朝日新聞東京本社(wikipediaより)

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 今年の「オヤジジャーナル」で外せないのが「朝日新聞のW吉田」だろう。例の「吉田調書」と「吉田清治」。後者の「朝日新聞社慰安婦報道 第三者委員会報告書」が発表された(12月23日)。各委員の「個別意見」もまとめられていた。印象的だったものをピックアップしてみる。まずこちら。

《当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。》(岡本行夫)

 プロレスラーのジャンボ鶴田は得意技のバックドロップを相手のレベル(技量)に合わせて角度を変えたというが、朝日新聞も角度をつけていたという。では、なぜ角度をつけるのだろう。自分たちの主張や思想を世に伝えたいという理由もあるだろう。しかし他の大事な理由はこの委員が書いていた。

《池上彰氏のコラムについても、担当者やGE、そしてGMは掲載することで問題はないと判断したようだ。ところが、吉田証言問題と同様に、「経営上の危機管理の観点」から、経営の最高幹部が掲載しないと判断したのであった。》(田原総一朗)

「経営上の危機管理の観点」。当たり前だが新聞も商売だ。だからミスを認めたら新聞は「売れなくなる」という恐怖に襲われたのだろう。これは一方で、角度をつけて刺激的なモノを書けば「売れる」という姿勢とセットではないか? こう書くと公正中立を求めているように思われるかもしれないが、私は新聞に中立性はなくてもいいと思う。「主張」や「論評」はあっていい。各紙どんどんやればいい。でもだからこそ基本の事実をねじ曲げられると白けるのだ。

おっさんが”女性の人権”を持ち出すときは怪しい

 さて、なるほどと思ったのが次の意見。「慰安婦問題と女性の人権」と書いた林香里委員。

《8月5日付の記事「慰安婦問題の本質 直視を」(1面見出し)においても、「女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです」と結論付けていた。それにもかかわらず、朝日新聞の過去の記事を調査すると、この点に十分な光が当てられていたという印象は薄い。》

《結局、朝日新聞も、「国家の責任」「国家のプライド」という枠組みから離れることができないまま、「女性の人権」という言葉を急ごしらえで持ち出して、かねてから主張してきた「広義の強制性」という社論を正当化していた印象がある。》

 私が注目したのは《「女性の人権」という言葉を急ごしらえで持ち出して》という部分だ。前から薄々思っていた「おっさんが女性の人権を持ち出すときは怪しい」という仮説の答え合わせである。

 たとえば安倍政権は「女性が輝く社会」と高々と掲げたが、輝きの内容があまり議論されぬまま「女性活躍推進法案」は突然の解散で廃案となった。そして今回朝日新聞も自分がピンチになったら「女性」を掲げて乗り切ろうとした。どちらも社会的にとてもエライおじさんのふるまいである。

 おっさんがいきなり女性の尊厳や人権を持ち出すときは怪しい。その心地よい大義は慎重にチェックする必要がある。今年の教訓である。

著者プロフィール

お笑い芸人(オフィス北野所属)

プチ鹿島

時事ネタと見立てを得意とするお笑い芸人。「東京ポッド許可局」、「荒川強啓ディ・キャッチ!」(ともにTBSラジオ)、「キックス」(YBSラジオ)、「午後まり」(NHKラジオ第一)出演中。近著に「教養としてのプロレス」(双葉新書)。