グレートジャーニー関野吉晴さんの人生。探検家はなぜ医師になったのか?/LEADERS online
アマゾンに魅了され、一生探検を続けたくて医師をめざす
文化放送「The News Masters TOKYO」のマスターズインタビュー。
関野吉晴さんは世界を股にかける探検家に憧れ、大学に入るとすぐ探検部を創設。タケ小山も20代でプロゴルファーを目指し渡米している。
広い世界で己を試そうという心意気には共感を覚える。念願のアマゾンは関野青年の目にどう映ったのか。パーソナリティのタケはまずそこから聞いてみることにした。
「はじめは壮大なアマゾンの自然に圧倒されました。そのうちにむしろ自然と一体になって暮らしているアマゾンの人たちに魅了され、一緒に暮らしたいと思いました。事前に連絡する手段がないので、いきなり現地に行って、泊めてください、食べさせてください、何でもします!とお願いするんですが、僕はジャングルでは無力でただの足手まといでした。彼らは必要なものを何でも自然から手に入れます。食べ物は保存できないので、獲物もシェアする、持ち物はみんながほぼ同じ。モノが必然的に必要な人のところへ流れていく社会です。
時間の捉え方も私たちとは全く違います。ある時、滞在中にビザが切れるので、町へ行かなくてはならなかったんですが、彼らと再会したくても連絡手段がない。別れた川辺でまた会いたいけれど、カレンダーも時計もないので、『次の満月にまたここで会おうよ』と約束したんです。実際、彼らはちゃんと待っていてくれました。東京では絶対やらない、ずいぶんロマンチックな約束ですよね(笑)」
探検を一生続けるにはどうしたらいいか真剣に考えた関野さん。研究者やジャーナリストやカメラマンなど、選択肢は他にもあった。それなのにどうして医大に入り直し回り道をしてまで医師になったのか、タケは理由を知りたかった。
「アマゾンの人たちとは調査とか取材の対象としてではなく、友達でいたかったんです。医師になれば、足手まといにならず、少しは彼らの役に立つだろうと思いました。医学に興味があったし、ジャングルでケガしても自分で縫えていいじゃないかと。一から勉強しなおして、なんとか医学部に入学しました。春や夏の長い休みを使って、試験が終わるとすぐアマゾンです。勉強は結構できましたよ、アマゾンではみんな夜が早いので、旅も夜は勉強みたいな生活です。それでも医学部は6年で卒業して、外科医になりました」
44歳で5万3千キロの旅「グレートジャーニー」人類がたどった道を人力で踏破
<関野さんのグレートジャーニー>
アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅。1993年に南米最南端チリのナバリーノ島をカヤックで出発して以来、足かけ10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。
アフリカで生まれた人類が、ユーラシアを通り、シベリアを経て南アメリカの南端まで移動した旅をグレートジャーニーと名付けた歴史家がいた。関野さんは外科医として病院勤めの傍らアマゾンに出かけていたが、40を過ぎて病院をやめ、大冒険を決行することにした。どうしてそういう心境になったのだろうか。
「20年以上南米を旅していると、あちこちでアジア系の顔と出会います。彼らがいつ、どうやってアメリカ大陸まで来たのか知りたかった。そこでグレートジャーニーを逆ルートで辿ってみようと思いました。大きな変化は、南米から北米、アラスカ、ロシアを通り、モンゴルに入ったあたりです。それまではアジア系先住民と支配層の白人系に分かれていたのですが、モンゴルに入った途端に、全ての顔がアジア系に変わりました。国境を越えた食堂で出てきたお茶が甘くない。それまでのお茶には砂糖がたっぷり入っていたんですが、モンゴルから先は無糖。それと器に取手がなくなる。文化がはっきり違ってきます。宗教もアニミズム、シャーマニズム、キリスト教だったのが、仏教になります」
10年かけてチリからアフリカまで旅してつくづく思った、地域で人々の様子が違う。当然だが、ルーツは同じでもタンザニアの人とアマゾンの先住民は見た目も生活も全く違う。
しかし、それは人類7000万年の歴史の中で、ほんの2、3万年前のことにすぎない。紫外線量への適応、気候への工夫、そんなことから分岐したいわば最近の出来事なのだ。肌の色で差別するなど、いかに馬鹿げたことか、と実感した旅でもあった。
世界を見た眼で、今度は日本を知る旅に
タケも実感したことだが、海外にいると、日本について聞かれることが多く、日本を意識する機会が多いものだ。
関野さんは、アフリカに到着して、自国の民族のルーツについて詳細に語れるほど日本を知らない、もっと足元を見てみようと、思い立つ。
「自分の遺伝子を調べてみたのですが、そうしたら母方が北方の縄文系だということがわかりました。僕と母は同じだけど、父は違う。日本人はどこから来たか、ではなく、南北からこの島に渡ってきた人々が混血して日本人になっているんです。30年一世代で、縄文人は100世代前です。誰もそこまでは先祖を辿れませんが、人類の祖先がアフリカを出たのは2000世代前、日本人が形成されたのは、そう昔でもないんですよ」
日本人の祖先が日本列島にたどり着いた道をたどる新しいグレートジャーニーは、シベリアを経由してサハリンから稚内まで『北方ルート』朝鮮半島から対馬までの『南方ルート』と『海のグレートジャーニー』を実行した。
「海のルートでは舟も自分たちで作りました。当時、武蔵野美術大学で文化人類学を教えていたので、学生やOB、OGの手も借りました。アマゾンと同じ発想で、すべて自然から材料を取り、太古と同じ方法で作ろうと、浜で砂鉄をとり、たたら製鉄(日本刀を作る方法)で工具をつくり、インドネシアのジャングルで木を切って浜に運び、4カ月がかりで完成です。その船でインドネシアから日本まで、4000キロを航海しました」
探検の次はカレーライス!?
武蔵野美術大学で文化人類学を学ぶ関野ゼミではカレーライスを作るのだという。美大でカレー?どういうわけなのか?タケはそのあたりをぜひ聞いてみたかった。
「後から入った学生は『たたら製鉄』のうわさを聞いているので、やりたがるのですが、たたらだけやってもしょうがないので、一から作るということをやりたいのなら、カレーライスを作ってみたら、ということになりました」
一からというのは、米や野菜、スパイス、塩も肉もということだ。そして食器まで作ってしまう、簡単なことではない。最初150〜200人いた受講生が最後は30人になってしまう過酷なゼミだが、脱落する理由はなんだろう。
最大のつまずきは「肉」だとタケは予想したが…。
「野菜です。学生はタネをまいたら収穫できると思っていますが、雑草取りなど野菜作りの大変さを知るとボロボロ抜けていきます。肉については覚悟ができている学生が多いはずです。文化人類学のメインテーマは採集狩猟民なので、学生は授業で血だらけの写真も見ているし、屠場見学もしています。自分が食べている肉を誰がどういう思いで屠っているのか、スーパーで完成しているわけじゃなくて、誰かが命を取っている。学生たちが経験を通して、肉だけじゃない、食べているものは全て生き物なんだということを気づいて欲しいと思ってやっています」
「地球永住計画」次世代のために地球環境を考えるプロジェクト
自分の足で世界を歩いていると、環境破壊、人口増加、食料不足、資源の枯渇など、経済至上主義の元に、人類滅亡の危機は進行していると肌で感じるという。
関野さんは危機感を持ってプロジェクトを始めた。壮大なテーマだが、どういう活動をしているのだろうか?
「できることはやろうということで、大学の近所の玉川上水のタヌキを中心に調べています。玉川上水はアマゾンに比べたら小さいですが、都市生活者には大切な自然です。玉川上水の生態は、何がいるかはわかっているけれど、関係がわかっていない。例えばタヌキのフンを調べると、季節ごとに何を食べているかわかります。フンだらけにならないのは、フンを分解するフンコロガシなどの昆虫もいるということです。私たちはトキとか、イリオモテヤマネコには関心を持ちますが、フン虫だって生きているし、役に立っています。虫がいれば、カエルも蛇も来る、その全部のつながりを調べ、人間との関係はどうなるのか、この自然を守るためにはどうしたらいいのかを足元から考える。そのほかには大学周辺の古老の話を聞くなど、トータルに地球環境を考えようという計画です」
関野さんは今年の3月で大学を退官するが、武蔵野美術大学のこのプロジェクトは大学の外の市民や科学者、芸術家とのつながりの中で、続行するそうだ。
「賢者に訊く」では、先端科学の識者に研究テーマについて話を聞く機会もあり、講座は多くの人に開かれている。大学で教えていると、様々な世代の日本人と接するが、人生の先輩として、最近特に今のリーダー世代に対して憂いていることがあるそうだ。自分が若い頃、思い切ったことができたのは、先輩世代の大らかな理解があったからだという。
「今のリーダ―世代は若い人にすぐ結果を期待するでしょう。1年か性急だと3カ月で結果を出せと迫る。しかも失敗は許されないぞ、となると、若手はそつなくやるしかない。10年モノにならなくていい、失敗してもよしと言えれば、若い人も思い切ったことができるんです。今はオリンピックが終わったら、後のことは考えていないような風潮があります。多くの人が1年か2年先のことしか考えていないけれど、孫とかひ孫の時代に世の中がどうなるか、もっと目線を先に向けて考えてほしいと思います」
探検家の話は、見聞を語るにも、歴史を語るにしてもスケールが壮大だ、人類誕生からの年月を考えたら、一人の人間の人生などあっという間なのだろう。
それだからこそ関野さんは次の世代のために、それぞれが今できることを始めなくてはいけないという危機感を持っている。誰もが部外者ではなく、当事者意識をもたなくてはいけない。タケはデータだけの研究者ではなく、自分の足で歩いて世界を見聞きしてきた人の言葉だからこそ、耳を傾けるべきだと思った。