9月29日にツインリンクもてぎで実走行テストを行ったホンダ・RA272を運転する筆者(写真:Honda)

今年、F1日本グランプリの開催30周年記念大会を迎えている鈴鹿サーキット。モータースポーツファンならずとも多くの人に親しまれてきた世界でも屈指のレーシングコースだ。


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日本で初めてF1世界選手権に参戦したマシンも、鈴鹿サーキットとほぼ時を同じくして誕生した。

先月末、栃木県ツインリンクもてぎで行われたホンダ・コレクションホール所蔵マシン1965年型RA272の実走行テストを筆者が行ってきたので開発された時代も含めレポートしたい。

俺はレースをしたいんだ

鈴鹿サーキットのオープンは1962年秋。サーキット建設のきっかけとなったのは、「俺はレースをしたいんだ」という本田宗一郎氏の言葉だ。

まだ見ぬクルマ社会の高速化、国際化、多様化を考えたうえで高い水準でのマシン競争から技術を高め、結果的に日本の生産技術を高めていく……そんな日本の将来を見つめていたのかもしれない。

翌1963年、ホンダF1GP参戦プロジェクトをスタート。鈴鹿サーキットは完成しているものの、ホンダは自動車の生産もしていない2輪メーカー。だからこそ、チャレンジが必要だった。

ホンダは、それまでの2輪世界GPへの参戦技術を生かして1964年には高性能エンジンを短時間で完成させRA271をデビューさせた。

当時のF1マシンの排気量は1500cc。多くのマシンはV型8気筒エンジンを縦置きで採用していたが、ホンダは同じ1500ccでもV型12気筒DOHC48バルブ機械式フューエルインジェクション(燃料噴射装置)を採用。

しかも、そのエンジンをまるで2輪GPマシンのように横置きにした。完成したエンジンは2輪グランプリマシン「3RC164」(1964年型250cc6気筒24バルブ)のシリンダーを前後Vバンクにしたようなレイアウト。そこに燃焼室デザインを1気筒125cc4バルブで設計、12気筒1500ccエンジンを作り上げたわけだ。

エンジンを横置きにした理由は、エンジン出力をクランクシャフトセンターから取り出すことで、クランクシャフトの捻れ軽減に貢献。クランクシャフトからメインシャフト(クラッチ)につながり、通常であればカウンターシャフトからの動力取り出しを行うが、もう1本ギアシャフトを追加することで、エンジン最後端部分で左右対称位置に動力取り出しが可能となった。

結果、横置きエンジンながら左右のドライブシャフト長を均等にすることで、走行性能の向上を狙ったのだ。

この1964年型RA271は、当初予定されていたロータスからのシャーシ供給の話がなくなり、急遽オリジナルで作成しなければならなかった経緯もある。

そして翌1965年に完成したのが、今回実走行テストを行ったRA272だ。エンジンの基本レイアウトを踏襲し、前年比10馬力アップの230ps(馬力)/12000rpmを達成。車重は約30kgの軽量化を実現したことで、信頼性と運動性が向上、その頃には自動車の量産販売をスタートしたホンダが、F1GP参戦2年目にして、最終戦メキシコGPで優勝することになった。


ホンダ・RA272と実走行テストをする筆者(写真:Honda)

RA272(上写真)のマシンは米国人選手ロニー・バックナム選手の#12号車で、最終戦優勝のリッチー・ギンザー選手の#11号車と同モデルだ。

1960年代のマシンは、各国のナショナルカラーが義務付けられており、レーシングアイボリーに日の丸デザインが印象的だ。

さて、コクピットに入り、まず驚かされるのはシートベルトがない! ということだ。この頃のマシンはクラッシュすれば火災も多く、脱出優先の考え方だったのだろう。シャーシモノコックはアルミ製で美しい板金仕上げ、リベットの頭は沈頭鋲で空気抵抗を減らした航空機と同じ仕上げだ。

