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translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

もくじ

ー 英国に残存するリアエンジン・リアドライブ
ー 魔術師と呼ばれたアメデ・ゴルディーニの才能
ー 英国初のRR量産モデル
ー 控えめなルックスのNSUプリンツ1200TT

英国に残存するリアエンジン・リアドライブ

英国南西部のウィルトシャーターに個性的な絶滅危惧種3台が集合した。リアエンジン・レイアウトの家族向けサルーンは、第2次大戦後の欧州では人気のクルマだった。しかし、欧州経済が戦後の停滞期から復活をしていく中で、自動車の存在は生活必需品からエンターテイメントのツールへと変化。自動車の進化についていけず、とうの昔に生産は終了している。

今回の3台は、標準モデルへわずかに手を加えられたものから、グループ2のレギュレーションに合わせたものまで、チューニングの程度は幅がある。しかしどれもが、パフォーマンスの向上が図られた、リアエンジン・リアドライブの兄弟たちだ。

1965年、空冷式の996ccエンジンを搭載したプリンツ1000が、強く輝くヘッドライトの縁取りをまとって登場した。はじめに登場した高性能版は、54psのプリンツ1000TT。NSUのマン島TTレースでのバイクの活躍から名前を借りたかたちだった。1万4292台が売れ、その後66psの1200TTに交代している。1967年から1972年の間に4万9327台が販売されている。

さらにホットな83psを発生させる1200TTSも、2402台の極めて限られた数ながら作られた。このクルマはレースを前提にしたもので、1961年から1968年にかけて、NSUの29台のツーリンツカー選手権参戦に貢献している。

魔術師と呼ばれたアメデ・ゴルディーニの才能

ルノー8のオリジナルは、プリンツ1000よりもずっと古い。第2次大戦中に開発された4CVにまでさかのぼり、途中にドーフィンも挟んでいる。ルノー8がリリースされたのは1962年で、後にR8と呼ばれている。エンジンは1962年から2004年まで生産が続けられたクレオン・フォンテのOHV4気筒エンジンを搭載していた。

ルノー8のボディタイプは4ドアのみで、デザインを担当したのはフランス出身のフィリップ・シャルボノー。大きな丸目のヘッドライトに、垂直に切り立った箱型のスタイリングが愛らしい。

リジットアスクルではあったものの、ルノーのリアエンジン・モデルの魅力は英国でも広く理解された。クルマには輸入関税が掛けられていたが、国内向け価格で4CVやドーフィン向けのチューニングを請けていた、VWデリントンやアレクサンダー・コンバージョンズなどの英国のチューナーも存在していた。

ルノー8のポテンシャルの高さはエンジニアのアメデ・ゴルディーニの才能によるところが大きい。ニックネームはル・ソルシエ(魔術師)と呼ばれ、ルノーと密接な関係性を長年に渡って築いていた人物だ。

ツイン・キャブレターにクロスフロー・ヘッドを装備させたルノー8ゴルディーニが、1964年にコンペティション向けに発表される。フランスのコルシカ島で開催されていたツール・ド・コルスに初参戦した8ゴルディーニは、アルファ・ロメオ・ジュリアTZを抑え優勝したほか、3位、4位、5位に入賞する。さらにこの戦績を印象づけたのは、79台の参加車両のうち、完走したクルマが8台しかいなかったことだろう。

英国初のRR量産モデル

ルノー8ゴルディーニは1965年と1966年のツール・ド・コルスでも優勝している。1966年には、2626台が製造された96psのR1134 1100から、8981台が製造された111psのR1135 1300へとアップグレード。1970年の引退までに合わせて11607台が製造され、魅力に溢れた青いレンガは顧客のもとへと渡っている。

1963年に登場したヒルマン・インプは、第2次中東戦争(スエズ危機)による原油不足や自動車メーカー、ルーツ・グループ社のモデルレンジの穴、技術的な遅れに対するマスコミからの批判を交わすことなど、多くの課題に対する答えだった。英国では当時の1.0ℓクラスといえば、BMCミニが独占していたような時代だ。

英国にもかつてリアエンジン・レイアウトのクルマは存在していたが、量産にまで至ったモデルはなかった。コベントリー・クライマックスFWMAの875ccのエンジンをパワーソースにしたインプは、ルーツ・グループ社のテクニカルディレクター、ピーター・ウェアによって設計されたクルマ。ボブ・サワードによるスタイリングは、シボレー・コルベアにも似通っており、クラウス・ルーテが手がけたNSUも同様だが、ヒルマン・インプの方が量産化は早い。

当然ながらというべきか、インプはルーツ・グループ社のバッジ・エンジニアリングを受ける。パフォーマンスを向上させたモデルが登場したのは1965年末。ホモロゲーション獲得のために、1000ヒルマン・ラリー・インプとシンガー・ラリー・シャモアという2台構成で、限定生産された。

控えめなルックスのNSUプリンツ1200TT

998ccのラリーは1965年のチューリップラリーで優勝。1966年末には豪華なシンガー・シャモア・スポーツと安価なサンビーム・インプ・スポーツの875ccの高性能モデルが登場する。それ以来、インプとモータースポーツとは深い関係を作り出してきた。

その2年後、ダッシュボードやインテリアに手直しを請けたMk2サンビーム・インプが登場する。1970年4月に、シンガー・シャモア・スポーツがラインナップから消滅。モデル名はサンビーム・スポーツに変更され、9月にはクーペモデルと同じ4灯のヘッドライトをフロントマスクに付けるようになった。その後、スポーツは1976年の3月まで生産が続けられ、生産台数の合計は1万336台に達している。

今回登場いただいた3台の内、トニー・アームズの1971年式NSUプリンツ1200TTは工場でチューニングを請けたオリジナルの英国仕様車。エクステリアからは高性能版だとはわかりにくいが、いくつかの特別仕様のエンブレムと4灯のヘッドランプが特徴となる。

車高が下げられ騒がしい、TTSベースのヒルクライム仕様などと異なり、TTのルックスは大人しく控えめで、愛おしささえ感じてしまう。幅の狭いタイヤにトレッド、延長されたホイールベース、パーキングライトなどが見る目を引きつける。

後編ではRRロケットの3台を詳しく見ていこう。