彼女はどのような人生を経て「無駄づくり」に至ったのか?(筆者撮影)

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第47回。

無駄なものをつくるプロフェッショナル

藤原麻里菜さん(25)は無駄なものをつくるプロフェッショナルである。

YouTubeの藤原さんのページ「無駄づくり / MUDA-ZUKURI」には、

「ドキドキしないとLINEが送れないマシーン」

「札束で頬を撫でられるマシーン」

「会社を休む理由を生成するマシーン」

「Twitterで『バーベキュー』と呟かれると藁人形に五寸釘が打ち付けられるマシーン」


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など、藤原さんが自ら作った「無駄だけどでもあったらちょっと生活が楽しくなるかもしれないマシーン」がたくさん紹介されている。中でも人気の高かった、歩くたびにサンダルの下の空気入れから胸の風船に空気が送られて、胸が大きくなっていく、

「歩くとおっぱいが大きくなる マシーン」

の動画は150万再生を超えている。チャンネル登録者数は6万人を超える人気のチャンネルだ。


台湾で開催した初の国外個展に出展した「歩くとおっぱいが大きくなる マシーン」(撮影・製作:藤原麻里菜)

藤原さんは、YouTubeだけではなく、Twitter、Instagram、はてなブログと多様なメディアで「無駄づくり」を紹介している。

2018年台湾で開催した初の国外個展「ゼロからつくる無駄な部屋in台北」では9日間で2万5000人以上の来場があった。

2018年11月には初の著書となる『無駄なことを続けるために - ほどほどに暮らせる稼ぎ方 -』(ヨシモトブックス)を上梓した。発明品を作る発想法や、彼女なりのマネタイズ方法が書かれている。

彼女はどのような人生を経て「無駄づくり」に至ったのか? 彼女がマシーンの開発をしているファブラボ「DMM.make AKIBA」で話を聞いた。

生まれは神奈川県横浜市の戸塚区だった。父親は小さいデザイン会社を経営している。

「絵に描いたような中流家庭でしたね。『勉強しなさい』とはあまり言われなかったです。代わりに思いつきでいろいろな物を買い与えられました」

ギター&ベース、アコーディオン、コピック(マーカーペン)のセットなどを急に買ってきたり、ケーブルテレビを自由に見られるような環境にしてくれたという。

「今思えば、音楽や絵などいろいろやってみた経験が現在の活動に役に立っています。勉強以外の、無駄な知識はたくさん手に入れました」

自分から見て「バカだなぁ」と思う父も社長をやっている

小学校では“不思議ちゃん”の立ち位置だったという。クラスは和気あいあいとしていた。勉強は全然していなかったので、当然成績も良くなかったが焦りはなかったという。

「私から見て『バカだなぁ』って思う自分の父親でも社長になれるんだと思って。どれくらい儲かってるかわからないけど、おしゃれな車乗ってたし、アメリカにも連れて行ってくれました。こういう人でもお金を稼げるんなら、適当に好きなように生きればいいや、と思いました」

地元の中学校に進学したが、少し学校になじめなかった。朝起きるのが苦手で、よく遅刻をしていた。

「遅刻する時に申し訳なさそうにすると悪いことしてるみたいに見えるので、堂々と入るようにしてました。『実はアイツって才能あるんじゃない?』って思われたかったんだけど、『アイツ遅刻してるのに堂々としやがって』って悪口言われていたみたいです(笑)」

小学5年生からインターネットをやるようになり、中学校ではネットばかり見ていた。人気サイト「デイリーポータルZ」やオカルトサイト「X51.ORG」「2ちゃんねる」のオカルト板などをよく閲覧した。

ブログなどの文化が出始めてからは、実際に自分でもやってみた。

「ネットって独特の空気感があるので、テレビで人気の芸人さんがそのままのキャラでYouTubeをやってもよさが伝わりにくいことがあるんです。私はずっとネットをやってきたので、わりかしすぐに適応できました」

