「手帳術」から見る社会-3-

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■TOPIC-3 手帳術の際限なき増殖

今回は2000年代後半から2010年代の「手帳術」を追っていくのですが、この時期は「手帳術」関連書籍の刊行が相次いだ時期であるため、著作を逐一追っていくことは難しくなります。具体的には、タイトル・サブタイトルに「手帳術」を含む書籍の刊行点数は、2004年までの累計が9冊ですが、2005年と2006年は各年10冊ずつ刊行され、2007年から2012年までも平均5.3冊の刊行ペースとなっています(「国立国会図書館サーチ」による検索結果。検索日は2013年3月7日)。

そこで今回は雑誌メディアに目を向け、『日経ビジネス アソシエ』(以下『アソシエ』とします)が毎年10〜11月発売の号で組んでいる「手帳術」特集の展開を追うことで、この時期の動向を把握してみることにします。

『アソシエ』について少し説明しておきます。今日、個人の資質向上や生き方の変革(自己啓発)を扱う雑誌は数多くありますが、それを主な内容とする雑誌となると数は少なくなります。『プレジデント』もそうした雑誌の一つではあるといえますが、それとて毎号自己啓発ばかりを扱っているわけではありません。しかし『アソシエ』は毎号、自己啓発に関する特集を組んでいます。ここ半年に組まれた特集テーマを順にさかのぼると、「時間活用の技法」「文具術」「今、知るべき教養」「反省と計画の技法」「整理術」「手帳術」となっています。2002年の創刊以来、こうした路線を継続している『アソシエ』は、ここ10年間の自己啓発に関する言論を最も凝縮している雑誌であると考えられます。そのため、同誌における「手帳術」を見ていくことが、この10年間の「手帳術」の動向を押さえることになると私は考えるのです。

さて、『アソシエ』が初めて「手帳術」特集を組んだのは2004年12月7日号で、そのタイトルは「能率3割UPし、目標達成を助ける 目からウロコの『手帳活用術』」でした。同特集は、前回紹介した熊谷正寿さんらへの「手帳は夢をかなえ人生を変えるツール」というQ&Aから始まり、佐々木かをりさんら「第一線で活躍するビジネスパーソン」(31p)の手帳活用術が紹介されるという内容です。より具体的には、スケジュール管理、強みの発見、価値ある仕事の抽出、夢のビジュアル化、アイデアの深化、メンタルサポート、貯蓄といった用途がそれぞれ示されています。これらは既にTOPIC-1・2で見てきた「手帳術」関連書籍にあらかた示されたものといえるはずです。

2005年12月6日号の特集「デキる人たちはこんな工夫をしていた 驚くほど成果が上がる 手帳活用術」では、「あなたの手帳選びは間違っている!? 成果を上げる5つの選択条件」という記事が冒頭に置かれ、「手帳の選び方と使いこなし方」がまず示されています(28p)。以降は著名人に手帳活用術を聞く「達人編」と、さまざまな人のハウ・トゥが示される「実践編」に分けられ、前年と同じような用途に関する話がなされています。この回で興味深いのは2点、ポストイットやシール、ラベルといった付属品の活用が推奨されている点(40-41p)、そして携帯電話のスケジューラー等のデジタルツールとの併用が紹介されている点です(54-55p)。

■「強迫」のあとに現れた対極の手帳

2006年11月7日号特集「目標を達成するための 2007年版手帳活用術」の冒頭に登場するのがコピーライター・糸井重里さんです。この時期の手帳の動向を語る際に欠かせないのが糸井さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」から生まれた、「ほぼ日手帳」です。この手帳は2002年に1万2000冊生産された後、順調にその発行数を増やし、特に2004年から2007年にかけては3万冊、7万冊、14万冊、23万冊と急激な伸びを見せて注目を集めていました。2008年には『ほぼ日手帳公式ガイドブック』も公刊され、以後毎年新しいものが出続けています。

糸井さんは2006年特集冒頭のインタビュー(24-25p)で、手帳は「単なるツールでしかないのに、使いこなせないという言葉が出てしまう。それが残念で仕方ないんですよ」と述べます。使いこなせなくとも、白紙が多くとも、公私混同で使おうとも、「そもそも手帳は個人のものなんだから、何でも書いていい」、つまりもっと自由に使えばいいというのです。これまでに紹介してきた「手帳術」は、強固な意志で自らを管理するためのツールという向きが強いものでしたが、糸井さんは手帳に「遊びがある」ことの効用を主張し、もっと緩やかに手帳と付き合おうというスタンスをとります。

これは前回述べた夢の「手帳術」化、夢の作業化に続く大きな動きです。渡邉美樹さんに表われていたような強迫的な管理志向の「手帳術」を一つの極とするならば、その対極に、もっと緩やかで、自由な使い方、また「かっこいい」(糸井重里ほか監修『賢人の手帳術』14p)手帳を求める糸井さんと「ほぼ日手帳」が位置を占めることになるのです。こうして「手帳術」の射程範囲はより拡がることになります。

