青森山田高校の寮で死んだ高校生は大阪府出身。おそらくはボーイズリーグの出身で、青森に野球留学したのだろう。背中を叩いた先輩も大阪府出身。あるいは大阪でも先輩後輩の関係だったのかもしれない。
死んだ生徒も、背中を叩いた先輩も、甲子園、プロ野球を夢見ていたはずだ。そしてその夢をかなえるためにブローカー的な関係者の紹介で縁もゆかりもない青森の高校に進んだはずだ。このあたり、田中将大、ダルビッシュなどと全く同じ経緯だ。彼らは評価によっては学費を免除されたり、小遣いを与えられたりする。野球で甲子園に出て有名選手になることだけを目指して、3年間頑張るのだ。

しかし、それだけに競争は過酷で、試合に出られない選手も多い。過去の野球有力校での暴力沙汰、不祥事などを見ると、競争に敗れた生徒が問題を起こすことが多い。故郷の期待、両親の期待を背負って遠くまで来て、ふがいない境遇になったことがストレスとなって、下級生にぶつけられるケースが多いのだ。

青森山田高校は、軍需専門商社で防衛庁への納入を巡って疑獄事件を起こした山田洋行や、山田地建グループに連なる私立の学園だ。今年監督が交代。また先月末には校長が逝去している。落ち着かない雰囲気の中で起こった事件だ。

いじめのような陰湿なものではなかったかもしれない。折檻するつもりで叩いたものが、はずみで心臓まひを起こしたのかもしれない。しかし、その寮には逃げ場のないストレスや鬱屈が充満していたのではないかと思う。

作家の佐山和夫さんは『ベースボールと日本野球』という本の中で、ベースボールが大人の「ひまつぶし」として生まれ、組織が発展してプロ野球へと進化したのに対し、野球は米国人教師からエリートの一高生へと伝わり、それが全国の高校、中学へと広がったと紹介している。米では裾野から頂点が作られたのに対し、日本では頂点が裾野を広げていったのだ。こうした上意下達型の発展の仕方が、日本の野球を精神主義的で、勝利にこだわる軍隊的、官僚的な硬直したものにしたと説いている。






精神主義、勝利至上主義と、その裏にある人買いのような品性のよろしくない商業主義が、日本の野球に深く根ざしている。高校球児たちの多くが「高校野球をしている間、野球を楽しいと思ったことは一度もない」というのは、日本野球がこうした不幸な発展の仕方をしてきたからだろう。少なくとも日本野球の主流で、理性や知性、まっとうな合理主義が支持されたことは一度もないのだ。

この事件も、その他の事件と同様、学校関係者が一時的に処罰されるだけで収束することだろう。
しかし、3年間野球漬けで厳しい競争にさらされ、しかも失敗すればあとは絶望しかないという彼らの境遇は異常だと思う。
甲子園に出て学校を有名にしたいという卑しい思惑のために多くの若者が、過酷な境遇で競わされるのは理不尽としか言いようがない。

高野連はいい年をした分別のある大人の集まりだと思うが、いつまでこの状況を放置するのだろう。

あえて言うが、こんな馬鹿なことを許しているから日本の野球はアメリカに追いつけないのだ。