高橋尚子マラソンを始めたキッカケは小出監督の「365日の囁き」
シドニーオリンピック金メダリストの高橋尚子が、12月16日放送の『サワコの朝』(TBS系)に出演した。
高橋が陸上を始めたのは中学生から。もともと中距離の選手だった高橋は、「そんなに強い選手ではなかった。私はずっと800メートルを中心にしていたのですが、100メートルも、200メートルも400メートルも。リレーも全部やりました」と発言。
司会の阿川佐和子が「一番いい成績は?」と質問すると、「中学生のときで、(岐阜の)県大会で1回だけ1番になったことがあります」と回答していた。
阿川に「十分強いじゃないですか」と言われた高橋は、「ただ、全国に出て行くと(ダメで)。都道府県対抗女子駅伝という駅伝があって、各県で中学生から実業団までで選ばれた9人で襷をつなぐんです。高校2年のときに初めて出て、47人中、45番だったんですよ。後ろから3番目で。最初の1キロで10人抜いて、最後の3キロで20何人かに抜かれましたね」と明かす。
高橋は「スタートは800メートルの選手だったので、『ポーン』と行けるんですけど、(区間は)4キロあって。後半はみんなに抜かれるだけ抜かれて。泣きました。もう大泣きして『岐阜県に帰れない〜』って言ったのを覚えています」と振り返った。
ちなみに、高橋はその後、同じ大会に8回出ており、最後はエース区間で、区間賞を獲得したというからさすがである。
高橋は「徐々に徐々にです。なので距離も少しずつ伸びていって、実業団に入ってから初めてマラソンにチャレンジしましたね」と説明。
実業団に入った当初も、マラソン選手になるつもりは「全然なかった」という高橋だが、マラソンを始めたきっかけはなんだったのか。
「小出監督が、いい意味で言えば根気強く、悪い意味で言えばしつこいくらい『お前はマラソン走ったら世界一になるぞ』って囁くんです。
最初は、励ますためのお世辞だと思ったんですけど、365日言われ続けると、人間その気になるもんなんですね」
ここで阿川に「最初はマラソン選手になるつもりはなかった人が、何年間で2000年のシドニーを迎えたんですか?」と聞かれると。
「マラソン始めて3年半ですね。早いんですが、1回目のマラソンは7位っていう記録で。次の年の名古屋マラソンで初めて踏み出したという感じです。それを考えると、ちゃんと自分が手応えを持てるようになってからだと2年半ですね」
陸上競技で日本人女子初となる金メダルを獲得した高橋は、現在、解説者・スポーツキャスターとして活躍中だ。番組では阿川に、「なんて面白い解説だ、と感動した」と絶賛されていた。これからも、テレビの世界でその才能を発揮していくことだろう。