高校は美術系の科目のある学校に進学した。

「映画『冷静と情熱のあいだ』(中江功監督)を見て、美術の修復師になりたいと思ったんですよ。本当はアーティストになりたかった“目立ちたがり屋の自分”と“私なんてどうせ……という自信のない自分”がせめぎ合った結果、導き出された職業が美術修復師だったんですね」

もちろんデッサンの授業を選択し、初めてデッサンを描いた。初めての割にはうまく描けたと思ったが、先生は藤原さんの作品の講評はせずほかの人の作品だけを褒めた。

「『ハチクロ(ハチミツとクローバー)』(羽海野チカ)にもあこがれていて美術大学も行きたいなあと思っていたんですけど、デッサンの最初の授業で『天才じゃなかったんだ!!』って気づかされてしまって……。心が折れて、デッサンの授業は行かなくなりました。美術の世界に進むのもあきらめてしまいました」

少し自暴自棄になってしまった。

授業を休んでも怒られない学校だったので、通学路を逆行して映画館に行ったりした。

「ぼーっとした高校生活を送っていましたね。唯一ハマったのがジャズ部でした。軽音部はイケイケ、吹奏楽部は熱血な感じがしたので避けてジャズ部に入りました。

すごいゆるい部活で楽しかったです。みんな下手なんだけど、どこかで発表するわけじゃないから自由に、うちうちでやっている感じでした。私はベースとかひいてました」

その頃、テレビを見てお笑いを好きになった。かなりハマって、お笑いコンビの「千鳥」が出演するテレビ番組を見るために大阪までわざわざ行ったこともあった。

お笑いのライブも観に行くようになった。

「最初は人気の芸人さんのライブに行っていたんですが、だんだんマイナーなライブにも行くようになりました。そうしたら、すごい面白くない芸人さんも出演していたんですよね。『こんなに面白くない人がライブに出られるんなら、私も出られるんじゃないか?』と思いました。今思えば、イヤな動機ですね(笑)」

自分でもお笑いをしたくなったが、“デッサンの授業”と同じようにスベったら立ち直れなくなるかもしれない……とも思った。

「デッサンの授業」のトラウマを乗り越えて

それでも自分の中の才能を信じたくて、お笑い芸人などのタレントを育成する養成所「吉本総合芸能学院(NSC)」に入学した。

「1クラス50人で8クラスありました。東京だけじゃなくて大阪校などもあるので全部合わせればすごい人数です。NSC時代は、誰とも組まず1人でネタをやっていました。

『往年のギャグの中にはフリーメイソンのギャグが隠されている!! コマネチは六芒星のシルエットだ!!』

とかそういう内容でした」

居酒屋でアルバイトをしながら学校に通った。学校、アルバイト、ネタ作り……を繰り返す日々は楽しかったが、学校は1年制なのですぐに卒業となった。卒業後は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属する芸人になった。

