赤堀雅秋
あかほり・まさあき
1971年生まれ。千葉県出身。劇作家、脚本家、演出家、俳優と幅広く活躍している。96年、劇団THE SHAMPOO HATを旗揚げ、劇団公演のほか、プロデュース公演の脚本や演出も手がける。次回劇団本公演は2013年4月下北沢ザ・スズナリにて。

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11月17日(土)に公開される「その夜の侍」。
堺雅人、山田孝之、綾野剛と豪華な出演者たちが、「癒し」なんていう柔らかな言葉は使えない、ズシリと重い鉛のような重みで覆い被さってくる。彼らの表情が焼きごてでジュウッと消えない印を刻み付けてくるような映画。
堺雅人演じる鉄工所経営者・中村健一は、妻(坂井真紀)をひき逃げで亡くして以来、深い喪失感に苛まれている。犯人は、山田孝之演じる木島宏。木島は2年間服役していたが、出所後も反省することなく自堕落な日々を過ごしていた。
そこへ「お前を殺して俺は死ぬ」という脅迫状が送られてくる。決行日もしっかり記されて。
脅迫状は毎日毎日送られてきて、次第に決行日が近づいてくる。
送っているのは中村で、毎日ずっと思い詰めた表情で、木島の生活を観察している。
中村の仕業と悟った木島は、中村の妻の兄(新井浩文)に止めるよう言う。兄や隣人たちが中村を心配するが、彼の決意は固く……。
そして、ついに決行日がやってくる。

堺雅人の、内側に感情を溜めに溜めながら、決して発散できない姿。
山田孝之の、思い通りにいかないことを暴力で発散させまくりながらも、それでも晴れないで苛立ち続ける姿。
綾野剛は、木島の仲間。木島のやり方に口が挟めずつきあっている。自分の気持ちを押し殺した表情。
誰も彼もが八方ふさがり。そんな、どん詰まりの男たちがなぜか愛おしい。

この映画の脚本を書き、監督したのは赤堀雅秋。
劇団THE SHAMPOO HATで作、演出、俳優として活躍してきた。
大根仁は、彼の才能を高く評価し、自身が関わった「演技者。」や「週刊真木よう子」などで赤堀の脚本をテレビドラマ化している。
赤堀にとってこれが初監督作。
なぜ、映画を? 
そして、俳優たちを、これまでにない表情で映し撮った、その方法は?

