東京都知事選挙で当選確実となり、お辞儀する小池百合子氏。(時事通信フォト=写真)

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小池百合子の秘蔵っ子「ヤバイのがきた」

7月31日投開票の東京都知事選挙に“圧勝”した小池百合子都知事は、8月2日、特別秘書に野田数氏を任命した。その人事をめぐって、都議会自民党からは「ヤバイのがきた」と大きな波紋を呼んでいる。 野田氏とはいったいどんな人物なのか。

「選挙中同様、弾除けをよろしくね」

8月1日、小池都知事は野田氏にこう告げて特別秘書就任を要請したという。都知事選挙の最中に、小池陣営の責任者を務めた野田氏。インターネット上で小池候補への殺害予告があると、空手やキックボクシングなどの格闘技経験もあるため、暴漢からの「弾除け」になった日もあった。それが小池都知事の念頭にあり、“弾除け要請”につながったのだ。

野田氏は小池氏の秘書や東村山市議を経て、2009年7月の都議選に自民党から出馬し初当選。教育評論家として幅広いメディアに寄稿していた。小池事務所スタッフは、小池知事の特別秘書任命の意図をこう解説する。

「都議会議員だった野田さんの特別秘書任命は、もちろん都議会対策です。都知事選で、野田さんは小池陣営の責任者を務め、組織的支援のまったくない選挙戦を取り仕切った。増田寛也氏や鳥越俊太郎氏陣営よりも早く選挙ポスターを貼れた地域は多く、組織力を誇った他陣営を驚かせることができた」

選挙中、野田氏が中心となった働きかけがあったとされるのが、猪瀬直樹元都知事によるアンチ内田茂氏キャンペーンや、自殺した樺山卓司都議の妻による小池氏応援だった。

「実は野田さんは、猪瀬氏が公民権停止となったあとも関係を絶たず、必死にメディアに活躍の場がないか働きかけていました。さらに、〈内田、許さない!!〉と遺書に綴って自殺した樺山都議とも、死ぬ前日に酒を飲んでいたのです。豊富な人脈をもつ野田さんが動いたことは間違いない」(都議会関係者)

9月2日、小池知事は、舛添要一氏がHP上での公開を取りやめた「朝鮮学校調査報告書」を再公開した。朝鮮学校で用いられる教科書に、「主体思想は、偉大なる金日成主席様が創始され、敬愛する金正日将軍様が発展・豊富化された、人間解放のための新しい思想だ」(高級部1年「社会」教科書)や、「日本の地のあちこち 我が同胞暮らす所に 誇らしい総連組織堂々と築いて祖国のため権利のため全ての犠牲を顧みず 聡明なる活動家が団結して働きます 首領様の高き教示 心で奉じて事業する 我らの誇り並大抵ではありません」(中級部3年「音楽」教科書)などの記述があることが報告されている。

実は、この「朝鮮学校調査報告書」は、野田氏が都議会議員だった時代に、当時の石原慎太郎都知事の特命を受けて、野田氏が調査メンバーを選んだ。

さらに、野田氏の都議会での質問がきっかけとなって、東京都は朝鮮学校への補助金を取りやめた。全国の自治体が東京都に倣ったことで補助金打ち切りの動きが広まった。野田氏のもとには脅迫状が殺到し、つきまとい事案も発生したという。野田氏のその議会質問を事前に取りやめるよう圧力をかけたのが当時の都議会自民党の執行部だった。尖閣諸島の問題でも、石原氏の意向を実行に移そうとした野田氏の足を引っ張った。これらの問題が原因となって、野田氏は都議会自民党と袂を分かつことになった。野田氏が投げた“紙爆弾”は波紋を呼びそうだ。

舛添都知事時代まで、都議会自民党と共同歩調をとってきた都議会公明党の議員は「自民都議は地元に行くと支援者から『小池百合子をいじめるな』と突き上げをくらい脳死状態になってしまった。突然知事を無視してみたり、メディアの前で支持すると笑ったり、と傍目にも意味がわからない。母親を前にした幼児のようだ」と呆れ顔だ。

執行部と距離を置くことにした都議会自民党の議員は「内田茂・前都連幹事長のやり方は、都議だった野田氏が一番よく知っている。執行部が期待するような『節目が変わるタイミング』が本当に都議選までに訪れるのか。『小池はヒステリーだ』『野田はヤバイ』と訴えても都民の耳には届かない」と危機感を露わにする。

(時事通信フォト=写真)