サダム・フセインのクラブ相手にゴールを奪うことはタブーだった。1985年、中近東最高のストライカーだったアドナン・ハマドは、その禁を破り、翌年のメキシコW杯に出場するイラク代表への扉を閉ざされた。24歳のときだった。かえってよかったかもしれない。1次リーグで惨敗したイラク代表チームは、帰国後一人残らず独裁者一族から制裁を受けたからだ。「古い話さ。サダムの息子のサディズムについての本も書かれたぐらいだが