仏教は傍目には「死」を目指して修行するものに見えると言われる。ならば、その修行は「死ぬ練習」とも言えるだろう。「死」は誰もが迎えることではあるが、生きている間は、それが何かはわからない。何であるかわからないまま直面しなければいけない死に向かっている私たちに、仏教の「死ぬ練習」は何かを教えてくれるのではないだろうか。■生の苦しみ・不安から解放される仏教の「方下」という考え方『死ぬ練習』(南直哉著、宝