「同期には、ひょっこりはんやおばたのお兄さんがいるんですよ。同期の芸人がテレビに出ているのを見るのはうれしいですね!!」

卒業後は、渋谷にあるヨシモト∞ホールで開催される定期ライブに出演した。ヨシモト∞ホールは東京よしもとの若手芸人のみが出演する劇場だ。

「『もしアマゾンが縄文時代にあったら、こんなアマゾンレビューがつく』みたいなネタをやってましたね。本当に全然ウケなくて

『まあ、こんなもんだよね……』

って思いました」

ヨシモト∞ホールの定期ライブに出演するのは1年ほどで辞めてしまったが、辞める前に、YouTubeで『無駄づくり』を始めた。

「限定50組でYouTubeを始めることができるよしもとのプロジェクトでした。オーディションに出て選ばれました」

「『無駄づくり』は自分で考えたテーマでした。明和電機やピタゴラ装置が好きだったので、私もヘンなもの作りたいな〜というのがありました」

明和電機は自作の楽器で活動をするアートユニットだ。ピタゴラ装置はテレビ番組「ピタゴラスイッチ」(NHK)に登場するカラクリ機械の総称だ。

藤原さんはまず「ピタゴラ装置を作る」という企画を出した。「じゃあ作ってみて」と言われて、自宅で制作してみた。

「全然できなかったんですよ。ピタゴラ装置は物理学を理解していないと作るのは難しいんですね。それでもなんとか頑張って作ってできたのが、できの悪いマシンでした。

『だったらこういうマシンを作っていけばいいかな?』と思いました」

「無駄づくり」記念すべき第1回の装置は、「お醤油を取る無駄装置」だった。

列車のおもちゃを動かすと連動して醤油が出てくるシンプルな機械だ。

自分でも「無駄づくり」がよくわかっていなかった

「最初のほうは自分でも『無駄づくり』がよくわかっておらず、意味不明な感じで作っていましたね。『時事ネタ絡めたら受けるよ』って言われて『あまちゃん』をからめて全然面白くないものになったり……。ずっと試行錯誤の連続でした。

最近になって『自分の鬱屈した感情をエンタメにしたら面白くなるな』って気がつきました。

『バーベキュー行く人むかつくな』

『インスタ映えってむかつくな』

みたいな気持ちを昇華させてマシーンにしていますね」

よしもとの先輩芸人からは、

「YouTubeなんかやって、アイドルになりたいの?」

と嫌みを言われたこともあった。

でも、藤原さんはあきらめずに「無駄づくり」を続けた。暗中模索、悪戦苦闘の日々だった。


藤原さんが自ら作った「無駄だけどでもあったらちょっと生活が楽しくなるかもしれないマシーン」(撮影・製作:藤原麻里菜)

いつしか視聴者は増えて、チャンネル登録者数は1万人を超えた。

「ネタは全然ダメだけど、面白いことやってるんだよって先輩のライブに出させてもらったり、トークライブに出演させてもらいました。よしもと内でもピックアップしてもらって『オードリーのオールナイトニッポン』に出演させていただきました」

チャンネルの人気は上がったが、それでもYouTubeでは全然稼げなかった。

「YouTubeの収入はアフィリエイトなんですけど、月に3000円とかしか稼げませんでした。私よりチャンネル登録者数が少なくても100万円以上稼ぐ人もいるんですが……。広告の配置とかが難しいんです。

『これはちゃんと稼ぐ方法を考えないとヤバいぞ』

って思いました」

YouTubeはとても人気が高い動画共有サービスだが、それでも見ない人は見ない。

YouTubeの視聴者層とは少し違う人たちにアプローチできるのではないかと思い、はてなブログで「藤原麻里菜の日記」を始めた。

「ブログが割とバズってくれて、そこからファンが増えました。ブログを読んだウェブメディアから記事執筆の依頼が来ました」

そこから、「エステーQ」「fabcross」などでライターの仕事を始めた。

ウェブの連載では、制作費と原稿料が出る。ウェブの連載で作ったマシーンを、YouTubeやツイッターにアップする。すると相乗効果でお互いの数字(視聴数、フォロワー数)が増える。数字が増えると“人気がある”と評価され新たな依頼が来る。

その循環を繰り返した。

中には企業からのプロモーションを兼ねた依頼もあった。企業の商品と「無駄づくり」のコラボ作品の制作になる。企業からのチェックは厳しいが契約料は高かった。

「もちろん安定感のない自転車操業だけど、だんだん慣れてきました。『無駄づくり』を中心とした生活になったので、2016年にきっぱりと芸人を辞めることにしました」

よしもとも辞めようと思ったら…

芸人を辞めるのだから、よしもとも辞めようと思った。そう伝えると、呼び出された。

「偉い人たちとの飲み会に呼ばれて『なんで辞めるの?』って聞かれました。YouTubeだけでよしもとに所属するのもおかしいかと思って……と答えると

『よしもとは総合的なエンターテインメントの会社だから芸人にこだわることはないよ。とりあえず所属しておいて損はないんじゃない?』

と引き止められました」

藤原さんは思いとどまり、現在もよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属している。

「よしもとという“大人”がかかわってるから、罵倒されても『続けなきゃ』って考えられるんだと思います。もし1人でやってて『全然面白くない』ってコメントされたら、そのままアカウント消して引きこもっちゃうかもしれません(笑)。

