自分がシャルケのサポーターだったらどう感じるか、と考えてみる。

 いまさら誤審を認めたところで、試合の結果は変わらない。ライプツィヒにPKが与えられなければ、シャルケは最低でも引き分けることはできた。勝点を盗まれたような気持ちになるかもしれない。

 ただ、「もう終わったことだ」として沈黙を守られたら、それはそれで歯がゆくてやりきれない。行き先を見つけられないストレスが、ずっと燻ってしまう気がする。
次にダンカート主審がシャルケのゲームを担当したときには、それまでよりも厳しい眼で見てしまう。そして、シャルケが微妙な判定を受けるたびに、「またかよ」という気持ちがどんどんと膨らんでいく。たとえば、勝点1差でCLの出場権を逃したりしたら、ライプツィヒ戦が真っ先に思い浮かぶだろう。最終的にはダンカート主審を、敵視してしまうかもしれない。

 それならば、ミスはミスだったと認めてくれたほうが、まだしも前向きな関係を築くことにつながると思う。何よりも、キックオフ前から不信感を抱くような関係は、誰にとっても幸せではないと思うのだ。