メスで心は癒せるか?
数日前、韓国のある女性タレントが総額9500万円を注ぎ込んで美容外科手術を繰り返し、中国の人気ファッションモデルと瓜二つの顔に生まれ変わったというネットニュースを目にした。
「メスで心は癒せるか?」
このニュースで思い浮かんだのがこの言葉。
19年前、2000年に僕が書いた本の副題だ。メインタイトルは「美容外科の真実」という出版社らしい発想で付けられたが、この「メスで心は癒せるか?」は僕が形成外科医として美容外科に取り組むようになった60年前から幾度となく繰り返した自問の言葉。
僕が北里大学で形成外科を開設したのは1973年。以後23年間、さまざまな取り組みを行った。形成外科は外科の中でも主に体の表面の形態や機能の「再建」を担うが、その再建の延長線上に「美容」がある。以前のコラムにも書いた通り、大雑把に言うなら怪我や先天性の病気などにより生じたマイナス状態をゼロにまで戻すことを目指すのが再建で、ゼロの状態を起点としてプラスの上乗せを図るのが美容。
北里大学で僕は美容外科に関わる形成外科医たちが「美」や「美容」に関する理解を深め、美容外科医としての技術・判断力や患者とのコミュニケーション能力を養うことを重視した。一つ目の取り組みは美術大学の講師によるデッサン教室の導入。美容外科医の仕事ではデッサンの技術が多少なりとも役立つが、それよりも医師たちの観察力を磨く上でデッサン教室はとても効果があった。また実は僕が個々の医師の適正や性格を密かに診断する役にも立った。
二つ目の取り組みとして、化粧品メーカー大手と連携して美容外科手術を希望する患者への化粧・エステ指導を導入した。僕たち外科医にとっては手術が仕事。美容外科手術を希望する患者本人も病院まで足を運んだ時には手術がすべてという意識になっていることも多かったが、患者側の選択肢は手術だけではないはずだと考えた。エステティシャンによる化粧指導やフェイシャルケアは、手術に踏み切るかどうかという患者側の判断や手術後の傷あとケアの面で期待通りの成果をもたらしたが、エステティシャンによる「カウンセリング効果」は予想外。雑談も交えたマッサージには外科医の問診や治療では得られない心理的な効果があった。
これが三つ目の取り組みである精神科との連携に繋がった。美容外科手術を希望する患者の診療には、精神科医の指導に基づき心理療法士が行う心理テストとカウンセリングをセットにした。患者の側は自身の容姿などに多少なりともコンプレックスを抱えて病院に足を運ぶ一方、医師の側は心理学が必修科目ではない医学部で学び、目に見える皮膚・筋肉やリガメント(靱帯)を扱う知識と技術を磨くことに専心してきた。「心」までも専門的に扱うことを医局の形成外科医たちに期待するのはあまりにも無理があったが、美容外科の場合は心のケアにおいてもその道の専門家との連携による対応態勢が欠かせないと僕は考えた。
このほかにもさまざまな取り組みを行い北里大学を退職するまでの23年間で形成外科は大いに発展したが、それは僕の考えに賛同して最高の環境を与えてくれた大学側と僕について来てくれた多くの医局員たちのおかげだ。
その大学を定年退職して20余年。近年は注射による注入治療やレーザー治療など、メスを使わない非外科的な治療法や医療機器が目覚ましい発展を遂げたことで美容医療は医師にとっても患者にとっても敷居が格段に低くなった。「メスで心は癒せるか?」の「メス」は別の言葉に置き換える必要があるかもしれないが、「心は癒せるか?」についてはこの先も今回のようなニュースを目にする度に僕は自問を繰り返すことだろう。
[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]
医師・専門家が監修「Aging Style」