今回の書籍も、よしもとが企画を通してくれました。1人でやってたら途中で心が折れちゃってたと思います」

ウェブメディアやSNSで作品をアップしていると、コメント欄やリプライ(返信)などで痛烈な悪口を書かれることがある。対処法はさまざまあれど、結局クリエーターは一方的な罵声に耐えていかなければならない。

「クソリプ(クソみたいな返信)でモチベーションを失っちゃう人って多いと思うんですよ。それでも立ち向かっていかなきゃならないじゃないですか。

これからはもっともっとウェブメディアで仕事をする人が増えると思います。それぞれが悪罵からモチベーションを守る方法を持たないと、才能が潰されちゃいます。気をつけないといけないですね」

台湾で初の海外個展開催へ

よしもとから、

「台湾で個展をやらないか?」

と声をかけられた。

よしもとは2017年、台湾に「華山Laugh&Peace Factory」をオープンさせた。渡辺直美、きゃりーぱみゅぱみゅ、野性爆弾くっきーなど、そうそうたるメンバーが展示イベントを開催してきたが、たまたま誰もイベントを開催しない期間ができた。

「『せっかく空いてて、場所代はタダだから個展をやらないか?』って言われました。もちろんやりたいですけど、お金はありません。場所代がタダでもいろいろお金はかかりますから。よしもとの提案でクラウドファンディングでお金を集めることになりました」

3日ほどで目標金額の100万円に達した。最終的に140万円集まった。

「140万円でも、全然お金は足りませんでした。設営も自分でやって、それでも赤字になった分はよしもとに出してもらいました」

台湾の人たちに向けてフェイスブックで広告を出したところ、予想以上に広まったと感じた。

広告を見た人たちが興味本位で集まってくれた。体験コーナーでは、お客さんがおのおの写真を撮って、それをSNSにアップする。そしてそれを見た新たなお客さんがやってきた。

9日間の開催で、集客は2万5000人を超えるという大成功を収めた。


「ゼロからつくる無駄な部屋in台北」は9日間の開催で、集客は2万5000人を超えた(撮影:藤原麻里菜)


「無駄づくり」は言葉や文化の壁を越えた(撮影:藤原麻里菜)

「台湾の個展で『無駄づくり』の可能性を見ました。最近では中国でも無断転載された『無駄づくり』の動画がすごい伸びていました。英語圏やポルトガル語圏にもうまくコミットできれば、バズる可能性があると思います。言葉が通じない国の人たちに対しても作品を作っていければ面白いと思います」

とにかくまずは作ってみる

著書『無駄なことを続けるために - ほどほどに暮らせる稼ぎ方 -』は彼女が活動を通じて“お金を稼ぐ方法”が書かれている。

藤原さんの中には、

「作る→わかる→見せる→稼ぐ」

というサイクルがあるという。

とにかくまずは作ってみる、そして自分の思考をわかる。そしてみんなとわかり合うために作品を見せる。そして次の作品を作るために稼ぐ――というサイクルだ。

一昔前には“見せる方法”はテレビや雑誌など数種類しかなかったが、SNS、ブログ、動画共有サービスなど増えた。

“稼ぐ方法”も、クラウドファンディング、チケット、パトロン、とたくさんの方法がある。

自分のやってきたことをさまざまなメディアにリンクさせて稼ぐのは楽しいことだと、藤原さんは語る。

現在はアルバイトも辞めて「無駄づくり」の収入だけで生きている。いわば「無駄づくり」のプロフェッショナルだ。

「好きなものを作って、好きな媒体に作品を載せて、お金を稼いで、みんなから『すごい面白い!!』って言われる、今私は最高なポジションにいるなって思います。めっちゃ幸せですね!!」

と、藤原さんは満面の笑みで言った。

良い面も悪い面もある新旧のメディアの中を“無駄なものを作る”ことで泳いでいく藤原さんを、筆者はとてもかっこいいなと思った。