さらに言えば、これは1979年の『誰も教えてくれなかった上手な手帳の使い方』で示された、市井の人々の自由な手帳の使い方の側に再度注目するという動向といえるかもしれません。ただ、糸井さんの先の発言や、2008年以来刊行され続けている『ほぼ日手帳公式ガイドブック』においてさまざまな人の「自由な使いかた」が毎年紹介されていることを考えると、自由に手帳を使うことは「ほぼ日手帳」にとって明確に自覚されたコンセプトなのだと考えられます。その意味で、かつての自由さとは全く同じとはいえないのですが。

■手帳術の飽和状態

さて、特集を逐一紹介しても煩雑なので、ここで記事のパターンを整理して示すことにしましょう。概していえば、特集は以下のような内容で構成されています。「手帳の達人」の手帳観についてのインタビュー、達人に聞く手帳の使い方、読者による独自のノウハウの紹介、その年によく売れた手帳、著名人がプロデュースする手帳の紹介、手帳の選び方ガイド、手帳の付属品・アクセサリーの活用法、読者の手帳利用状況調査、デジタルツールとの併用法、等々。

手帳の用途も、概していえばここまでに示したもの、つまりスケジュール・情報・アイデアの管理、目標実現、モチベーション向上等が中心ですが、糸井さんの登場した2006年あたりから、チームワーク向上、ダイエット、育児への活用等、さらに用途が広がっていくことになります。

こうして年々、手帳にはこのような用途があるという主張が繰り返されて定番化し、「手帳術」が積み重ねられ、いわば「手帳術」の歴史が形成されていく『アソシエ』のうちに、2つの傾向を見出すことができます。

一つは、「手帳術」の際限のない増殖です。特に2009年以後、著名人・読者から提供される独自の「手帳術」は、もはや整理しきれないほどの量で示されています。2009年特集では「達人の最新テクTIPS45連発!」の後に、「読者29人の手帳TIPS75」「文化人・経営者・アスリート…総勢27人 私の手帳、お見せします!」という記事が続きます。2010年特集では「活用の達人40人に学ぶスゴ技」、2011年特集では同様に「達人30人“こだわりのワザ”」、そして2012年特集では「達人に学ぶ『実践ワザ』100」というように、毎年これでもかという分量の「手帳術」が示されるのです(『アソシエ』では、表紙・目次・本文で記事タイトルの表記が異なることがままあるのですが、ここでは掲載場所を問わず「量」を表している表記をピックアップしています)。特に2012年特集の分量は12ページから115ページまで、つまり100ページを超すものになっています。

これはもはや、「手帳術」はこうだ、というセオリーが成立しないということを意味しています。まさに無数の「手帳術」のすべてを使おうとすれば、矛盾をきたすか、自分自身で混乱してしまうだけでしょう。唯一の抜け道は、無数の選択肢のなかから、自分の性格や用途に合ったものを選び、組み合わせ、応用することです。少なくとも『アソシエ』の特集を見る限りでは、2000年代末から2010年代初頭にかけて、「手帳術」は飽和状態に達したように見えます。

■そして手帳は「学ぶべきもの」へ

このような飽和状態に向かうプロセスと並行して表われてくるもう一つの傾向が、手帳そのものについて学ぶ記事や、手帳の正しい選び方を指導するといった記事が登場すること、いわば学び習得されるべき対象としての「手帳学」の誕生です。

たとえば2009年特集では、TOPIC-1でも紹介した手帳評論家の舘神龍彦さんによる「今さら聞けない!? 手帳のイロハ」という記事が冒頭に置かれ、手帳の種類、用途、買い時、選ぶコツ、上手な書き方、ITツールとの使い分け、夢がかなうかという各質問へのコンパクトな回答が示されています。さらに特集中盤では、佐々木かをりさん、熊谷さん、糸井さんが登場する「手帳道場」という記事が設けられ、各「塾長」が手帳の使い方を読者に直接アドバイスしています。

舘神さんは、2010年特集では「手帳王子・舘神龍彦と行く『My手帳』を探す旅」、2011年特集では「“手帳王子”が特講!“My手帳”の探し方」という記事でそれぞれ、読者への手帳の選び方指南を行っています。ここで興味深いのは、自分自身のニーズ、つまり自分自身が手帳に何を求めているのかを自問自答して明らかにすることが手帳選びの第一歩だとされている点です。手帳を使う際だけでなく、選ぶ際にも、自分自身の価値観を明らかにすることが求められているわけです。もちろんこれは、手帳の選択肢が広がっているためであり、「手帳術」も多様になっているためなのですが、さまざまな手帳と「手帳術」があることを訴え続けてきたのも『アソシエ』自身であって、その意味ではマッチポンプ式に煽っているという感もします。

