ついにウラディミール・バレンティン(ヤクルト)が、聖域に辿り着いた。9月11日の広島戦で大竹寛の147キロのストレートを一閃すると、"祝55"のボードを掲げたヤクルトファンで埋まるライトスタンドに打球は消えた。1964年の王貞治(巨人)、2001年のタフィ・ローズ(近鉄)、2002年のアレックス・カブレラ(西武)が持つ、シーズン最多本塁打の日本記録に並んだ。

 来日1年目の2011年、2012年と2年連続で本塁打王のタイトルを獲得したバレンティンだが、ホームラン数は2年連続で31本。それが今季は約2試合に1本という飛躍的ペースで増産した。

 その理由のひとつに、6月に発覚した"飛ぶ統一球"の影響がある。バレンティンだけではなく、巨人の阿部慎之助(巨人)も、一昨年の20本、昨年の27本から、今季は31本塁打(9月11日現在)をマークするなど、球界全体で本塁打数は昨年よりも明らかに増加している。小川淳司監督も、「今季のボールは飛ぶというのがあるからでしょうね」と、公式球の仕様変更を日本記録の要因に挙げる。

 ただ、昨年までのボールよりは飛ぶものの、今季のボールは2010年までのボールよりも飛距離が出るわけではない。他の打者の本塁打数の増加がわずかなのに対し、なぜバレンティンだけが大きく伸ばせたのか。小川監督は精神面の違いが大きいと説明する。

「彼は低反発球になってから来日して、飛ばないボールながらも2年連続でホームランのタイトルを獲った。それが今年はボールが飛ぶようになったので、精神的に余裕があるように見えますね。昨年まではホームランを狙って大振りをしたが、今年はそれがない。大振りしなくてもボールが飛ぶし、神宮は狭いのでスタンドに入るというのを感じているからでしょうね」

 そして技術面での向上もあった。来日する前、日本球界を知るある人物から、「日本の投手は変化球が多いからバットを振りにいったらダメ」とアドバイスを受けた。それから試行錯誤を重ね、ようやく完成に近づいた。「スイングが小さくなって、ポイントも近くなった」と宮本慎也もバレンティンの変化を認める。大振りしなくなったことで好不調の波が小さくなり、安定感が飛躍的に向上した。一昨年、昨年と苦しんだ打率でも、今季はリーグ1位を維持(9月11日現在.340)。さらに、左足を大きく上げる打撃フォームも、カウントや相手投手に応じて、"すり足"に変えるなど工夫を凝らすようになった。

「すり足はスイングの始動を遅らせることができるし、始動してからも短い時間でスイングにつなげられる。それに、球種の判断がしやすいんだ」

 そう語るバレンティンは「打席の中で感じたことをやっているだけだ」と笑うが、対戦相手にしたら、スイングを小さくして安定感が増したのに、もともと持つパワーと統一球の影響で打球の飛距離が変らないのは厄介なことだ。8月21日、22日の2試合でバレンティンに4本塁打を浴びた巨人の原辰徳監督は、「ベーブ・ルースじゃないんだから」と嘆き、自軍投手に奮起を促したほどだ。

 さらに、小川監督がバレンティンの武器を語る。

「ホームランにできるゾーンが広いのもある。頭の高さの球でも、低目の球でもホームランにできちゃうのでね」

 今季のバレンティンは穴が少ない。4月27日の巨人戦では菅野智之から内角低めのワンシームを、体を開かずにレフトスタンドに運んだ。9月10日の広島戦では前田健太からアゴ付近の高さの151キロのストレートを左中間に弾き返した。そして、もっとも増えたのが、外角への緩い変化球を前でさばいて本塁打にするシーンだ。8月21日の巨人戦で高木京介から放った44号も、前でさばいてホームランにした1本だった。140キロ台後半のストレートに押し込まれていたが、高木が投じた勝負球の外角低目へのカーブを左手一本で拾い上げた。

 元プロ野球選手でライバル球団の関係者も、「昨年までなら同僚のミレッジの方が、外角の遅い変化球を拾ってホームランにしていた。バレンティンは体が突っ込んで空振りすることが多かったけど、今年は体が突っ込まないから、外角の遅い変化球にも対応するんだよ」と舌を巻く。

 技術的な変化に加え、伊勢孝夫ヒッティングコーディネーターは、「さらに」と続ける。昨年までヤクルトの一軍打撃コーチをつとめ、今季はチーム全体の打撃を見ている同氏は、配球の読みが本塁打の増産に繋がっていると指摘する。

