『精神看護2014年5月号』 ユーザーインターフェイスやユーザーエクスペリエンスなどの問題にも結びつく「他者とどう関わるか?」ということを考えた介護メソッド「ユマニチュード」の特集号。

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浴室で高齢の患者さんが、あらんかぎりの声で叫び続ける。
抵抗している。絶叫している。
看護師は、黙々と彼の身体を清拭している。

ユマニチュードの研修会の冒頭でよく流される映像。
知らない人が見れば暴力的な映像に見えるだろう。
だが、そうではない。
看護師は、シャワーで洗ってあげているだけなのだ。
だが、何かがたりない。

ユマニチュードは、フランスで生み出された高齢者ケアメソッド。
『精神看護2014年5月号』の特集で、紹介されている。
「見つめること」「話しかけること」「触れること」「立つこと」が4つの柱。
150を超える具体的なテクニックと哲学からなる新しい介護方法論だ。

しっかり相手のことを意識していないと「見つめること」ひとつとってもうまくいかない。
横たわったり座っている患者にとって、立っている人の視線は、斜め上からになる。
支配されているような気分にさせてしまう。
視野が狭くなっていればなおさらだ。
しゃがんで、水平に、正面から見つめる必要がある。

部屋にはいるときはノックをする。
しかも、ノックしてすぐに入るのではない。
“まずノックをして、自分が来たことを知らせ、出会いの準備をする。「トントントン!」(3秒待つ)「トントントン!」(3秒待つ)「トン!」”
3秒待つのは、患者さんに情報処理の時間が必要だからだ。
眠っているかもしれないのだ。急に声をかければ、おびえさせてしまう。
出会いの準備をしっかりすることによって、穏やかに関係を作る。

「まず仕事の話はするな」とも言う。
いきなり「身体を拭きに来ました」と声をかけてしまうと、「身体を拭く」という仕事をしに来ただけになる。
「目的のためにかかわるのではない」ことを伝える必要がある。
“「話をしに来ました。そのついでに、よろしければ身体を拭いてもかまいませんか?」というような形でかかわるとよい”。

2人の看護師で清拭するとき、両側から“「はい、こっちの手〜、今度はこっちの手〜」のようにしてゴシゴシ洗っていく感じ”では、両側から情報が入り、混乱してしまう。
ユマニチュードでは「黒子とマスター」に分かれる。
1人は、ずーっと患者と目を合わせて語りかける。
“「今から私の友達だちが、お背中を拭きますよ〜」”というふうに。
もう1人が、ケアに徹する。
情報を一本化して混乱させないようにする。

他にも、具体的なテクニックがいくつか紹介されている。
どれも、言われてみると、あたりまえのことだ。
だが、その当たり前のことがいかにむずかしいか。
そして、たくさんのテクニックが、“「ケアをしている私はどんな存在なのか? そしてケアをされているこの患者さんはどんな存在なのか?」という問い”から、生み出されていることがはっきりとわかる。

上智大学講堂で、ユマニチュード・インストラクターの視覚を持つ看護師たちを中心とした公開座談会のようすが『精神看護2014年5月号』に掲載されている。
こういう発言がある。
“もう1つのポイントは、「握手をして別れる」ということ。私たちはこれまで、ケアが終わったら、「はい、終わりました」と言って、その場を去ってしまっていました。「忙しい、忙しい」という雰囲気を醸し出しながら。けれども、「また来ますね」と言って握手をするという、ほんの数秒で済むかかわりによって、次回来た時に好意的に受けとめてもらえる可能性が高まるということをよく経験します”。

これはただの介護メソッドではない。
ありとあらゆることに関係してくる。
「他者とどう関わるか?」ということを、考えぬいた方法論だ。

6月9日には、入門書『ユマニチュード入門』(本田美和子著/医学書院)が出版される。
(米光一成)