有史以来、貧富の差を縮めることに大きな役割を果たしたのは、暴力的な衝撃だという。戦争・革命なしに、平和的に平等化を実現することはできないのだろうか?(写真:RomoloTavani/iStock)

アメリカで最も裕福な20人は現在、アメリカの下位半分の世帯すべてをまとめたのと同等の資産を保有しているという。欧州や旧ソ連、中国、インドなどでも所得と富の配分はますます不均衡になっている。

古代史を専門とし『暴力と不平等の人類史』を上梓したスタンフォード大学教授のウォルター・シャイデルは、今後も格差は拡大していくと指摘している。また、歴史的に不平等を是正してきたのは、「戦争・革命・崩壊・疫病」という4つの衝撃だけであることを明らかにし、今後の世界に警鐘を鳴らしている。

20世紀の現象である戦争・革命なしに、平和的に平等化を実現することはできないのか? 今回、『暴力と不平等の人類史』から一部抜粋してお届けする。

平等は破壊の後にやってくる

数千年にわたり、文明のおかげで平和裏に平等化が進んだことはなかった。さまざまな社会のさまざまな発展段階において、社会が安定すると経済的不平等が拡大したのだ。


古代エジプトであれヴィクトリア朝時代のイギリスであれ、ローマ帝国であれアメリカ合衆国であれ、それは変わらなかった。既存の秩序を破壊し、所得と富の分配の偏りを均(なら)し、貧富の差を縮めることに何より大きな役割を果たしたのは、暴力的な衝撃だった。

有史以来、最も力強い平等化は最も力強い衝撃の帰結であるのが常だった。不平等を是正してきた暴力的破壊には4つの種類がある。すなわち、大量動員戦争、変革的革命、国家の破綻、致死的伝染病の大流行だ。

これらを「平等化の四騎士」と呼ぶことにしよう。聖書に登場する四騎士と同じく、これらの四騎士は「地上から平和を奪い取り」「剣によって、飢餓によって、死によって、地上の獣によって人間を殺す」ために現れた。

四騎士は、時には1人ずつ、時には互いに手を組んで行動し、同時代の人々にとってはこの世の終わりとしか言えないような結果をもたらした。彼らが現れた後、何億もの人々が非業の死を遂げた。混乱が収まるころには、持てる者と持たざる者の格差は縮んでいた──時には劇的に 。

第一の騎士:2度の世界大戦

不平等を絶えず抑制してきたのは、特定のタイプの暴力に限られる。大半の戦争は資源の分配に対して一貫性ある影響をいっさい与えなかった。

つまり、征服や略奪を目的とする旧態依然の争いにおいては、勝者側のエリートは裕福になり、敗者側のエリートは貧窮した可能性が高かったものの、はっきりしない結末に終わった場合はその帰結を予想するのは難しかった。

戦争によって所得と富の格差が是正されるためには、戦争が社会全体に浸透し、たいていは現代の国民国家でしか実現しない規模で人員と資源が動員される必要があった。2度の世界大戦が史上最大の平等化装置の例となったことも、これで説明がつく。

産業的規模の戦争による物理的な破壊、没収的な課税、政府による経済への介入、インフレ、物品と資本の世界的な流れの遮断、その他さまざまな要因がすべて結びつくことによって、エリートの富は消え去り、資源は再分配された。

これらの要因はまた類を見ないほど強力な触媒として機能し、平等化を進める政策転換を引き起こした。つまり、権利の拡大、労働組合の結成、社会保障制度の拡大などへ向けた力強い推進力を生み出したのだ。

世界大戦の衝撃はいわゆる「大圧縮」をもたらし、あらゆる先進国で所得と富の不平等が大きく減少した。それは主として1914〜1945年に集中的に起こったのだが、プロセス全体が完了するにはさらに数十年を要するのが普通だった。

より以前の大量動員戦争では、同じような影響が広がることはなかった。ナポレオン時代の戦争やアメリカの南北戦争による分配に関する帰結は多様だし、時代をさかのぼるほど関連証拠は少なくなる。

アテナイとスパルタに代表される古代ギリシャの都市国家の文化は、民衆の熱心な軍事動員と平等主義的制度がどれだけあれば物質的不平等が抑制されるかを示す最古の例を、間違いなく提供してくれる──その成功がたとえ部分的なものだとしても。

世界大戦をきっかけに、平等化を推進する第二の主要な力である変革的革命が起こった。通常なら、内部抗争によって不平等が減ることはない。近代以前の歴史において農民一揆や都市暴動はありふれていたが、失敗に終わるのが普通だったし、発展途上国での内戦は所得の分配を平等にするどころか不平等を拡大することが多いものだ。

暴力的な社会再編が並外れて激しいものでない限り、それによって物的資源の入手しやすさが変わることはない。この種の社会再編は、平等化を促進する大量動員戦争と同じく、主として20世紀の現象だった。

共産主義者は、資産を没収し、再分配し、その後しばしば集産化を進めることによって不平等を劇的に減らした。こうした革命のうち変化を起こす力が最も大きかったものには、桁はずれの暴力が伴っていた。

それが生み出した死者数と人類にもたらした惨状は、最終的には世界大戦に匹敵するほどだった。フランス革命のように流された血がはるかに少ない闘争の場合、それに応じて不平等の縮小幅も小さかった。

第三の騎士:国家の破綻、体制の崩壊

暴力は国家をすっかり破壊してしまうこともある。国家の破綻や体制の崩壊は、かつては平等化を実現するとりわけ確実な手段だった。歴史の大半で、裕福な人々は政治権力の序列の頂点を占めていたか、さもなくば頂点にいる人々とコネを持っていた。

