清原和博は「弘道会」現会長を「親分」と慕っていた!
「清原は弘道会の竹内会長のことを『親分』と呼んでいた。別の弘道会幹部のことは『兄貴』だった」
そう語るのは弘道会の関係者だ。弘道会は言わずと知れた六代目山口組の主流派組織だ。清原和博容疑者が「親分」と慕う弘道会竹内照明現会長は、将来の山口組組長候補と目されている。山口組の分裂も、この弘道会支配への反発が理由だといわれる。
「清原は弘道会と繋がりのある名古屋の実業家と交流があった。ただ、巨人時代は弘道会との関係は深くなかったはずだ」(前出とは別の暴力団関係者)
さらに弘道会のストラップを携帯につけていたことや、引退試合に弘道会系の組幹部を招待したこと、高山若頭と三宮のクラブで飲んでいたことを報じられた。
「清原と弘道会の関係が深くなったのはオリックス時代。あのときのトラブルが原因だと思います」
そう語るのは、神戸市内にある高級クラブのオーナーママだ。清原が彼女の店に来たのは、怪我で全休した2007年シーズンのオフだった。
「このころ、毎晩のように神戸市内のクラブを梯子(はしご)していたそうですが、私のお店に来るのは初めてでした。私のお店では静かに飲んでいたのですが、清原さんをお店に連れて来た方が先に帰ったあとが大変でした。お店のコ3人をアフターに連れ出したんです」(同前)
アフターの場となったのは、清原の行きつけのカウンターバーだった。ついていったホステスの女性はこう語る。
「カウンターに座ると、態度が急変しました。クラブを出る前に、チップをもらっていたんですが、清原さんは『お前、何を座ってるんや。カネもらったんだったら、働け』と言いだしたんです。
シャンパン、ワインとお構いなしにグラスについで、飲めなくなると『俺の酒を残すな』と怒鳴られました。吐いてしまったコは、頭からシャンパンをかけられたり…。
そんな状態が2時間ほど続き、もう限界と思ったところに、清原さんの迎えの車が来たんです」
こうして地獄の時間は終わったが、問題はこの後だった。当然、お店のコを乱暴に扱われたオーナーママは清原に抗議する。じつはオーナーママは山口組系の武闘派組長と懇意だった。
「べつにその方の名前を出したわけではありません。ただ私も関西の女ですから、相当強く抗議しました」
清原はこの武闘派組長を敵に回したと考え、SOSを発したようだ。
「この件の後、清原さんは自分を守るために、弘道会の高山さんに近づいたそうです。高山さん行きつけのクラブに通い、知遇を得たと聞いています」(同前)
清原は周囲に「代理戦争勃発や」と息巻いていたという。だが、当時は山口組分裂前。こんなことで内紛が起こるはずもなかった。
「高山さんからは間接的な形で、無礼を許してやってほしいという話が伝わってきました。そもそも、私は女のコへの乱暴を咎めただけですが」(同前)
結局、清原から謝罪のないまま、この件はうやむやになった。だがこれを機に、弘道会との関係を深めていったという。
「弘道会は覚醒剤が御法度だから、清原は弘道会からクスリは引いていない。だが、弘道会の組員からクスリを扱っている組の紹介を受けていたんだ」(前出・弘道会の関係者)
(週刊FLASH 2016年3月15日号)