■1人で抜けるなら、行けばいいんだ


小澤 その永井の成長のプロセスで面白いのは、乾監督が杉山監督から「こういう選手がいる」っていうことを事前に聞いた上で、「どう育てようか」というところまで考えて獲得し、入学させている点です。その辺りのお話をお聞かせください。
 
乾 謙佑が入学してきたのは、2007年です。そして僕がユニバーシアードの代表監督を務めたのが2005年なんですね。1995年の福岡大学から12年間ぐらい日本の大学生のトップの選手たちをずっと観てきて、さらに同世代の世界の選手たちとずっと試合をしてきたので、その年代で「これぐらいできる子はこの辺まで行く」というのは見えていました。
 
 例えば岩政大樹(鹿島アントラーズ)や藤本淳吾(名古屋グランパス)、伊野波雅彦(ハイデュク・スプリト/クロアチア)とか羽生直剛(FC東京)とか坪井とか。岩政なんて、本当に30メートルボールをまっすぐ蹴れなかったですから。巻(東京ヴェルディ)なんて胸トラップしたら10メートルぐらい行っていました。それで地面スレスレのボールをダイビングヘッドするじゃないですか。なので、入団の時に「利き足は頭です」って言えっていったら本当に言っていましたからね(会場笑)。
 
 そのぐらい元はヘタクソなんです。だけど、何か秀でたものがある選手は、必ず短所を補っていって最後は大成する。例えば謙佑だったら、あとは出してもらって走ればいいわけですから。僕はすでにそういった選手を10数年見て来たので、謙佑のレベルの素材だったら、4年間でこいつは日本代表になるんじゃないか、いやならなくてはいけないと。
 
 海外で、相手を「自分で抜こう」と思って抜ける選手ってそういないんです。パスサッカーをしなくてはいけないのも、個人で抜けないから。でも、個人で抜いて点が取れる選手がいれば、個人でいけばいいのです。それが出来る、日本で数少ない選手になるんじゃないか、そういう選手にしなくてはいけない、と思い描いていましたね。
 
小澤 永井の高校時代は、全くJリーグのスカウトから声がかからなかったのですか? 
 
杉山 いや、「なんでうちの学校(九国大付属)が九州大会、プリンスに出たのか」ということで、興味を示したスカウトも何人かいたんですね。だけど、やっぱりスカウトも「速いけど荒削りだし、上手くない」という風になって、正式オファーには二の足を踏むところがありました。実際、地元のチームも追っかけて見てはくれたんですけど、まあいろいろな時期でもあったので、具体的な話はなかったですね。 



<(3/6)へ続く>