ーーこの間、赤堀さん脚本で河原雅彦さん演出の舞台「阿呆の鼻毛で蜻蛉をつなぐ」の取材をして、河原さんに「赤堀君の作品どう思います?」と逆質問されたんです。言葉にならないズーンとしたものが見終わった後に残る。どうしたらそういう空気を作れるのか知りたいと思うと答えましたが、今日はその秘密を伺えたらと思ってきました。誰もに聞かれることと思いますが、堺雅人さんが新鮮な表情を見せています。かけてるメガネの汚れ具合や部屋の中での悶々してるあの空気がなんとも言えない。稽古をたくさんされたのですか?
赤堀 いや全然。そんな時間もなく、稽古っていう稽古もしてないのですが、ただ、クランクインする前に、役についての方向性などについてかなり話し合いはしましたね。現場に入ってからも、いろいろコンセンサスをとりながらやっていった感じです。向こうは日本のトップ俳優ですからねえ。別に稽古する云々とかってことではなかったです(笑)。
ーーちょっとしたニュアンスにこだわって「そうじゃない」「そうじゃない」って言う演出方法じゃないのですか。
赤堀 いや、そうじゃない、そうじゃない、って言い続けましたよ(笑)。それは堺さんに限ったことではなく、僕がダメ出しする部分っていうのは、役者さんの元々もっている生理的な部分から出るものではないものに対してです。ちゃんと自分が内包してない感情を、いわゆる表層的な演技で見せることをよしとしない。例えば堺雅人さんだったら、あらゆるテクニックはもっているでしょうし、なんかすごく語弊のある言い方ですけれど、どのようにやっても、たいてい一般のお客さんは巧いって評価するでしょう。でも、僕は物語の登場人物そのものになってもらいたいわけで、堺雅人さんの外連味だとか芝居の巧さとかをお客さんに伝えたいわけじゃない。あくまで、中村健一になってるか、なってないかだけの判断なんです。それは、やってる役者さん自身も実感していることだと思うんですよね。あ、今嘘ついちゃったとか、あ、今、ちょっとうまい感じでごまかしちゃったな、とか。それは自分も役者だから、すごくわかるんです。そういうところを見て「ダウト」ってことを言ってるだけなんですけどね。もちろん作品によって嘘のつき方は違うでしょうし、嘘をついちゃいけないってこともないのでしょうけれど。特にこの映画のような市井の人を扱った作品に関しては、そういう嘘のつき方はしないほうがいいという判断があるんです。
ーー優れた演出家、作家だからこそ違うなってことがわかるのでしょうけど、ご自分の中で、正解があるんですか?
赤堀 正解っていうか……、こうやって話していたり、一緒に飲んでいたりしても、実感のある言葉とそうでない言葉ってあるじゃないですか。あ、こいつ、テレビで観たことをそのまんま言ってるなとか、ある雑誌に載ってたことをそのまんま引用してるなとか。まあ、でもそういう嘘も100回ついていけば、自分の言葉になっていくこともあったりするものだと思うんですけど。
ーーそれが演劇だったりしますよね。
赤堀 本当のオリジナリティーなんてものは皆無でしょうから、自分自身が今こうやって、エラそうに(笑)しゃべってることだって、無自覚に誰かの言葉を引用してることだってきっとあるでしょうし。ただ、まあ、それが、こうしゃべっていて、お芝居云々じゃなくて、一緒にコミュニケーションしていて「お前、それ、ホントに言ってるの?」っていうことに対して、問いかけてしまうんですね。それはちゃんとしゃべってないんじゃない? コミュニケーションしてないんじゃないですか?ってことを。でもそれは僕だけじゃなくて、誰にでもできることだと思います。それをどういうふうに言えば俳優を導くことができるか、そのボキャブラリーは、演出家であるので、一般の方よりは長けている部分ではあるとは思うんですけど。それでお金をもらっているわけですから(笑)。でも、感じることは誰にでもできると思いますけどね。
ーー日常だと、この人は表層的な会話しかない人だということで済みますが、お芝居では、ホンモノの感情を出してほしいと。
赤堀 でも、僕、日常でもそういう表層的なの、いやですけどね(笑)。
ーー共感します(笑)。
赤堀 なんかこういう話するのもなんですけど(笑)、こういうインタビューで、
すごいルーチィンな感じに「堺雅人さんの微笑み、今回封印ですか?」っていうような質問をされると、いっさい答えたくないなって強く思うんですよねえ(笑)。そういう時、僕もちょっと大人げなく感情が出てしまって。「別に微笑み封印したわけじゃないんですけど」なんて言ってしまったり(笑)。
ーーそうされたらライターの聞くことは変わります?
赤堀 いや、変わりようがないですよね、だってルーティンで、何も考えてきてないんですから(笑)。表層的な演技しか出来ない役者と同じです。
ーーこれは2007年に上演された作品の映画化ですが、抽象的だった舞台装置に対して、映画になった時、当たり前ですが、オールロケでものすごいリアル。クライマックス、土砂降り、ぬかるみの中で、堺さんと山田さんを対峙させるのは映画ならではです。表現に映画と舞台の違いを感じましたか?
