devil's advocate/悪魔の代弁者

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今週また国会議員の失言がメディアを賑わせた。若手議員が国後島を訪問中、酔った勢いで元島民でもある訪問団の団長に「北方領土を戦争という手段で取り返すという選択肢」について賛否を問うたという。こんな議員がいるとは何とも嘆かわしい話だが、お陰でコラムのテーマが思い浮かんだ。

devil's advocate/悪魔の代弁者

「デビルズ・アドボケイト」(devil's advocate/悪魔の代弁者)という言葉をご存知だろうか。

悪人の手先としてプロパガンダを担う者のことではない。キリスト教カトリックの組織で特別な役割を担う役職の名称に由来する。その職にある者は、殉教者など特別な信者をいわゆる「聖人」として死後昇格させるかを審議する場などにおいて、敢えて否定的な立場から意見する。これが転じて、議論を深めるために敢えて反対意見や挑戦的な質問をする人を欧米では「devil's advocate」と呼ぶようになった。

「悪」という文字を使ってはいるものの、その本質はどちらかというと善。少なくとも建設的な議論を目的とした表現だ。日本語でこれを端的に表す語が見当たらないのは、議論を深めることよりも場の空気を優先する傾向が強い日本人の国民性と関係があるのかもしれない。ちなみに議論好きな欧米人と議論をすると、軽く反対意見を述べて様子を見た上で自身が形勢不利と判断するや否や、"I'm just playing devil's advocate"(僕は悪魔の代弁者を演じているだけだよ)と釈明するような逃げ道として使われるケースも多いのだが、それはご愛嬌としておこう。

冒頭の国会議員の場合、その発言には「悪魔の代弁者」という狙いも無かったようだが、本人の立場や質問の内容などを考えるといずれにせよ完全にアウトだ。

この「悪魔の代弁者」アプローチは、何か新しいことに取り組む時や選択肢・解釈が分かれるような時に役立つことが多い。必ずしも他人との議論の場でなく自問するような場合でも良い。つまり一人二役の一人芝居をやるようなものだ。

アンチエイジング医学・医療の歴史はまだ20余年。その一方で、体のありとあらゆる部位のさまざまな疾病に関わるだけでなく心理学や生物学など医学以外の学問や事象にも深く関わるという幅広さがある。そもそも医学は科学のようで科学ではないような曖昧さや不確実性の多い学問。その進歩・発展の過程では新たな発見などによりそれまでの常識が非常識に覆るようなことも多い。

傷ケアの常識・非常識

僕にとって身近な例を一つ挙げよう。傷の治療においては長年、特に日本ではほんの十数年前まで「しっかり消毒してから乾かして治す」が常識だった。

1962年にロンドン大学で創傷治癒の研究者だったジョージ・ウィンターという医師が、傷は乾かすよりもフィルムを貼って湿った状態を維持する方が治りが早いということを豚の皮膚で実証したことが専門誌ネイチャーで発表され、欧米の医学会では大きな話題になった。僕がニューヨークでの形成外科修行7年目を迎えた頃の話だ。

その後、消毒薬や乾燥は皮膚組織の再生を妨げるだけでなく痛みも悪化・長期化させるということが明らかになり、汚れている傷は水だけでしっかり洗った上で「乾燥しないよう湿った状態を維持して直す」が常識になった。これは「湿潤療法」と呼ばれる。日本では「消毒・乾燥信仰」ともいえる先入観を塗り替えるのに数十年の歳月を要したが、「湿潤療法」のための一般向け絆創膏が商品化され急速に普及したこともあり今では常識として定着した。そこにたどり着くまでの道のりでは僕自身も幾度となく悪魔の代弁者のような問答を重ねたことを思い出す。

さまざまな専門分野における最先端の研究が絡み合うアンチエイジング医学・医療では常識や非常識が変わることも多い。そんなアンチエイジング分野だからこそ、専門家として関わる医師たちも健康維持や若返りに取り組む人たちも、巷に溢れるさまざまな健康情報やアンチエイジング法の中から何かを選ぶ時や他人に勧める時には「悪魔の代弁者」の精神でよく吟味、自問することを願う。

[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]

医師・専門家が監修「Aging Style」