しかも、現代の基準からすると控えめながら、最低生活水準の維持を超える経済活動に対して国家による保護措置が講じられていた。国家が崩壊すると、こうした政治的地位、コネ、保護が脅威にさらされ、すっかり失われてしまうこともあった。

国家が崩壊すれば誰もが苦難に直面したはずだが、裕福な人々の方が失うものが多かったのは言うまでもない。つまり、エリート層の所得と富が減ったり消え去ったりすることで、全体的な資源分配の偏りが均されたのである。こうした事態は国家の成立以降、常に生じてきた。

知られている限り最古の例は、4000年前のエジプト古代王国やメソポタミアのアッカド帝国の終焉などである。こんにちでさえ、ソマリアの経験から、このかつて有力だった平等化の力が完全に消滅したわけではないことがわかる。

国家の破綻は、暴力的手段による平等化の原理を論理的極限まで押し進めるものだ。つまり、既存の政治形態の改革や改造によって再分配や再調整を実現するのではなく、より包括的に過去を清算してしまうのである。

最初の三人の騎士はそれぞれ別の段階をあらわしているが、これはそれらが順番に現れそうだという意味ではなく──最大級の革命が最大級の戦争をきっかけとしていたのに対し、国家の破綻には同じように強力な圧力は必要ないことが多い──その激しさに関しての話である。

各騎士に共通しているのは、暴力をテコにして、政治的・社会的秩序とともに所得と富の分配を再構築するという点である。

第四の騎士:感染爆発

人為的な暴力には昔からのライバルがいる。かつては、疫病、天然痘、はしかが、最大の軍隊や最も熱烈な革命家でさえ望みがたい激しさで大陸全体を破壊したものだ。

農耕社会では、病原菌のせいで人口のかなりの部分(時には3分の1以上)が失われたため、労働者が不足し、固定資産をはじめとする非人的資本の価格(これは以前のまま変わらないことが多かった)と比較して労賃が上昇した。結果として、実質賃金が上がって地代が下がったため、労働者は得をし、地主や雇用主は損をした。

こうした変化の規模を調整したのは社会制度だった。つまり、エリート層はたいてい法令や武力を使って既存の仕組みを維持しようとしたが、平等化を進める市場の力を押さえ込めない場合が多かった。

感染爆発を加えれば、暴力による平等化の四騎士が出そろう。だが、もっと平和的に不平等を減らす別のメカニズムも存在したのだろうか? 大規模な平等化を想定するなら、答えはノーだと言わざるをえない。

歴史全体を通じて、記録に見られる物質的不平等の大規模な圧縮はすべて、これら4つのうち1つ以上の平等化装置によって推進されたものだ。しかも、大量動員戦争や革命は、その事件に直接関わる社会を左右しただけではなかった。

世界大戦や体制に挑む共産主義者との接触によって、周辺社会の経済情勢、社会的期待、政策立案も影響を被ったのだ。こうした波及効果を通じて、暴力的衝突に根ざす平等化の効果がさらに拡大した。

だとすれば、1945年以後の世界の多くの地域における発展を、それに先立つ暴力的衝撃とその持続的影響から切り離すことは難しい。非暴力的な平等化の最も有望な候補は、2000年代初頭のラテンアメリカにおける所得の不平等の減少かもしれない。だが、こうした動向は依然として広がりに欠けているし、今後も続くかどうかははっきりしない。

その他の要因の記録を見るといずれにも問題がある。古代から現代に至るまで、土地改革によって不平等の減る傾向が最も大きかったのは、それが暴力や暴力の脅威と結びついている時だった──そして、最も小さかったのはそれらと結びついていない時だった。

マクロ経済の危機は所得と富の分配に一時的な影響を及ぼすにすぎない。民主主義はそれ自体で不平等を軽減するわけではない。教育と技術的変化の相互作用が所得の分散に影響することは間違いないが、教育やスキルに基づく収益が暴力的な衝撃に大きく左右されやすいことは歴史から明らかだ。

四騎士に代わる平等化の手だてはあるのか

最後に、現代の経済発展がそれ自体で不平等を減らすという見解を支持する有力な経験的証拠は存在しない。四騎士が生み出すものと多少なりとも似通った成果をあげた無害な圧縮手段のレパートリーは存在しないのだ。

とはいえ、衝撃もいつかは和らぐ。国家が破綻しても、遅かれ早かれ別の国家が後釜に座った。疫病が収まると人口収縮は反転し、新たな人口増加のおかげで労働力と資本のバランスは徐々に以前のレベルに戻った。

世界大戦は比較的短い期間で終わり、その余波は時とともに消え去った。要するに、最高税率と労働組合の密度は下がり、グローバリゼーションは進み、共産主義は過去のものとなり、冷戦は終結し、第三次世界大戦のリスクは遠のいた。

こうした事態のすべてを念頭に置けば、近年における不平等の再拡大がいっそう理解しやすくなる。昔ながらの暴力的な平等化装置は目下のところ休止状態にあり、予測できるほど近い将来に復活することはなさそうだ。同じような効果のある新たな平等化のメカニズムは、いまだ現れていない。

最も進んだ先進諸国でさえ、再分配と教育によっては、再分配前の所得の不平等の拡大圧力を吸収しきれなくなっている。発展途上国の場合はもっと達成しやすい目標があるのだが、財政面の制約が依然として強い。平等を大きく推進する方法を投票で決めたり、整備したり、教えたりする簡単な方法はないようだ。

世界史的な観点からすると、こうした事態は驚くに当たらない。おそらく、大きな暴力的衝撃とその広範な影響から切り離された環境で、不平等の大幅な圧縮が実現したケースはほとんどないだろう。将来は状況が変わるだろうか?