JR東労組の組合員が2018年春に大量脱退した。その背景には何があったのか(撮影:風間仁一郎)

JR東日本で最大の労働組合・JR東労組から2018年春、3万3000人もの組合員が一挙に脱退し、同労組の組合員はあっという間に3分の1に激減した。いったい、何が起きたのか。

旧国鉄時代から労働運動を牽引し、JR東労組の初代委員長を務めた松崎明氏がJR東日本を支配していく様子を丹念な取材で描いたのが牧久氏の著書『暴君』(小学館)である。

元日経新聞記者として長年にわたり鉄道業界を取材してきた牧氏には、国鉄分割民営化の軌跡を追った『昭和解体』(講談社)という著書がある。この『昭和解体』が表の歴史だとすれば、『暴君』はまさに裏の歴史である。松崎氏は“JRの組合のトップ”という表の顔の裏に、極左組織・革マル派の最高幹部の顔を持っていたのだ。

JR最大のタブーともされる組合問題をなぜ真正面から取り上げたのか。牧氏に聞いた。

マスコミ側に「恐怖心」があった

――JR東日本の鉄道路線を多くの国民が毎日利用しており、同社は就職したい会社としても学生に高い人気があります。その会社の内部で、しかも現代の日本で、本書に書かれているようなことが起きていたというのが信じられません。世間が持つJR東日本のイメージと、なぜここまでかけ離れているのでしょうか。

われわれマスコミが正確に報道しなかったからです。恐怖心がマスコミの側にあったのだと思います。

――恐怖心?

そうです。決定的となったのは、1994年にJR東日本管内のキヨスクの売り場から『週刊文春』が全部排除された問題です。小林峻一氏の「JR東日本に巣くう妖怪」と題する連載記事にJR東日本の労使が激しく反発、キヨスクでの販売拒否という信じがたい行動に出たのです。

あの当時は新聞も雑誌の駅売りの比率が非常に高く、キヨスクで販売できないと経営的には非常に痛い。キヨスクに『週刊文春』だけ並ばないという状態が3カ月も続きました。結局文春が「全面降伏」して事態は収束しましたが、こうなるとマスコミの側で自己規制が働き、松崎明氏や異常な労使関係の問題は扱いづらくなってしまいました。

それでも、2006年には『週刊現代』でジャーナリストの西岡研介氏が「テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」を連載しました。しかし、この記事は松崎・組合側から50件もの訴訟を受けたのです。私も日経新聞の社会部長時代に名誉毀損で3件の訴訟を受けた経験がありますが、当事者として訴訟を受けるのは大変なことはよくわかります。


牧 久(まき ひさし)/ジャーナリスト。1941年生まれ。1964年日本経済新聞社入社。東京本社編集局社会部に所属。サイゴン・シンガポール特派員、東京・社会部長、代表取締役副社長を経て、テレビ大阪会長。著書に『不屈の春雷――十河信二とその時代』(ウェッジ)、『昭和解体――国鉄分割・民営化30年目の真実』(講談社)など

メディアがこの問題を扱うのはどうしても慎重にならざるをえない。だからJRの内部で起きていることが世間に伝わらなかったのだと思います。

――では、今回、『暴君』を執筆した理由は?

この年になって、知っていながら書かなかった、書けなかったことへの苦い思いと強い反省の念がふつふつとわいてきたんです。われわれがやるべき仕事を放棄しているようなものだから。生きている間に書き残したいという思いもありました。

本が出たら、昔の国鉄記者クラブの仲間や私がお世話になった人たちが、「ご苦労さん会」をやってくれました。みな新聞記者として、知っているのに書かなかった、書けなかったことを無念に感じていたようです。「お前はよくぞ書いてくれた」と言ってくれましたよ。

JR東が毅然とした態度をとれなかった理由

――JR東日本の歴代の経営者は、組合に対してなぜ毅然とした態度をとらなかったのでしょうか。

分割民営化に際して、JR東日本の初代社長は元運輸事務次官の住田正二氏に決まりました。ただ、あのとき、民営化を推し進めた国鉄の若手幹部「改革3人組」の1人、井手正敬氏が住田氏を補佐すると誰もが思っていました。松田昌士氏、葛西敬之氏、井手氏という3人組の中では井手氏が最年長で、改革派の“総指揮官的な立場”にいたからです。

一方で、松田氏は旧国鉄では珍しい北海道大学出身で企画畑。東大出身者が幅を利かす旧国鉄時代には運輸省に出向していた時期もあります。住田氏にとっては旧国鉄のエリートコースを走り続けた、やり手の井手氏や葛西氏よりも、運輸省時代に部下として使ったことがあり気心も知れている松田氏がやりやすかったのでしょう。

