ガーナ戦で不甲斐なく完敗を喫した日本代表。それでもプラストウ記者はポジティブな要素はあったと力説する。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

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 世界中のフットボールファンがわくわくする、極上の1か月がやって来る。
 
 今回のワールドカップも、わたしの母国であるイングランドと長く暮らしてきた日本の両国が揃って出場する。なんとそんな夢のようなシチュエーションは1998年のフランス・ワールドカップから6大会連続で続いているのだ。少なくともJリーグが創設される前までは想像だにできなかった。思い出すのは94年アメリカ大会の予選。ともに“悲劇”を体験して本大会に駒を進められず大きくなショックを受けたのを、いまでも鮮明に覚えている。
 
 さて、日本はワールドカップ初出場から20年の節目を迎えた。いよいよ西野朗監督が選んだ最終登録メンバー23名も発表され、ここから臨戦モードに入る。

 
 その前日、水曜日のガーナ戦はたしかに不甲斐ない結果に終わった。これ以上ないほどの暗い雰囲気に包まれ、スタンドはもちろんプレスルームも然りだった。世界最大の祭典が目前に迫っているのに……。どうもこれは、いけない。
 
 選手やチーム、監督、戦術などについて議論し、大いに批評すべき時期はもちろんある。厳しい分析の目を向けて、問題点を指摘するのは大事な作業だ。日本のファンの間ではとりわけ議論が盛んだし、それが夜通し続くことも珍しくはない。これ自体は素晴らしいことだ。なかなか欧米の国でもここまでにはならない。ただ、分析や批評ばかりで期待感をどこかに忘れてしまってはいないか。一番大事なことを見失なっているのではないか。
 
 ワールドカップはもとより、唯一無二と言っていい世界最大の夢だ。選りすぐりのフットボーラーたちが4年に一度、最高のパフォーマンスを競い合う檜舞台。ファンやサポーターたちが世界中から集い、大いに交流し合う場所でもある。そして世界のサッカー少年たちは素直に、最高峰のプレーとプレーヤーに憧憬の念を抱くのだ。98年当時、日本のファンの誰もがその真髄を当事者として初体験し、感動しただろう。翻って20年が経ったいまはどうだろうか。
 まずいまはなにを置いても、サムライブルーを一生懸命応援するタイミングだろう。選手たちは力の限りを尽くそうと燃えているはずだ。そこに嘘偽りなどないはずで、結果を見定めるまではバックアップしてあげないと報われない。
 
 たしかにスカッドの高齢化は看過できない問題だろう。大会後の日本代表を誰がリードしていくのかなど不透明な部分が多いし、心配になるのも分かる。一方で我がイングランドは若きタレントに恵まれ、面白いフットボールを見せてくれているが、頼りとすべきベテランがおらず、経験の面では心もとない。今回のワールドカップでは、大きな飛躍が望めないかもしれない。状況はまるで異なる両チームながら、この大会には全力で臨むだろう。後先を考えている余裕などないし、明るい面も暗い面もひっくるめて、チームを見守る必要がある。

 
 なにより、23人を選んだ西野監督のジャッジは尊重されて然るべきで、ベストの23人と受け止めてもいいはずだ。浅野拓磨、井手口陽介、中島翔哉などを本当はメンバーに加えたかったのだろうし、予選で貢献を果たした清武弘嗣、久保裕也、森重真人らも有力な候補だったはず。それでも、西野監督は23人しか選べなかったのだ。ガーナ戦では、井手口を最後の最後まで試していたではないか。難しい判断だったに違いない。少なくともわたしは、その決断をリスペクトする。
 
 ガーナ戦についても、ポジティブな側面がなかったわけではない。個人的には新しいシステム(3-4-2-1)はある程度成功したと感じているし、志向するスタイルも垣間見えた。長谷部誠の(スイーパーの)役割は面白いし、練習で連携を磨けば守備強度は高まるだろう。ワイドプレーヤーでは、長友佑都が実に開放的な動きを見せ、溌溂としていた。大島僚太は的確なパスとフィードを前方に供給していたし、柴崎岳も途中出場ながら、積極果敢な姿勢でアピールに繋げている。日本はいくつかのチャンスを作っていた。