本田の1トップ起用は唯一の選択肢だったのだろう<br>(Photo by Tsutomu KISHIMOTO)

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南アフリカW杯は、日本にとって成功と呼べるものなのか。それとも失敗として記憶されるのか。賞賛や労いも、度を過ぎれば毒になる。そろそろ冷静な判断をしてもいい。

結果から判断すれば成功になる。日韓大会以来の勝利をつかみ、決勝トーナメント進出を果たした。ベスト8にも手をかけた。

アジア勢でグループリーグを突破したのは、日本と韓国だけである。北朝鮮は“死のグループ”で草刈り場となり、オーストラリアは初戦の大敗が致命傷となった。

デンマーク撃破とパラグアイ戦は、現地南アフリカでもかなりのインパクトがあった。僕らが日本人だと明かすと、必ずと言っていいほど「いいチームだった」と「パラグアイ戦は惜しかったな」という言葉が用意される。ベスト4入りというチームの目標は達成されなかったが、「世界を驚かそう」という志は南アフリカの大地に記された。

しかし、である。国際的な評価を得ることができたのは、日本がそれだけ期待されていなかった裏返しでもある。パラグアイ戦を中継したドイツのARDというテレビ局は、我々にとっての死闘をこう伝えた。

「今大会で最低の試合だった。でも皆さん、大丈夫です。今後はもっと面白い試合が観られますから」と。コメントの主はギュンター・ネッツァーである。ドイツサッカー界のご意見番として知られる、旧西ドイツ代表のスーパースターだ。

日本代表は南アフリカで、結果以外に何をつかんだのだろうか。ベスト16まで勝ち進んだことで、自信をつかむことはできただろう。それにしても、「ある程度は守ることができる」という限定的なものでしかない。攻撃に対する自信は、深まっていないと思う。深まるはずがないと思う。まともに攻めたのは、パラグアイ戦だけなのだから。その試合では、ゴールを奪えていないのだから。

大会直前に辿り着いた本田の1トップは、きわめて消極的な対処法でしかなかった。実戦で初めてテストされたのは、6月10日に行われたジンバブエ代表との練習試合である。W杯を戦う布陣は、カメルーン戦のわずか4日前に決まったのだ。

しかも、30分1本のゲームは、本番への手応えを読み取るのが難しいものだった。いくつかの決定機を作り出したものの、本田が孤立気味となるのが常態で、攻撃の厚みは皆無に等しかった。

合宿地のジョージで公開された練習は、実戦をイメージするのが難しいものだった。DFがついていないのに、シュートの成功率は虚しいほどに低い。また、非公開の戦術練習では、守備の確認に多くの時間が割かれていると聞いた。ディフェンス重視の戦略に活路を見出すのは正論だとしても、ゴールへの道筋はまるで不透明だった。こんな状態で勝利を予想できるほど、僕は楽観的になれなかった。

苦渋の決断だったことは分かる。中村俊のコンディションが上がらず、得点源として期待された岡崎もフォームを崩している。

彼らがフル稼働することを前提に、このチームは作られてきた。本田の1トップは、岡田監督にとってたったひとつの選択肢だったに違いない。

今回のベスト16入りは、考えうる最高のシナリオですべてが進んだ結果だった。直接FKが1試合で2本も決まるのは、恐ろしく確率の低いことである。

オランダを除く対戦相手は、いずれも本来の姿に遠かった。カメルーンは明らかにコンディションが悪く、デンマークも動きに精彩を欠いていた。パラグアイも身体が重かった。

コンディショニングはチームマネジメントに含まれるもので、相手の状態が悪かったことは日本と無関係である。それでも、対戦相手のアシストがあったことは、胸にとどめておくべきだと思うのだ。

主審にもめぐまれている。大会序盤はイエローカードが乱発されるゲームが多く、判定基準にもバラつきがあった。だが、日本戦をさばいた主審は、胸ポケットからカードを取り出すことが少なかった。

日本の選手がフェアプレーを心がけたのは間違いないものの、思わず首をひねりたくなる判定がほとんどなかったのは、ささやかでも見逃せない事実である。FIFAは5日、準決勝以降の4試合用に10組の主審&副審のグループを選んだが、そのなかには日本戦をさばいた審判団が二組含まれていた。一定の評価を受けたジャッジのもとで、日本は戦うことができていたわけだ。

何よりも僕が残念だったのは、ドイツ大会以降の4年間が、今回の4試合に反映されていなかったことである。

「個」を生かそうとしたジーコのチームを受けて、我々は日本人らしいサッカーの構築へ踏み出した。オシムさんが「日本サッカーの日本人化」を提唱し、岡田監督もまた日本人らしさを追い求めた。

その答えは、南アフリカのピッチにあったのか。僕にはそうは思えないのだ。

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