これは私自身の想像力が乏しいことに起因するのかもしれませんが、『アソシエ』の特集を順に眺めた限りでは、「手帳術」そのものが、行き着くところまで行き着いてしまったように思います。「手帳術」は際限なく広がり、手帳の選び方指南までなされるようになる。登場する人物も、糸井さん、熊谷さん、佐々木さんなど、顔ぶれが定まってしまったようにも思えます。

これは次なる変化が起こる前触れなのかもしれませんが、私には分かりません。しかしいずれにせよ、2000年代から今に至るまでの「手帳術」は、一つの流れのなかで行き着くところまで行き着いてしまった、いわばアイデアの飽和状態に達してしまったようにも思います。

■2010年代の衰退なき飽和

とはいえ、これは『アソシエ』の特集という、一雑誌メディアを対象にした話で、一般化するにはまだ性急です。そこで最後に、2010年代の「手帳術」関連書籍を眺めてみることにしましょう。

「国立国会図書館サーチ」で検索をかけると、タイトル・サブタイトルに「手帳術」を含む書籍の刊行点数は、2010年から2013年の間で計22冊となっています。その用途について概観してみると、デキる人になる、アイデアが湧く、お金が溜まる、幸せになる、キレイになる、人生が輝く、夢がかなう、といったものです。

以前からあった用途もあれば、新たに登場した用途もあります。しかしいずれにせよそのポイントは単純で、手帳にこまめに書くことによって、スケジュール・情報・アイデアの管理を行い、また目標に近づくプロセスを可視化して自己管理と動機づけに用いる、というものです。これは既に2000年代前半までには出揃っていた「手帳術」であり、その意味で新奇性はないように思えます。

また、2010年代になると、「手帳術」という言葉がタイトルに冠されているものの、その内容は、使ったお金やその日に食べたものを書き留める先がただ手帳であるというだけで(つまりメモ帳でもノートでもよい)、それ以外に特筆すべき手帳の使い方が示されているわけではないという書籍も数点見ることができました。これは第6テーマ「セルフブランディング」についても同様だったのですが、ある言葉のブームが起こるとやがて、書籍の内容とそれほど関係がなくてもその言葉をタイトルに冠する書籍が出てくるのではないかと思います。ここから私は、そのような書籍が出てくることは、既にその言葉のブームが頂点を過ぎたということを意味するのではないかと考えています。

2010年代の「手帳術」関連書籍にはあと2つの傾向があります。1つは、各種のアプリを活用できるスマートフォンをシステム手帳として用いようとする、スマートフォンの活用ガイド本です。どのようなアプリがあるのかということは、それはそれで重要なことなのですが、いわばスマートフォン「手帳術」は『アソシエ』でも扱われ続けている内容であり、書籍独自の動向ではありません。

そしてもう1つは、手帳をどう選び、どう使うかということが、著名人の利用法などの紹介から解説される書籍、つまり『アソシエ』が毎年行っている特集の書籍版(多くはムック形態)です。ここでもまた、糸井さんをはじめとして、登場する顔触れはある程度決まっています。

整理しましょう。2010年代の「手帳術」関連書籍は、そのバリエーション、用途、ハウ・トゥのいずれにおいても、『アソシエ』が続けてきた特集と同じような傾向をもつものでした。ここで私がしたいのは、『アソシエ』がこうした傾向の発信源なのか、あるいは書籍なのかという話ではありません。私がいいたいのは、飽和状態に向かっていると解釈した『アソシエ』の「手帳術」論の動向を、書籍が追い越していかないということ、つまり先に述べた顔ぶれ、スケジュール・アイデア・夢・「自分らしさ」・遊び心といった用途、そして整理できないほどに溢れる手法のそれぞれを見ても、2010年代の「手帳術」論は、2000年代の議論をそのまま引き継いで展開されているということです。いわば「ポスト『ゼロ年代』」特有の動向が見出せないのです。

しかし、注目すべき新動向がないから、「手帳術」は衰退に向かっていくわけではありません。新たに登場する大きな傾向はないものの、細かな「手帳術」は際限なく増殖し、その一方で最低限抑えておくべき、「手帳学」と先に呼んだような学ぶべきことの体系がしばしば提示されるようになったということは、「手帳術」は興隆の時期を過ぎ、定着の時期に来ていると解釈することもできます。

さてここで、TOPIC-1で示した今回テーマの「狙い」に立ち戻ってみましょう。「手帳術」を扱う狙いは2つありました。1つは、「手帳術」から、日常生活が気づくと自己啓発の実験場と化してしまうような現代社会について考えてみようということ。もう1つは、夢をかなえ、人生が変わるといった手帳の「効用」が2000年代になって喧伝されるようになったことをどう考えるのかということです。これらの双方を考えていくためには、「手帳術」が定着するような社会とはどのような社会なのかを考えていく必要があります。次週はこのことについて扱ってみたいと思います。

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『ほぼ日手帳公式ガイドブック』
 ほぼ日刊イトイ新聞編/マガジンハウス/2008年

『賢人の手帳術』
 糸井重里ほか/幻冬舎/2012年

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(牧野 智和=文)