「近鉄時代にローズがホームラン記録を作ったときの話をバレンティンが来日した1年目にして、こう助言したんや。『ローズはキャッチャーの配球のクセを読んでいた』って。3年目になって、各チームの捕手がどういう配球をする傾向にあるのか、わかってきたというのもあるんやろな」

 捕手の配球を読んで日本球界で成功を納めたのは、ローズだけではない。今季は開幕して間もない4月6日のヤクルト戦で、外国人選手としては史上初めて日本球界での通算2000本安打を達成したラミレス(DeNA)も、「日本の野球は、ほとんど捕手がゲームをコントロールしている。日本で成功するためには、ピッチャーの研究をする前に、捕手の傾向や配球パターンを研究しなければならない」と同じ見解を示す。

「配球も読めるし、頭がいい」と宮本も舌を巻くバレンティンが、どのようにして配球を読めるようになったのか。佐藤真一打撃兼作戦コーチは、「スコアラーからビデオをもらって見ることはあまりないけど、これまでの積み重ねを生かしている。自分なりに試合を通じて感じてきたことを考えながら打席に立っているから、あれだけ打てるんだろうね」と、経験が大きいと見ている。

 8月21日の巨人戦で2本ホーマーしたため、周囲は翌日の試合では巨人バッテリーがバレンティンとの勝負を避けると予想していた。だが、バレンティンは「阿部だから勝負してくる」と集中力を切らさず、2戦連続の2本塁打につなげた。

 また、8月27日からの中日との3連戦では、"しつこいリード"と評される谷繁元信との攻防があった。初戦で2打席連続して外角勝負を読み切ってスタンドに運んだバレンティンは、28日の試合でもホームランを放った。迎えた第3戦の第1打席、谷繁は130キロ台の直球とスライダーを内角ばかりに集めて3ボール2ストライクに追い込み、最後は川上憲伸に伝家の宝刀である100キロ台の緩いカーブを外角に投げさせた。並みの外国人打者なら思わず手を出してしまいがちな球だったが、バレンティンはわずかに外れるカーブを悠然と見送って四球を選んだ。ホームランこそ出なかったものの、打たれたコースで抑えるまで何度でも勝負する傾向の強い谷繁の特徴をつかんでいたからこそというシーンだった。

 そして、最も大きな要因となっているのが、集中力である。佐藤打撃兼作戦コーチも変化を感じている。

「去年まではストライク、ボールの判定に文句を言ったりして、それが試合の最初の方にあると、以降の打席はヤル気をなくすということもありました。監督もバレンティンに『集中力を大事にしろ』と何度も言っていました。今年は、最後まで集中してやっています」

 バレンティン自身も「いい打席にするためには、ピッチャーの失投を狙って集中するだけ」と打席に臨んでいる。チームが低迷する中でもモチベーションが低下しない背景には、昨年末に結んだ2016年までの4年契約がある。長期契約を結んだ直後に結果を残せなくなる外国人選手もいるため、バレンティンとの契約を不安視する向きもあった。だが、バレンティンは、「(契約をしてくれた球団が)正しかったというのを証明したいんだ」と、ホームランを量産することで、集中力を途切れさせることなくシーズンを送ってきた。

 こうしたバレンティンの意識の変化について、小川監督は「ホームランだけではなく、打率、打点においても成績を残しているのが大きいんじゃないかな。打率上位は外国人選手ばかりというライバル意識も、モチベーション維持につながっていると思う」と分析している。

 今季のバレンティンは、オランダ代表で出場したWBCでの故障のために開幕からは出遅れ、一軍に合流したのは、チームがすでに12試合を消化していた4月12日の巨人戦だった。そして、4月16日に神宮球場で行われた中日戦で今季1号、2号を連発してからホームラン記録への道のりは始まった。4月8本、5月5本、6月11本、7月9本と放ち、8月には月間最多本塁打記録を塗り替える18本ものアーチを描いた。史上最速の122試合目で55号に到達し、「長かったけど、最高の気持ち」と喜びを表したが、まだ22試合が残されている。「打率でもトップが狙えるから、ホームラン狙いになってボール球を振らないよう、しっかりボールを見極めていくよ」と話すバレンティンが、55本の記録を49年ぶりに塗り替え、どこまで伸ばせるのか興味はつきない。

 さらに、リーグトップのホームラン、打率に加え、打点でも1位・ブランコとの差はわずか6。日本球界では過去7人しか成し遂げていない三冠王も視野にとらえている。2004年の松中信彦以来、セ・リーグでは1986年のランディ・バース以来となる快挙の可能性は十分にある。55号を放って「やっと平常心に戻れるよ」と安堵した表情を浮かべたバレンティンだが、まだしばらく彼の周りは騒がしい日々が続くことになる。

津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro