仕事において、売り手と買い手の関係性は「協働型」「主従型」のどちらでしょう? 「協働型」の場合、共有目的は何でしょう? 「主従型」の場合、なぜそうしたタテ関係になってしまっているのでしょう? これを「協働型」に転換するにはどんなことが必要でしょう?
さらに発展して、仕事が「他人ごと化」してしまう要因としてどんなことが考えられるでしょう? 逆に、仕事を「自分ごと化」するためにどんなことが重要でしょう? 2つのタイプの売買関係性を切り口に職場でディスカッションしてみて下さい。