集団的自衛権で防衛力、抑止力を強化して「積極的平和主義」へ

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 イスラム国に拘束されていた後藤健二さんが殺害された。公開された動画には、安倍首相を名指しし「お前の国民がどこにいようとも虐殺をもたらす」とのメッセージが入っていた。これは日本に対する宣戦布告ともとれる。

「海外で邦人が危機に遭ったとき、自衛隊が救出できるための法整備を整える」

 今回の件を受け、安倍総理は安全保障と集団的自衛権に関してこう述べた。当然である。国民を守るためには、自衛隊をいつでも海外に派遣できるようにする法整備をするなど、国家として「何でもできる準備」は整えておくべきだ。

「自衛隊が動けるようになると戦争になる」と考える人は多いが、自衛隊が動けないことは、日本に対するテロの確率を高めることにつながる。「すぐに自衛隊が動く」となれば、相手国も簡単に手出しはできない。

 プロレスラーや相撲取りなど、強い相手に殴り掛かる人がいないのと同じで、国家とは、強ければ戦争に巻き込まれない。これこそが「抑止力」である。そして、抑止力を高めるために今の日本に求められているのが「集団的自衛権」をスムーズに行使することなのだ。

「オレを助けてくれ、しかしお前のことは助けられない」

 集団的自衛権とは「ある国家が武力攻撃を受けた場合、第三国が協力して共同で防衛する」ものだ。国際法でも認められている立派な権利であり、侵略や攻撃に対する防衛力(=抑止力)の強化につながる。

 我が国で、集団的自衛権が行使できないとどうなるか。

 自衛隊と米軍の艦船が行動をともにしているときに、アメリカの艦船が外国から攻撃を受けたとしよう。集団的自衛権の行使を容認せねば、我が国はアメリカを助けることができない。しかし、日本が攻撃されたときはアメリカに助けてもらうということになっている。こんな状況で、果たして「同盟」と言えるだろうか。

 これは、日本やアメリカがテロの標的となった場合でも同様である。「オレが攻撃されたら助けてくれ、しかしお前が攻撃されてもオレは助けられない」などと言う者と友人ではいられない。我が国の法律は、こんな非道徳的なことを自衛隊に強制しているのだ。

 つまり、日本は国際常識に反したルールを決めている。インド洋やイラクに派遣された自衛官たちは、肩身の狭い思いをしながら任務についているのである。

個別的自衛権も行使せずして国は守れない

 また、日本は集団的自衛権どころか個別的自衛権も行使できない状況にある。

 尖閣諸島の海域で、海上保安庁の巡視船や日本の漁船が中国漁船から攻撃を受けたとしよう。この時、自衛隊が側にいても、これを守ることができない。多くの国民はこのことにも気付いていない。自衛隊が防衛行動を起こせるのは「防衛出動か海上警備行動」のいずれかが発令されたときのみである。

 さらに海上警備行動の場合、刑法36条と37条の「正当防衛」と「緊急避難」に該当する場合以外には武器の使用ができない。相手が武器を手に攻撃してきたときに、一瞬「これが正当防衛や緊急避難に該当するかどうか」を考えなければならないのである。その瞬間に撃たれてしまう。こんなバカなことはない。

 集団的自衛権の行使を認めるのは当然であるが、ほとんど話題にならない個別的自衛権の行使ができないこと、こちらも大きな問題だ。

国際法で認められた正当行為さえできない自衛隊

 昨年(2014年)7月に閣議決定された、集団的自衛権の行使容認。その際に決定された武力行使の要件は次の通りだ。

「日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由と幸福の追求権が根底から覆される明白な危険がある」

「日本の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない」

「必要最小限の実力行使にとどまる」

 こうした要件の設定は「国際法で認められた正当行為に対し、国内法で縛りを設けている」こととなる。その根本には、“自衛隊が動けないほうが戦争にならない”という間違った発想がある。

 国際法とは、明文化された条約と慣習法(今まではこうでした、という解釈)の集合体であり、我が国以外のすべての国の軍隊は国際法で動いている。そして、世界の軍隊は禁止事項(ネガティブリスト)で動く。AとBとCはやってはいけないが、あとは何をしてもいい、という禁止規定である。

 これに対し、日本の自衛隊は根拠規定(ポジティブリスト)で動く。自衛隊法、イラク特措法、テロ対策特措法など、任務ごとに法律が定められ、定められたことだけ例外的にできる形を取っている。

 他国の軍は「原則として国際法で禁止されていること以外は何でもできる」が、日本は「あらかじめやれと決められたことのみができる」わけだ。

 これにより、他国は「自衛隊は何ができて何ができないか」があらかじめ分かってしまう。これでは作戦計画を事前通知しているようなもので、戦いに勝つことはできない。

 また、根拠規定の場合、あらゆることが制限されるため、想定外の事象が起こった際、効果的な行動ができなくなる。たとえば、インド洋に他国艦船への給油目的で派遣された海上自衛隊の目の前で、海賊に襲われている商船がいたとする。根拠規定の場合「助けろと命じられていないため、助けてはいけない」となる。他国の軍ならただちに助けるケースも、日本だけが助けられない。こんなバカなことはない。

 なぜこんな非常識がまかり通るか。「自衛隊に暴走されたら戦争になる」と考えた政治家が国内法で自衛隊を縛っているからだ。経済成長に時間を費やし、国を守ることを放棄してきた我が国は、こうした国際常識を知らぬまま、戦後を過ごしてきたのである。

著者プロフィール
田母神俊雄

軍事評論家、政治活動家

田母神俊雄

1948年福島県生まれ。防衛大学卒業後、航空自衛隊に入隊。統合幕僚学校長・航空総隊司令官を経て航空自衛隊(約5万人)のトップである航空幕僚長に就任。2008年「日本は侵略国家であったのか」と題する論文を発表、政府見解と異なる歴史認識として航空幕僚長の職を解かれる。2014年、東京都知事選出馬、61万票を獲得。同年12月の衆院選では東京12区から出馬した。おもな著書に『田母神塾』(双葉社)、『ナメられっぱなしのニッポン、もっと自信と誇りを持とう!』(実業之日本社)などがある。週刊誌アサヒ芸能にて「田母神政経塾」連載中。

(撮影/内海裕之)