W杯13戦10勝(うち2位が2回、3位が1回)と圧倒的な強さで、ソチ五輪の金メダル最有力候補に挙げられていた女子スキージャンプ高梨沙羅。だが、結果は4位と今シーズン初めて表彰台を逃した。絶対的な強さを誇った彼女に何が起きていたのか? 彼女をサポートしていた"チーム沙羅"のスタッフが、ソチ五輪での高梨沙羅の様子を振り返った。

「女子ジャンプは五輪初開催の競技で、選手はもちろんほとんどの関係者たちにとっても初体験となる五輪でした。大会規模の大きさやメディアの注目度の高さ、厳重な警備など、五輪独特の異様な雰囲気に、みんながグッと吸い込まれていった感じがありました」

 そう語るのは、"チーム沙羅"でトレーナーを務めるウイダートレーニングラボの牧野講平氏だ。前回のバンクーバー大会で女子フィギュアスケートの浅田真央に帯同した五輪経験者でもある牧野氏は、チームに漂う微妙な雰囲気を嗅ぎとっていた。そして、試合当日の様子を次のように振り返った。

「僕たちは競技を下から見ていたのですが、近くにいた人の話によれば、彼女は相当『勝ち』にこだわっていたということです」

 確かに今回の高梨は、五輪前から事あるごとに、「勝ちたい」「勝たなくちゃいけない」と、マスコミに煽(あお)られるように口にしていた。普段は決して大言壮語するタイプではなく、どちらかといえば不言実行のアスリートだ。

 牧野氏は五輪2週間前から帯同し、ともに世界ジュニア、W杯を転戦しソチに備えた。高梨の今シーズンの目標である『世界ジュニア3連覇』『W杯2年連続総合優勝』『五輪金メダル』の三冠達成へ現地でのサポートは不可欠。また昨年の世界ジュニア後に体調を崩したこともあり万全を期すためだった。

「今年は五輪が開催されることで、スケジュールが非常にタイトになってしまったんです。3日間競技場にいては移動の連続で、本来ならばトレーニング、調整、試合というルーティーンをこなすはずなのですが、トレーニングする時間がほとんどとれない状況でした。普段やっていることがやれないのは不安材料になったかもしれません。ただ、私はソチ五輪が始まる2週間前から合流しましたが、試合を重ねるたびに体が動くようになりましたし、感覚は良かったと思います」

 その証拠に、競技当日の1本目の試技で高梨は、最長不倒距離を飛んでいる。だが、メダルには届かなかった。

 ウィンド・ファクター(風の条件でもらえる得点)が1本目、2本目合わせて『+5』という出場選手中2番目に高い数字。つまり悪条件の中でのジャンプを余儀なくされたことが大きい。

「大会後、高梨選手を除いたチーム沙羅のスタッフが集まってミーティングをしたのですが、そこで彼女のお父様が『あの風だったら、あのジャンプがベストだ。あとは運というか気象面の影響だよな』とおっしゃっていました。おそらく、我々に気を使って言って下さったと思うのですが、僕らスタッフからすればまだ彼女のために準備できたことはあったはずだし、今回の経験を次に生かさなければいけない。それが彼女の成長につながるのですから」

 牧野氏が高梨に会えたのは翌日だった。

「たぶん一晩中泣いて、涙も枯れて落ち着いたぐらいだったと思うんですけど、口には出さずとも悔しさは伝わってきました。選手はいつだって努力してベストを尽くします。勝たせてあげられなかったのは我々スタッフの責任です」

 その日、チームの面々と合流するとみんなで昼食をとりにイタリアンの店に行ったが、高梨の食はあまり進まないようだった。

 牧野氏と同じく2週間前から帯同していたウイダートレーニングラボの管理栄養士である細野恵美氏は、憔悴(しょうすい)していた高梨のある一言を聞いて驚いたという。

「彼女は食事に関してもストイックで、自分のパフォーマンスを高めるために何を食べるべきかなど、すごく探究心のある選手なんです。彼女は、私が作ったものをいつも『美味しい』と言って食べてくれるんです。でも、五輪直前は心も体も疲れた中で、味わうというよりも義務感で食べていた感じでした。そして試合の翌日、みんなで昼食をとりにイタリアンの店に行ったのですが、そこでもあまり食が進まなかったみたいで、結構残していました。なのに、数時間もしていないうちに、彼女が突然『ボルシチが食べたい』と言ったんです」

 ボルシチとはテーブルビートという野菜を材料に使ったロシア名物の煮込みスープである。

「選手村では食べられなかったということで、レストランに行き、ボルシチを注文しました。彼女はスープを一口飲むと、『すっごく美味しい』と、こぼれ出るように言ったんです。ソチに行って初めて聞いた、心から『美味しい』という一言。その言葉を聞いて、本当につらかったんだろうなって、切ない気持ちになりました。選手村の料理にワクワクすることもなければ、ロシア料理を楽しむこともできない。彼女はただ競技と向き合い過ごしていたんだなって......。世界ジュニアやW杯と違い、五輪は選手村のセキュリティーがものすごく厳しく、選手たちと簡単に接することができませんでした。もうちょっとサポートできたらなと思うと、やりきれない気持ちになりましたね」

 楽しむということをまったく考えず、小さな体に背負いきれないほどの期待を背負っていた高梨は、競技の翌日、ボルシチを口にした時に、初めてソチにいることに気づいたのかもしれない。

「メダルを獲れれば良かったのかもしれませんが、それがすべてだとは思いません。各地を転戦しコンスタントに勝ち続けるW杯総合優勝のほうが価値はあるはずだし、そこを褒めてあげてほしい。今回の五輪は彼女にとって通過点。私たちも更なるサポートをしていきたいと思います」(牧野氏)

 牧野氏と細野氏によれば、高梨はまだまだ能力が伸びる余地を残しているという。4年後に平昌(ピョンチャン)五輪へ向かい、高梨はすでに練習を再開している。

石塚隆●文 text y Ishizuka Takashi