赤堀 よく、映画と演劇の違いは何ですか?と聞かれて、その質問自体を否定しているわけではなくて(笑)、僕自身は、あまり何も感じてないです。演劇やってる時も、台本書いてる時も、そこが抽象のセットにしても素舞台にしても、ものすごく具体的に描写を想像しながら書いているんですね。例えば「アパートの一室」っていうト書きがあったにしても、それがどういう一室なのか、質感であったりとか空気の感じだったりとかを明確に自分の中でビジョンを浮かべながら書いています。それは演じる時も自分の中では考えて演じているんです。
ーー雨に打たれてドロドロになったら、その時の本当の感じが演技を超えて出ますよね。でも舞台は想像だけで同じような感情を表現するから、演劇人としてはそっちのほうが凄いぜって思うのかなと。
赤堀 そんなことはないですね(笑)。ありていですけど、見えないものをお客さんに想像力を使って見せるのが演劇の仕事です。確かに、泥があって雨が大量に降っていてというのは、お客さんが想像する余地もなく目の当たりにするわけですから、便利っちゃ便利と思います。でも、そんなに差異を演劇と映画に感じないんです。
ーー書きたい内容が大事で、手法は関係ないんですかね。
赤堀 そうですね。
ーー赤堀さんは、映画も俳優としてたくさん体験されていますものね。
赤堀 もともと自分が演劇をはじめたきっかけも、誰かに師事したとか演劇サークルに入っていてとかじゃないところではじめたので、なんで演劇やっているのかいまだによくわからないですけど(笑)。最初はショーパブみたいなとこでコントみたいなことをやっていたんですよ。
ーー変わった出自ですよね。
赤堀 なんでもよかったんです。若気の至りでお金持ちになりたいとかモテたいとか、稚拙な欲求だけでしたね(笑)。
ーー結果、お金持ちになったりモテたりしたんですか。
赤堀 いや、見ての通りなってないです(笑)。
ーーご謙遜かもしれないので真実はわからないですが。赤堀雅秋という俳優は、いい意味でダメな感じを出せる希有な人であるという話も聞きます。
赤堀 全然褒められていない気がする(苦笑)。まあ、わからないですね。判断するのは他者ですから。自分でもダメに生きていこうと思ってないですし、なんでしょうね、普通に生きたいと思っているだけですけどね。
ーー普通と言えば、中村健一がコンビニの商品とか単語を羅列するシーンに号泣しました。普通過ぎる単語がシチュエーションによってこんなにも突き刺さるのかと。
赤堀 嬉しいですね。あれはね、2007年のザ・スズナリで「その夜の侍」を上演した時、やりたかったことなんです。もちろん、複合的な要素があって作品は作られるわけですが、そのひとつです。1999年に起きた光市母子殺人事件の、奥さんと旦那さんの交換日記みたいなものが書籍になっていて、読んだら、奥さんの日記が、いや、もう、ほんとに、ちょっと語弊があるけれど、凡庸なものだったんです。「今日スーパーにいってこれが安かった」とか「あるテレビドラマの犯人はどうやら誰それじゃないみたいよ」みたいな(笑)。なんかそういうものを延々連ねているのを読んで、本当に胸が痛くなる思いがあって。自分自身も本当に凡庸に育ってきたし、そういう「ザ・凡庸」みたいなものに、自分の生理の部分で、心引かれてしまうんですよね。うまく言えないですけど、こういうニュアンスの物語を作りたいと思ったんです。あと、恥ずかしいんですけど、この時期、ちょうどその頃、離婚したんです。10年ぶりくらいにひとり暮らしして、本当に、あのメモのような食生活していて、自分自身の虚無感に飲み込まれそうになっていた記憶があって。そんなことがいろいろ相まって、ああいう作品を書いたんだと思うんですけどね(笑)。だからある意味、中村健一が木島に突きつけているものは、中村健一自身にも突きつけていることですし、まあ、僕自身にも突きつけているんですけど。
ーー見ていて「これは私だ」って思っちゃったんですよ。そんなふうに思うのはちょっとやばいぞとも思ったんですけど。
赤堀 でも「これが私だ」って思うのは、エラそうな言い方かもしれないですけど、見た人が全員そう思えたら戦争は起こらないんじゃないですか。
ーー戦争ですか。すごい話になってきました。でも、みんな思わないんですかね?
赤堀 そうですね。一般試写を重ねていくと、あの物語や描かれている事象について、対岸の火事みたいな見方をしている方も多いように思います。自分とはかけ離れた世界というか。わかりやすく泣けるわけでもないし、わかりやすく笑えるわけでもないから余計に感情移入しなくなる。明日は我が身という身近なものとして全ての事象を感じていただけたら嬉しいんですけどね。

ーーじゃあ、そう思えた自分を誇らしいと思っておきます(笑)。
赤堀 いや、エラそうなこと言ってますけど(笑)。
ーーところで、ヱヴァンゲリヲンと公開日が一緒なのですが……
赤堀 アハハハハ、いや、観に来たいですねえ。17日には行けないですけどね。
ーーえ、ヱヴァを観に行きたいんですか?
赤堀 ええ、大好きなんで。テレビでやっているとつい見ちゃいますし。初日にヱヴァを観た方は、3日目でも4日目でもいいです、こちらにも来てほしいですね。もちろん初日が盛り上がればいいでしょうけど、地道に息長く続けていけたら嬉しいです。

後編につづく。後編はネタバレありです!

(木俣冬)