松田氏自身はJR北海道に行くと思っていたのですが、「JR東日本で住田を助けて、労務をやれ」ということになりました。JR西日本に行った井手氏、JR東海に行った葛西氏は、当時JR東労組の委員長だった松崎明氏の“革マルの本性”を見抜いて、いち早く決別しましたが、松田氏は松崎氏の力量をJR東日本の経営改革に活用しようと考え、積極的に手を握ったと、今回の取材で語りました。

また、松田氏は国鉄時代に手ごわい組合を相手にしてきた経験豊富な井手氏や葛西氏のような労務屋さんではないので、JR東日本で労務をうまくやっていくためには、松崎明氏と手を握らざるをえなかったという側面もあるでしょう。

2012年から2018年まで社長を務めた冨田哲郎氏が、2018年春の賃上げ交渉で会社側がJR東労組と全面対決に踏み切る姿勢を見せたわけですが、松田氏、大塚陸毅氏、清野智氏のJR東日本の歴代社長は労使関係の正常化は時間をかけて軟着陸するしかないと考えていました。それが2018年の動きにつながったともいえます。それにしても、ここまで時間をかけなければ変わらなかったというのはやっぱりおかしい。

多くの組合員はじっと見ていた

――昨年、JR東労組から大量に組合員が脱退したのはなぜですか。

発端は春闘での賃上げをめぐってJR東労組がスト権を確立し、ストを構えたことです。JR東労組は全組合員一律のベースアップや格差ベアの永久的根絶を要求しましたが、実力によって賃金に差を付けることは当たり前で、どこの会社でもやっていることです。一律の賃上げを会社がのめないのは当然です。

かといって、平成の終わりの時代に昭和のような大規模な交通ストに突入するようなことがあれば、世間の厳しい目が労使双方に向けられるのは必至でしょう。

しかし、ここで会社側は一歩も引かず、JR東日本発足以来、JR東労組との間で結んできた、労使ともに過激な手段に訴えることなく平和的手段で問題を解決するという「労使共同宣言」の失効を宣言しました。この過程でJR東労組の12の地方本部が、強硬姿勢を崩さない地本と、それ以外の地本に分裂し、組合員の脱退に拍車がかかったのです。

松崎氏が組合を私物化し、当局に業務上横領容疑で送検されるなど失意のうち亡くなったのが2010年末ですから、それから8年経過してのことです。松崎氏の行動や発言には、彼の革命理論としては正しい部分もありましたが、松崎氏の死後にそれを受け継ぐリーダーは誰もいなかった。松崎氏は自らの権力を守るため、力のある後継候補を次々と排除したためです。多くの組合員はそれをじっと見ていたのでしょう。

――JR東日本の組合問題は今後どのような方向に向かうのでしょうか。

ここに至るまで30年もの時間がかかったのですから、JR東日本の経営者も性急に事を進めず、時間をかけて慎重に判断していくのではないでしょうか。

――『昭和解体』と『暴君』で、国鉄からJRにつながる歴史はすべて書き尽くしましたか。あるいは第3弾があるのでしょうか。


昭和解体の前に『不屈の春雷――十河信二とその時代』(ウェッジ)という本を書いています。これは明治から始まって、十河氏が後藤新平氏と出会い、そして十河氏が新幹線を造るまでの話です。

十河氏は、国鉄内外の誰もが猛反対する中で、当初の建設予算をわざと低く見積もって国会で予算を通した、つまりウソをついてまで新幹線を完成させました。東京オリンピック直前の開業式のときは国鉄を石もて追われ、1人寂しくその様子をテレビで見ていたんです。彼がいなければ、その後、高度成長を遂げる日本の「背骨」となる新幹線はこの世に生まれなかったでしょう。

リニアの経済効果を検証すべき

しかしその年(1964年)、皮肉なことに国鉄は赤字に転落し、以降、どんどん赤字が膨らみ、最後に解体され、そして今日、JRができておよそ30年が経ちました。明治から平成に至る鉄道の物語を書き尽くしたという思いはあります。

今、気になっているのはリニア中央新幹線です。日本のものづくりという点において、リニアという技術が、ITなど先端分野で後手に回っている日本の起死回生の武器になる可能性はもちろんありますが、リニアがもたらす経済効果についての検証はきちんと行われているのでしょうか。

もはや東海道新幹線開業時のような元気な時代でもないし、むしろ人口が減少期に入っているのは誰の目にも明らかです。そこに巨額の資金を投入して建設する必要性がどこまであるのか、この点についてメディアはもっと俎上に載せて、議論を盛り上げていくべきではないでしょうか。