ヤクルト・五十嵐亮太

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◆ 過去6人しか達成していない偉大な記録

 今季、ヤクルトに10年ぶりに復帰した五十嵐亮太が躍動している。セットアッパーながら4月だけで5勝をマーク。5月19日の試合終了時点で19試合に登板して防御率2.37、5勝・1ホールドの成績を収めている。

 1997年のドラフト2位でヤクルトに入団し、2010年にはメジャーリーグ挑戦。2013年からはソフトバンクでプレーするも、戦力外通告を味わった。

 経験豊富な39歳のベテランは現在、NPBで通算796試合に登板。プロ野球で過去6人しか達成していない通算800試合登板まであと「4」と迫っている。

 では、800試合登板を達成した投手たちは一体どんな面々なのだろうか。ランキング形式で紹介する。

▼ NPB・歴代登板数ランキング

1位 1002試合 岩瀬仁紀

2位 949 試合 米田哲也

3位 944 試合 金田正一

4位 867 試合 梶本隆夫

5位 856 試合 小山正明

6位 829 試合 江夏 豊

※800試合以上

 829試合に登板した江夏豊は、206勝・193セーブを記録した左腕。1979年、当時は広島に所属していた江夏が、近鉄との日本シリーズ第7戦で見せた「江夏の21球」は語り草となっている。

 「精密機械」と呼ばれるほどのコントロールが武器だった小山正明は、通算856試合に登板した右腕。次いで4位の867試合に登板した梶本隆夫は、阪急ブレーブスで通算254勝を記録した左腕だ。

 944試合に登板し、通算400勝を挙げた伝説の左腕・金田正一は3位にランクイン。「ガソリンタンク」こと米田哲也は949試合に登板し、2位に位置する。

 

 そして、唯一1000試合以上の登板数を誇るのが岩瀬仁紀。長らく中日の絶対的なクローザーとして君臨し、1002試合の登板で通算407セーブを挙げた。

 

 五十嵐はこの記録と記憶に残る名投手たちの仲間入りを果たすことになる。現在チームは5連敗中と苦しんでいるところだが、再び勢いを取り戻すためにはベテラン右腕の存在は欠かせない。

◆ 「800」の大台へ…長くプロで投げ続けられた要因は?

 ヤクルトは現在、抑えの石山泰稚が上半身のコンディション不良で一軍を離れている。先発が序盤で崩れるケースも多く、リリーフ陣の負担は決して軽くない状況だ。

 そんな中、あらゆる試合展開でマウンドに上がる五十嵐に対して、小川淳司監督は「良くやってくれている」と評価する。

 「どんなシチュエーションでも同じようなピッチングをすることを心掛けている」と話す五十嵐は、まさに“鉄腕”と呼ぶにふさわしい奮闘ぶりをここまで見せてくれている。

 江夏や金田、岩瀬ら6人しか達成していない領域に踏み込むことについては、「その方たちと比較したら失礼かなと思う」と謙遜する。

 「(例えば)江夏さんは先発、ロング(リリーフ)、抑えもやられた方。僕は中継ぎだけなので…その当時のピッチャーの凄さを改めて思い知らされます」とレジェンドたちの偉大な記録に思いを馳せる。

 しかし、長くプロの世界で生き抜いてきたからこそ踏み込める「800」という数字。多くの登板数を積み重ねることができた要因は何だったのだろうか。

 「一番は怪我をしないようにしてきたこと。先を見据えてどう取り組んでいくかということを常に心掛けています」と、自身の体と向き合いながら、野球に真摯に取り組んできた。

 そして、「自分がやっていて足りないと思うことを、そのときに気づいてやっている」と話すように、デビュー当時は真っすぐでグイグイ押す速球派のイメージが強かったが、現在では「ナックルカーブ」も操る“技巧派”の一面も見せる。

 5月28日で節目の40歳を迎えるチーム最年長は、「肩を怪我してしまうとなかなか復帰が難しいので、肩だけは故障しないようにと思います」と語る。

 

 プロとして長く投げ続けていくということは、それだけ怪我のリスクもつきまとう。しかし、これからも自分自身と対峙しながら、背番号「53」はマウンドに立ち続ける。

取材・文=別府勉(べっぷ・つとむ)