回転計は16000rpm以上まで刻まれており、当時の高回転化への準備がうかがえる。

エンジンからは当時の息づかいを感じる

メカニックの手によりエンジンフードを外し、機械式フュエールインジェクションのスロットルボディからガソリンをインテークマニホールド(エンジンに空気を送り込むパイプや補機類)へ少々吹きかける。12Vの外部電源をセルモーター用に接続してもらい、メカニックに合図を送ってセルスイッチを押すと、不機嫌そうにバラついた排気音と共にエンジンに火が入っていく。

それはまさに、12個の無機質なピストンに生命を与えていくかのごとく1気筒ずつ爆発連鎖がはじまる。バルブのオーバーラップがキツいカムシャフトのお陰で、低速での安定感はなく着火直後から6000rpmをメドとしエンジン暖気を行う。ミッションは右側にHパターンの前進6速。進行方向左側前方が1速で手前に引けば2速。ABCペダルは常識的なスパンで位置しており、各ペダルストロークにも好感が持てる。


車体後方に伸びる後ろバンクの6本エキゾースト。前バンクは車体下面から2本に纏められている(筆者撮影)

シート自体は現代のバケットタイプではなく、アルミモノコックのなかで、ドライバーが苦痛にならない程度のものだが、こちらも乗ってみると予想以上に快適と言える。水温が70度近くまで上昇すれば走行可能。

クラッチを最大ストロークさせた上で慎重にシフトレバーを1速に入れる。その間も右足ではエンジンをストールさせない様に回転をキープしながら左足でクラッチミートさせて約6500rpmでマシンを動かし始める。

車重500kgに満たない車体が動きだすのだが、逆回転クランクシャフトエンジンの加速はノーズを押さえ気味にする特別な感触を感じる。各回転でスロットル開度を確認しながらエンジン各気筒の着火状態を把握するためにエンジンの吸気音と排気音に全神経を集中させる。

12気筒もあれば、着火不良のシリンダーがあったとしてもエンジン回転が上がってしまうからだ。しかし、その場合、着火していないピストンやコンロッドに大きな負担を掛けてしまい、回転数次第ではエンジン破損となってしまう。

また、水温が上昇しているものの、各エンジン部品の適温までには走行を重ねながら温めて行くことにする。エンジン回転計の最大回転指示は12000rpmとしているので、その範疇でスロットル開度を合わせながらエンジンを確認。全域にわたってバランスがとれていると判断した。

残り時間は高回転+スロットル開度を100%まで開けた負荷を掛けた状態で走行。とはいえ、この領域でのシフト操作ミスは厳禁だ。フライホイールマス(慣性重量)の少ない高回転エンジンは、1度のシフト操作ミスでエンジン回転が急上昇し燃焼室を破損させてしまう恐れがある。

慎重ながらも然るべき走行状態でマシンを評価する。車体の仕上がりも良く、前後サスペンションストロークから来るピッチ・ロール・ヨーの動きもドライバーの予測内での動きだった。

また、ブレーキングスタビリティもフロント左右のアームがバランス良く沈みながらの安定したものであった。全体的なフィーリングはF1マシンとは言え、現代とは明らかに違いのある1500cc時代のミドルフォーミュラサイズだ。いや、ドライブ感はそれ以上にコンパクトに感じる。


今シーズンのF1では、ホンダはトロロッソにパワーユニットを独占的に供給している。写真は今年2月の合同テスト(写真:Press Association/アフロ)

1960年代の挑戦があったからこそ今がある

RA272は直近での走行予定がないので、この状態をキープしてもらうことをエンジニアにリクエストしテストは無事に終了。コレクションホールでの展示に戻っていった。

このマシンが開発された1960年代、国内にはマイカー時代が到来、国内初の都市間高速道路、名神高速が栗東―尼崎間で開通。F1グランプリという存在すら誰も知らなかった1960年代前半、量産自動車さえ持っていなかったホンダのチャレンジグスピリットは、高い技術の裏付けがあったと言える。

この時代に、ホンダをはじめとする各メーカーの世界への挑戦があってこそ、製品輸出が伸び外貨を稼ぎ国内が豊かになっていったことで日本は高度経済成長を成し遂げたのではないか。

今回、RA272のテストドライブを通じて改めて先人の成し遂げたチャレンジングスピリットを感じることとなった。