純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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https://youtu.be/ANRPjm8eW6c

はい、ごきげんよう、諸君!

きょうは、令和時代のネットパラダイム:動画コミュニケイション、というお話をします。

連休明け、天皇と年号が変わっても、前と同じような仕事と生活、という人。時代において行かれます。だいたい、とりあえずパソコン、などというのは、もはや平成老人です。やたら詳しい資料を大量に作っていれば仕事、ネットサーフィンをしていれば生活、などという時代は終わったんです。

これを見てください。総務省が昨年の7月に出した『情報通信白書』平成30年度版。とっくにスマホがパソコンを追い越している。とりあえずパソコンというのは、50代以上。40代以下は、まずスマホなんです。

そもそも、いまはもう、ITなんて言いません。ICT、インフォーメイション・アンド・コミュニケイション・テクノロジー、情報「通信」技術、です。とはいえ、コミュニケイションを通信と訳すのもどうかと思います。コミュニケイションというのは、共通化、一体化。個人から個人へのメールと、集団のLINEの違いを思い浮かべれば、よくわかるでしょう。

私が学生のころ、大学の電子計算機の授業は、カード式バッチジョブのフォートランでした。本郷にある大型電算機に端末を数秒間だけつないで、いちいちプリンタから文字を打ち出すようなしろものでした。でも、私は、そんな講義を見限って、駒場生協の床にひざをつき、出たばかりの小さなパソコンで、カラー画面のBASICのゲームを作っていました。でも、これこそが、昭和と平成を分けたのです。1991年に発売されたウィンドウズ3.1が、平成30年間の仕事と生活を決定的に変えたのです。

いま、ネットにバカみたいに大量の情報量を詰め込んでいるの、ウィキペディアとか、2チャンネルとか、あんなの、平成で終わりです。ああゆうのをスマホで見てみたら、すぐにわかります。画面が狭すぎ、文章が多すぎて、必要なことがどこに書いてあるのか見つけるのは、もう絶望的。読めばわかる、どこかに書いてある、って、保険約款じゃあるまいに、そんなの、黙って世間に見捨てられるだけです。

情報データベースのパソコンと、コミュニケイション手段のスマホでは、同じネット接続でも、使い方がまったく違います。会議で資料はA4一枚。それがいまのビジネスの常識。でも、それと同じことがネットで起きます。コミュニケイションで大切なのは、共通化、いまを共有すること。逆に言うと、それ以外はもういらない。情報が多すぎると、みんなが分散してしまって、コミュニケイションできない。

もちろん、資料の元となる情報データベースや、その編集加工の道具としては、パソコンも、令和の時代にも残るでしょう。でも、そんな素材や道具は、わざわざコミュニケイションの場に持ち出す意味はありません。人と共通化すべきアウトプットは、いま、というものだけ。あの小さなスマホの画面に表示できるものだけです。

そのぶん、スマホは、動態化します。いま、は、どんどん変わっていくからです。新聞がラジオやテレビに変わったように、静止的なウェッブは、動的な映像に変わります。画面いっぱいに大量のデータを載せるのではなく、要点にしぼって、順を追って動画で人に説明する時代なのです。それがコミュニケイションだからです。

スマホが好きでも嫌いでも、それが時代です。情報量を競う平成は終わったんです。パラダイムが変わった。いかにうまく要約するか、コミュニケイションとして共有するか。令和の時代、ただ情報を集めるのではなく、物事をクリアに分析して、うまくアウトプットし、人々と一体化する仕事に切り換えていかなければなりせん。



(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論、映画学。最近の活動に 純丘先生の1分哲学、『百朝一考:第一巻・第二巻』などがある。)