2013年3月にネット調査を実施。対象は、首都圏と関西に住む30代、40代、50代の男女200人。未婚者、既婚者ともに含まれる。調査協力はアイブリッジ。

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■合格家族――次男にかけたお金「5分の1」。だからこそ受かった

「お母さま、おめでとうございます。今はお母さまがゆったりとした気持ちでいらっしゃるから、上のお嬢さまは、中学受験ではきっと大丈夫ですよ」

個別指導塾エルクの塾長・奥野孝子は、洋子さん(仮名・以下同)にそう言って、弟の海斗くんの慶應義塾横浜初等部への合格を祝福した。「ありがとうございます」と落ち着いた態度で言い、深々と頭を下げるワーキングママを見ながら、奥野は2年前のことを思い出していた。長女・陽菜ちゃんは慶應義塾幼稚舎に落ち、別の私立に行くことになったのだ。

「もう悔しすぎて、私、ランドセルが今も買えないんです」

受験失敗で、すっかり取り乱した洋子さんが電話口でそう言ってしゃくり上げる声が、今でも奥野の耳に残っている。今の彼女とはまるで別人だった。

長女の受験では、慶應義塾幼稚舎を目指して、幼稚舎専門塾をはじめ、大手受験塾、絵画教室、体操教室などに3年間で約1千万円を注ぎ込んだものの不合格、すっかり自信を失い、次に控える海斗くんの受験を前に「どうしていいかわからない」と奥野を訪ねてきた。聞くと、受験塾では洋子さん自身が徹底的にダメ出しをされていた。

「本気で幼稚舎を受験させるなら、保育園はやめさせなさい!」

「3歳なら数字が読めて当たり前」

「あなたのような母親は幼稚舎向きではありません、その喋り方や性格を直さないと、娘さんは合格できませんよ」

 受験塾は、その調子で母親の劣等感を刺激しながら、彼女を少しずつ洗脳していった。さらに追い打ちをかけるのが、ママ友同士の情報戦。

同じ受験塾でも合格率の高い担任とそうでない担任がいるとか、絶対に合格させてくれる秘密の受験塾があるといったうわさが飛び交い、完全に自分を見失う。結果、お受験幼稚園や受験塾を何カ所も渡り歩くことになる。

洋子さんはご多分に漏れず、受験塾、お絵描き、体操、週末は模試にくわえ、家でも次々と課題を与えていったという、母親がノイローゼ状態で受験準備を続けると、お子さんの子供らしさがどんどん失われていく。と奥野は言う。

「小学校受験で、どの学校を受けても求められるものがあります。それは、旺盛な好奇心や人懐っこさ。思考力を身につけておくことは大切ですが、なにより子供らしさを失わないことが一番。まずは、あなたは決して悪いお母さんではない、よくやっていると褒めてさしあげました。そして、お勉強に関しては、こちらに任せてください、気楽にやりましょうと申しあげました」

海斗くんの受験では、方針を大転換。体操教室と奥野の指導だけに絞り、ペーパーテスト対策は必要最低限にとどめた。余計な情報に惑わされることなく、洋子さんは安定した精神状態をキープ、海斗くんも最後まで子供らしさをキープした。

費用は年間70万円程度で済み、垂涎(すいぜん)の「新設校1期生」の座を手中に収めた。お受験では、兄や姉は勉強漬けで失敗、弟や妹は合格という場合が多いらしい。

「とくに共働きの母親は、受験と仕事を同じように考え、効率的な勉強をさせようとしがちです。お受験では量より質のほうが大切。塾でこなす問題より、お母さんと一緒にゆっくり解いた1問のほうに意味がある。効率や量だけを追い求めると、お子さんがつぶれてしまいます。母親がさまざまな情報に惑わされず、自信をもって、ゆったり構えることが合格への一番の近道なのですよ」

■不合格家族――成績優秀トップの娘が、なぜか本番は力を出せず

成績優秀な子でも入試本番でアガッてしまい、実力をまったく出せず、不合格というケースは少なくないのです。母親が過保護気味な子には、そういった面があり、危険を感じます。リラックスして挑める小規模の模試では、良い成績が取れるので、なかなか問題が表面化しないのがやっかい。心配な親子には、できるだけ大勢の参加者がいる模試を受けるように勧めているんです」

と奥野は言い、ブランド校に固執した結果、ひとつも合格を取れず、公立に通わせることになった蘭さん(仮名・以下同)の話を始めた。

蘭さんの娘、ルナちゃんは模試では常にトップクラス。見た目は女の子らしい清楚(せいそ)さと利発さを感じさせる。3月生まれでも成績優秀だったことが、蘭さんの自信を深めさせた。

「ところが、お母さまは教室の外で待っていてほしいと私がお願いすると、「そばで見せてほしい」とゴネるなど、子供を突き放せない弱さがありました。ルナちゃんにも、母親依存っぽい、線の細さがあるような気がしたのです」

蘭さんは、当時通っていた幼児教室の先生から「第1志望の青山学院の合格は絶対大丈夫ですよ」と太鼓判を押されていた。タレントの山口もえ似で、口調ものんびりした専業主婦ママは、塾の高い評価にすっかり舞い上がってしまった。受験校は、私立の名門・青山学院と国立の名門・筑波大附属に絞っていた。

「青山学院はミッション系の私立共学校で、筑波大附属は国立の共学校、校風が全然違う学校ですから、この2校しか受けないのは、併願プランとしておかしい。幼児教室の側は優秀な子を人気校、有名校に合格させて、合格実績を稼げればいいわけです。受験生本位の併願プランを提案してくれるとは限りません。それ自体はある意味しかたがないことですが、母親が企業の戦略に惑わされるのはよくないこと。親が主体となって、子供の性格や資質を第一に考え、滑り止めもふくめて適切な併願校を選ぶのが小学校受験の基本戦略です」

蘭さんは「青山学院以外の私立は考えられない」とでも言わんばかりのかたくなさで、奥野の助言を聞き入れなかった。蘭さんの家庭の雰囲気や教育方針に似合いそうな学校と言えば、聖心女子学院の初等科や、東洋英和女学院の小学部あたり。奥野には、青山学院よりルナちゃんに合う小学校がはっきり見えていた。

小学校受験の合否判定は、ペーバーテストだけではないため、受験者には合否の本当の理由が最後までわからない。あくまで奥野の憶測だが「ルナちゃんは雰囲気にのまれ、パニックになったのではないか」という。結局、青山学院と筑波大附属、ともに不合格になってしまった。

「ひとつも合格できず、子どもの心に傷が残れば、母親が中学受験でいくらリベンジさせようとしても、子供本人の心が委縮してしまっていて、残念ながらどうにもならない場合が多いんです」

ルナちゃんは早くから成績優秀だったが、小学校受験の場合、人気校を目指していたとしても、早い段階から好成績を取っておく必要はないという。

「年長さんの夏休み後、成績が急上昇することがあります。これを『黄金曲線』と呼んでいますが、それにうまく乗せてやることが大事。自分の子供にはどんな勉強法が合うのかを、親が見極めてやる必要があるのです」

それまでに頑張りすぎると、夏休み明けに急速に息切れしてしまう危険性があるらしい。

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教える人:奥野孝子/エルク塾長
東京・恵比寿にある幼稚園・小学校受験向け完全個別指導塾「エルク」塾長。指導歴38年。子供の受験指導だけではなく、確実に合格できるよう一人ひとりにあった学校選びから、願書指導・面接指導など指導内容は多岐にわたる。

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(荒川 龍=文
教える人:エルク塾長 奥野孝子)