努力・根性・我慢、そして言いわけの悪循環/純丘曜彰 教授博士
ダメなやつは、すぐわかる。こう書くと、すぐに反発するやつが、それだ。自分で自分がダメなやつであることを自白しているようなもの。人の話を聞かない、それどころかケンカを売ってくる。
ダメな環境、ダメな習慣にどっぷり漬かっていながら、努力・根性・我慢で、やるべきことをやり、やめるべきことをやめるというのは、まずムリ。やるべきことをやれない、やめるべきことをやめられない理由や状況が山ほど湧いてくる。それで自分に言いわけして、ずるずると深みにはまっていよいよ抜けられなくなる。そのうえ、このことを人に当たり散らすから、だれも救ってもくれない。
それで、どこの国でも生活格差が開いていっている。親の代、親の親の代から、よい選択のよい環境に恵まれていれば、よい習慣が身につき、ほっておいてもよい行動をして、よい結果が得られる。そして、さらにまた、よりよい環境にシフトアップできる。逆に、悪い環境にいれば、悪い習慣に染まり、悪い行動をして、悪い結果しか出てこない。それでよけい悪い環境に落ちていく。
自己啓発書はいろいろあるが、書いてあることは大差ない。結果は、行動による。行動は、習慣による。習慣は、環境による。環境は、選択による。つまり、結果←行動←習慣←環境←選択。正しい選択をしさえすれば、あとは結果まで、一気にうまくいく。正しい選択、それは決断だ。いったん選択したら、絶対にもう迷わない、戻らない、悩まない。自己啓発書に限らない。仏教でも、キリスト教でも、イスラム教でも、「回心」を言う。改心や悔心ではない。もっとかんたんなこと。最初にちょっと心の向きを変えるだけ。
にもかかわらず、自尊心と劣等感のコンプレックスで人の話にことごとく反発し、あれこれ言いわけばかり。そんなことばかりしていても、だれもそんな自業自得の結果に同情しない。まして、そんな汚物まみれのやつを泥穴から救ってやろうなんていう物好きはいない。ダメなやつにかかわったら、いっしょに池の底へ引きずり込まれてしまうことくらい、みんな知っている。
だから、もはや自助しか、この悪循環を脱する道はあるまい。まずは、人の話を聞くこと。自分の状況を客観的に見直すこと。生活を立て直すこと。だが、生活というのは、その中にいると、どこが、どう、つながっているのか、意外にわからない。毎日いつも、それが当たり前だと思ってしまっているから。じつは、それはかなり論理的だ。結果だけを求めても、どんなに努力や根性や我慢でどうにかしようとしても、ムリはムリ。逆に、流れに乗ってしまえば、なんとなくいつの間にか結果が出る。重要なのは、流れを作ること。
そのためには、二つ。一つは、毎日の循環がまちがった流れに入るはるか手前で、何重にも堰き止めること。目の前に麻薬を差し出されてからでは、やめようでやめられるわけがない。浮気でも、借金でも、ギャンブルでも、スマホでも、テレビでも同じ。いったんそれに手を出したら最後、きみの時間、きみの人生を喰い潰して、いよいよダメにする。だから、これをくい留めるには、これを遠ざけるくらいではムリ。それよりもずっと手前、まったく関係ないくらいのところで、別の水路へ生活を流さないといけない。
そして、もう一つは、このためにも、希望する結果から逆算して、水路の分岐点を見つけ、そこを深くしっかり掘ること。そこから流れ出させることさえできれば、あとは結果まで一直線だ。それが早寝早起なのか、まず冷静に人の話を聞いて実行してみることなのか、どこからなら選択を変えられるのか、自分の毎日の生活構造をよく考えてみよう。
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学、『百朝一考:第一巻・第二巻』などがある。)