映画独自解説家の守鍬刈雄が、YouTubeチャンネル「守鍬 刈雄のお暇なら映画でも」にて「【原作比較(3)】ノーラン版『#オデュッセイア』は何を変えた? キュクロプスの“大失敗”と大きく変わったキルケー(独自解説)」を公開した。動画では、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』の原作と、クリストファー・ノーラン監督による映画版の第9歌から第10歌の展開を比較し、オデュッセウスの人物像の決定的な違いについて解説している。

※この記事には映画のネタバレが含まれています。

守鍬はまず、第9歌でオデュッセウスが自身の冒険を回想する場面に言及する。キコネス人の町イスマロスでの略奪行為について、原作では部下が命令に従わず長居したのが失敗の原因とされているのに対し、ノーラン版では略奪行為自体を「現代の戦争帰還兵の罪悪感」に置き換え、人間としての後悔や葛藤に苦しむ姿を描いていると指摘した。

さらに、一つ目の巨人キュクロプス族のポリュペモスとの遭遇シーンを解説する。原作では、ポリュペモスが客人を歓待する掟「クセニア」を破った野蛮な存在として描かれ、脱出時にオデュッセウスが名誉のために名乗るゆえにポセイドンの呪いを受ける。しかし、映画ではオデュッセウスたちが勝手に住居に侵入し、「クセニアを破壊した張本人がオデュッセウス」として描かれているという。また、映画では自身の名前を明かさず逃げ出すゆえ、名誉への執着を持たない人物像が強調されている。

続いて第10歌の魔女キルケーの島での展開について、映画では魔法や神の介入といった要素が排除されていると説明した。原作では1年間の滞在の末に部下に促されて帰郷を決意するが、映画ではそれら性愛的描写は一切省かれている。守鍬はこのオデュッセウスを「普通のダメ男」と評し、映画が神話の英雄像を解体している点を強調した。

最後に守鍬は、「ホメロスは人間の本来的な矛盾をそのまま描き、ノーランはその矛盾を奇麗に整理し、一本の線にしている」と両作品の本質的な違いを分析して動画を締めくくった。原作が持つ大らかな人間賛歌と、現代的な苦悩を抱えた映画版のリアルな人物描写の対比が、読者の知的好奇心を刺激する内容となっている。

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